第一話 突撃! グラニュー糖の城
「誰が『おしとやか』よ! 私は私の道を行くんだから!」
リリィは実家の古い仕立て屋を飛び出し、うっそうと茂る『迷い子の森』を猛然と突き進んでいた。
動くたびに、赤毛のポニーテールがバサバサと激しく揺れる。勝ち気そうにつり上がった琥珀色の瞳と、そばかすの散った日に焼けた頬は、仕立て屋の娘というより駆け出しの冒険者のようだった。
身につけているのは、母親が仕立てた上着の裾を自分で短く直し、肘と膝に丈夫な当て布を縫いつけた冒険着だ。腰には革の道具袋を下げ、足元には走りやすい編み上げ靴を履いている。
家出の理由は、母親から「もう十五歳なんだから、少しは淑女らしい言葉遣いと、お上品な刺繍を覚えなさい」としつこく言われたからだ。
あんな針仕事、性に合うわけがない。私はもっと、剣を振り回したり、未開の地を大冒険したりする英雄になりたいのだ。
もっとも、慌てて家を飛び出したせいで、腰の道具袋には仕立て屋で使っていた大針と丈夫な糸が入ったままだった。
「こんなの、冒険には何の役にも立たないけどね」
リリィは道具袋を軽く叩き、そのまま森の奥へ進んだ。
……勢いだけで飛び出してきたのは失敗だった。
「お腹すいた……。死ぬ……。英雄になる前に、ただの行き倒れになっちゃう……」
グゥゥ、と腹の虫が猛獣のような咆哮をあげる。
森に入ってから半日。水しか飲んでいないリリィの足取りは、すでに幽霊のようにフラフラだった。
そのとき、鼻腔をくすぐったのは、およそ薄暗い森には似つかわしくない「甘い匂い」だった。バニラエッセンスのような、香ばしいバターのような、鼻の奥がとろけそうなほど魅力的な香り。
「はっ!? 幻覚? いや、幻嗅!?」
匂いに導かれるように藪をかき分けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
開けた広場の中央に、そびえ立つ巨大な建造物。それは、どう見ても「お城」だった。
しかし、ただの城ではない。白く輝く壁は、どう見ても直方体の角砂糖を積み上げたもの。屋根は鮮やかなピンク色のストロベリー・チョコレート。城門は巨大なウエハースでできており、周囲の堀には、さらさらとしたミルクチョコレートの川が流れている。
「……お菓子の、お城?」
リリィは目をこすった。何度もこすった。だが、城は消えない。
試しに自分の頬をつねってみた。痛い。
ついでに近くの木もかじってみた。まずい。
「うん。あっちだけが本物のお菓子だ」
気がつくと、彼女の足は勝手にウエハースの門へと向かっていた。
「ゴクリ……。ちょっとくらい、味見してもバチは当たらないよね?」
リリィは周囲を警戒しながら、門の端っこにそっと指を触れた。そして、意を決してペロリとなめてみる。
「うっまぁーーーーーい!!」
サクサクとした軽い食感。口いっぱいに広がる香ばしさと、上品な甘み。本物の最高級ウエハースだ。空腹で理性が消し飛んだ十五歳を止めるものは、もう何もなかった。
「いただきまーす!」
ガブッ! と、リリィは門扉に直接噛み付いた。
バリバリ、モグモグ、ゴクン。
「おいしい! 最高の城! 建築家天才!」
さらに二口目、三口目と、門をダイレクトに破壊(捕食)し始めたそのとき。
「ひゃああああっ! 門が! 我らのウエハース・ゲートが、謎の巨大生物に捕食されているですぅぅぅ!」
頭上から、ガラスをひっかくような甲高い悲鳴が聞こえた。
リリィが口にウエハースをくわえたまま見上げると、そこには体長二十センチほどの奇妙な生き物が浮いていた。金色の髪を砂糖菓子のようなツインテールに結び、白と薄桃色のフリルドレスをまとっている。背中の半透明の羽は、光を受けるたびにグラニュー糖をまぶしたようにきらきらと輝いた。手には、なぜか泡立て器の形をした杖を持っている。
「もふぅ? もふもふ、ふぁれ?」
「何を言っているのか分からないわ! まず口からウエハースを出しなさい! この不法侵入者! 私はこの『グラニュー糖城』の警備隊長、砂糖の妖精シュガーよ!」
シュガーと名乗った妖精は、小さな顔を真っ赤にして泡立て器の杖を振り回した。
「よくも我らの神聖なる城をかじったわね! これでお腹を壊して苦しむがいいわ!」
「いや、めちゃくちゃ美味しいんだけど」
リリィは名残惜しそうに最後のひとかけらまでごっくんと飲み込み、口の周りのクズを拭った。
「っていうか、妖精? 本物? 小さくて可愛いね。トッピングの飾りかと思った」
「か、飾り!? 私はこれでも、高名な大魔導士様によって生み出された、由緒正しき精霊の一族よ!」
シュガーが怒りでキィキィと鳴いていると、城内からドタドタと別の足音が響いてきた。
「シュガーちゃん、どうしたの~? おやつの時間にはまだ早いよ~?」
現れたのは、これまた奇妙な生き物だった。体は丸っこく、全身が白くてぷにぷにしている。歩くたびに「ぽよん、ぽよん」と情けない音がする。
「あ! ソルト! 遅いです! 早くこの『門食い女』を捕まえて!」
「えぇ~? 捕まえるの~? めんどくさいなぁ。それより僕、ちょっと水分が足りなくて体が溶けそうなんだけど……」
ソルトと呼ばれたぷにぷにの精霊は、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。
「ちょっと! 今は緊急事態よ! お城が食べられてるのよ!?」
「でもさぁ、門ってウエハースだし、消耗品でしょ? また明日焼けばいいんじゃない?」
「そういう問題じゃないわよ!」
「じゃあ、今日は入り口なしで営業する?」
「城はお店じゃないわ!」
「でも、おやつは出してるよねぇ」
「今そこを掘り下げないで!」
妖精と精霊の、あまりにも緊張感のない掛け合いにリリィは呆然とした。
(なんなんだ、このポンコツコンビは……)
「ねえ、シュガーだっけ? 門をかじったのは悪かったよ。でもさ、こんなに大きなお城なら、ちょっとくらい分けてくれたって減らないじゃん。私、家出して何も食べてないの。このままだと、そのへんの壁の角砂糖を全部くり抜いて、アリの巣みたいにしちゃうよ?」
「悪びれもせず脅迫してきたわ、この娘!?」
シュガーは戦慄した。この赤毛の少女の目は本気だ。放っておけば、本当に城の基礎工事(砂糖)を食い荒らされかねない。
「……わ、分かったわよ。そこまで言うなら、正式なお客様として、ちゃんとしたお菓子を出してあげるわ。だから城を直接食べるのはやめなさい!」
「やった! 話がわかるじゃん、妖精ちゃん!」
リリィは満面の笑みで、シュガーの小さな頭を人差し指でツンツンと突いた。
「な、馴れ馴れしいわねっ!」
赤面するシュガーを無視して、リリィは意気揚々と城の内部へと足を踏み入れた。
城の中は、まさに夢の国だった。廊下の絨毯は、真っ赤なグミが敷き詰められていて、歩くとモチモチとした弾力がある。壁に飾られた絵画の額縁はクッキーで、中の絵はカラフルなジャムで描かれていた。
「すごい……。本当に全部お菓子なんだ」
「当然よ。ここは偉大なるお菓子魔法の結晶。まぁ、今はその魔法の主が留守なんだけどね」
「主が留守ってことは、今はシュガーがこの城を守ってるの?」
リリィが尋ねると、シュガーは一瞬だけ黙った。
「と、当然よ。私はグラニュー糖城の警備隊長なんだから」
「そのわりに、門を食べられてたけど」
「それはあなたが非常識すぎるのよ!」
シュガーは顔を真っ赤にした。けれど、泡立て器の杖を握る小さな手には、ずっと力が入ったままだった。
城の主がいない間、たった一人でここを守ろうとしているのかもしれない。
「ふうん」
「何よ、その顔は」
「別に。小さいのに、頑張ってるんだなって思っただけ」
「こ、子ども扱いしないで!」
シュガーが案内してくれたのは、広大な大広間だった。中央には、長いテーブルが置かれている。驚いたことに、テーブル自体も巨大なバウムクーヘンを輪切りにしたものだった。
「さあ、座りなさい。ソルト、あのお菓子を持ってきて」
「は~い……。よいしょ、よいし……」
ソルトが台車を押してやってきた。その上に載っていたのは、直径50センチはあろうかという、山盛りの「シュークリーム」だった。ただのシュークリームではない。中のカスタードクリームが、まるで生き物のように「ピコピコ」と動いている。
「……ねえ、これ、クリームが動いてない?」
リリィが引き気味に尋ねると、シュガーは胸を張った。
「ふふん、驚いた? それは我が城の名物『ダンシング・シュークリーム』よ! 新鮮な風の精霊の吐息を混ぜて焼き上げることで、口の中でクリームが踊るような躍動感を味わえるの!」
「躍動感っていうか、物理的に暴れてるように見えるんだけど」
見つめていると、シュークリームの隙間から「ぷきゅー」と小さな鳴き声のような音がした。
「よし、覚悟を決めるか。私は英雄になる女だ。シュークリームの一匹や二匹、恐るるに足りん!」
リリィはバウムクーヘンの椅子に立ち上がり、拳を握りしめた。
「食べ物に“一匹”って数え方をする人、初めて見たわ」
シュガーは呆れ顔でツッコむ。
「動いてるんだから一匹でしょ」
「その理屈だと、口の中で暴れたらどうするの?」
「噛めば止まる。いただきます!」
リリィは両手で巨大なシュークリームを掴むと、大きく口を開けて、動くクリームごとガブリと一気にかじりついた。
「ぷきゅっ!?」
その瞬間、リリィの口の中で爆発が起きた。濃厚なミルクのコクと、バニラビーンズの強烈な香りが弾ける。そしてシュガーの言葉通り、クリームが舌の上でシュワシュワ、パチパチとリズミカルに踊り狂った。
「お、おいしぃーーーーーーーっ!!」
リリィの目がカッと見開かれた。サクサクの香ばしいシュー生地と、命の躍動を感じるクリームのハーモニー。手が止まらない。リリィは野生の熊のように、猛然とシュークリームを口に放り込んでいく。
「わわっ、本当にすごい勢いで食べるです!」
シュガーが目を丸くする。
「見てるだけで、こっちの胸が焼けそうだね~」
ソルトものんびり呟いた。
シュガーとソルトが引いているのも構わず、リリィはわずか数分で、山盛りのダンシング・シュークリームを完食してしまった。
「ぷはぁー! 食った食った! 生き返ったー!」
お腹がいっぱいになり、大満足でバウムクーヘンの椅子にふんぞり返るリリィ。口の周りはクリームだらけ、服のあちこちにはクッキーの粉がついている。お世辞にも淑女とは言えない姿だ。
「ふん、満足したならさっさと出ていきなさい。ここは人間の子どもが長居する場所じゃないわ」
シュガーがやれやれと杖を収めようとした、そのときだった。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
突然、城全体が激しく揺れた。天井からパラパラと、グラニュー糖の粉が落ちてくる。
「ひゃああっ!? なに、地震!?」
シュガーが羽をバタつかせてうろたえる。
ソルトは「あ~、揺れる~。僕、崩れちゃう~」とのんきに転がっている。
リリィは素早く立ち上がり、窓の外を見た。
城のウエハース門の向こう、森の木々をなぎ倒して、何かが近づいてくるのが見えた。それは、巨大なイノシシのような姿をした魔獣だった。しかし、その皮膚はゴツゴツとした岩のようで、目が不気味に赤く光っている。
「大変です! あれは森の暴れん坊『ロック・ボア』よ! あいつ、甘い匂いに釣られて、ときどきこの城を壊しにくるの!」
シュガーが涙目で叫んだ。
「いつもは主様の結界で追い払うのに、今は主様がいないから……! このままだと、城が踏み荒らされて、ただの砂糖の山になっちゃう!」
赤い目の巨獣は、リリィがさっき美味しくいただいたウエハースの門を目がけて、猛然と突進を開始した。
シュガーは震えながらも、リリィたちの前へ飛び出した。小さな背中で、巨大な魔獣と城の間をふさぐ。
「ここは、主様が私たちに預けてくださった大切な城なの。絶対に、壊させないわ」
「そんな小さな体で?」
「警備隊長だもの」
声は震えていた。それでも、シュガーは逃げようとしなかった。
リリィはその横へ並ぶと、壁に飾られていた巨大なフランスパンを引き抜いた。
「じゃあ、警備隊長を一人で戦わせるわけにはいかないね」
「え?」
「お腹いっぱいにしてくれた恩返し。それに――あんたがそんなに必死で守ってる城なら、私も守ってみたくなった。あのデカブツ、私がぶっ飛ばしてあげる!」
「ええっ!? あなた、ただの家出娘でしょ!?」
「ただの家出娘じゃないよ! 未来の大英雄リリィ様だ!」
リリィは大広間の壁に飾られていた、巨大なフランスパン(カチカチに硬化していて、ほぼ鈍器)を引っこ抜くと、それを肩に担いで、崩れかけた門へと駆け出した。お菓子の城を舞台にした、おてんば少女とポンコツ精霊たちのドタバタな戦いが、今、幕を開ける!




