22.哀れなスケープゴート
パオラの父親の元ツヴァイフェル伯爵は、捕らえられてから2週間ほど後、謎の獄中死を遂げた。
その頃、残された彼の妻と彼女の両親の前伯爵夫妻、パオラ姉弟の5人は、風呂にも入れず、身体は異臭を放ち、髪の毛も皮脂でギトギトに固まってフェルトのようになっていた。囚人服も汗と皮脂と牢の汚れですっかり汚れて匂いが酷い。生まれながらの貴族であった5人はそんな屈辱に納得できる訳がなく、互いに罵り合ってストレスを発散していた。
「あんたの夫の罪でとんだとばっちりだ!」
「何言ってるの! あんな男を私の夫にしたのはお父様とお母様でしょ!」
「うるさい、うるさい! 私は何も知らなかったんだ! なのにこんな目に遭うなんて理不尽だ!」
「それを言ったら、私だって知らなかったわよ!」
「姉さんがそもそも直接の原因なんだよ! あんな王子の見かけに騙されて鼻の下を伸ばしてうちに招待しなければよかったんだ!」
「違うわよ! お父様が革命派なんかの甘言に乗ったからよ! 私は無関係なの! ジークがすぐに助けに来てくれるはずよ」
パオラの弟は、薄汚れて所々黒くなった姉の顔をポカンと見て次に笑い始めた。
「ハハハハハ! おめでたい頭だね! 姉上は王子様に騙されたんだよ! アイツは姉上なんて露ほども好きじゃなかった。ただ革命派を摘発するために利用しただけなんだ!」
「うるさい! 黙れ! そんなはずない!」
5人は、牢の中で掴み合いの喧嘩を始めた。
「うるさいぞ! お前ら全員、飯抜きでもいいのか?!」
あまりの騒音にやって来た牢番に脅され、5人はやっと静かになった。
翌朝早く、再び牢番がやって来て鍵を開けた。
「ほら、やっぱりジークは私を助けてくれるのよ!」
「ハッ! 姉上はおめでたいな」
パオラは、薄汚れた顔をぱぁっと明るくさせたが、弟は鼻で笑った。
「何言ってるのよ、釈放されるのがいい証拠でしょ! じゃあ、あんたは牢屋に残りなさい!」
「うるさいぞ、黙れ!」
牢番は、パオラ達に手錠と足枷をつけ、乱暴に牢屋から引きずり出した。
「キャア! 何するの?! 痛いじゃないの!!」
「黙れ、お前達は釈放なんてされない! お前達は鉱山で一生強制労働させられるんだ」
牢番は、パオラの希望を無残に打ち砕いた。
パオラの祖父と弟は坑夫として、パオラと母、祖母の3人は鉱山の荒くれ労働者の相手をすることになった。
鉱山の強制労働者の多くが慣れないきつい労働で数年以内に健康を害するか、運が悪いと亡くなる。強制労働者の性欲を鎮める娼婦も多くが短期間のうちに性病にかかったり、仕事内容に耐えられなくて精神的に廃人となったりする。元貴族の5人が体力的にも精神的にも1年もつかどうかといったところだ。
「早く出ろ! 鉱山行きの荷馬車が待ってるんだ!」
早く出ろと言われても手錠と足枷をかけられたままで早く歩けるはずはない。でも牢番はイライラして一番ノロノロしていたパオラを蹴った。パオラは顔から床に倒れ、鼻血で顔を汚した。
「早く起き上がれ!」
「ギャア! 痛いっ!」
牢番は、更にパオラを蹴った。パオラは痛みと悔しさで涙が込み上げてきて、血と涙と汚れの混じった液体で頬に赤黒い筋が何本もできた。
「嘘よね、こんなの嘘よね?! ジーク、助けて!」
「何言ってるんだ、こんな薄汚い女を王太子殿下が助けるわけないだろう? 戯言言ってないで早くしろ!」
「そんなはずないわ! ジークは必ず助けてくれる!」
「うるせえ! お前、鏡見てないから現実が分かってないんだ。元々、美人でもない上に、ひでえ匂いして最高に醜いぞ!」
「……ううっ!!」
牢番は、ノロノロとようやく起き上がろうとしていたパオラを蹴り倒した。パオラは号泣して中々起き上がって来なかった。本当なら、牢番はパオラを起こして荷馬車に放り込まなければならないのだが、吐き気を催させるようなすえた匂いのするパオラを牢番は触りたくなかった。
「さっさと起きろ! もう1度蹴られたいのか?!」
パオラはようやく起き上がってノロノロと荷馬車に乗った。他の4人は既に乗り込んでおり、パオラがぐずぐずしている事によってとばっちりを受けないか恐れていてパオラを罵った。
「なんで早く乗らないのよ! 殴られたらどうしてくれるの?!」
「お母様、ひどいわ。娘の心配をしないの?!」
「母が殴られてもいいって言うの?!」
「うるさい! 黙れ!」
5人は御者に咎められてようやく黙った。
彼らは荷物のように荷馬車で運ばれた。人間が座る場所などない荷馬車では、すぐに全身が痛くなった。ガタガタと走る荷馬車の揺れと身体の痛みは、助けなど来ないことを5人に嫌でも痛感させた。
何日も荷馬車に揺られてようやく着いた鉱山の強制労働所で5人はやっと数週間ぶりに入浴できた。
1番若いパオラは需要が多く、到着した夜、すぐに初仕事になった。何がなんだか分からずに粗末な仕事部屋に行かされたパオラは、仕事の後の汚れ切った身体のまま伸し掛かってくる野獣のような男にギシギシ音をたてる寝台で初めて身体を開かれた。その後も毎日同じことの繰り返しで、心身の痛みに泣き叫べば、『うるさい』と怒鳴られて殴られることもあり、パオラの身体はすぐに青あざだらけになった。
パオラが『仕事』の後で思い出すのは、未だにジークフリートのことだった。まだ恋しいと思う一方で、どうして騙したのかと憎く思うこともあり、彼のことをどう思っていいのか分からなくなった。
ある晩、パオラの所に来た『客』は強制労働所では一風変わっていた。ここでは珍しい、清潔感が残るその男は、パオラを抱くことも殴ることもなく、静かに話しかけた。
「君はパオラ・フォン・ツヴァイフェル伯爵令嬢だろう? こんな所にいる女性じゃない」
「その名は捨てました」
「誰のせいで捨てさせられたのか、わかっているだろう? ここを出て元のような生活をしたいって思わないか?」
「その事は考えたくありません」
「本当に? 王子が憎くて憎くてたまらないだろう? 彼は、君を好きでも何でもないのに好きな振りをして利用するだけ利用して捨てたんだ。いや、捨てただけならいい。君自身は何もしていないのに、娼婦より酷いことをさせられている。娼婦だったら報酬をもらえるのに、君はただで身体を弄ばれている。ほら、ジークフリートが憎いだろう?」
「に、憎くなんか……」
「いいんだよ。正直な気持ちを言って」
パオラは、下を向いて必死に何かに耐えていた。拳をギューッと固く握ってブルブルとその身体は震えていた。
「本当に憎くないの? このままここにいたら、君は騙されただけなのに、搾取され続けるだけだよ」
「に、に……憎いわよっ!!」
「そう、その意気だ」
男は不気味に口角を上げてニッと笑った。
それから数日後、パオラの姿が消えた。男の姿もなく、それどころか男の正体を知る者もいなかった。残った元ツヴァイフェル伯爵家の4人はパオラ脱走の連座で罰を受けてますます疲弊していき、1年後にはパオラの祖父母は続けて亡くなった。




