第85話 損益計算書
ドロシーさんが木の板に何やら書き込んでいる。
大きめの木の板に柔らかそうな質感の石筆でカリカリと一生懸命に書いている。
時折聞こえるつぶやき。
「1枚これくらいの値段なら売れる? もう少し高くてもいけるかな? どうしよう、悩むとこだなー。値段は3種類くらい用意して、値段が高いほどご利益があるって事で売り出せばいっか。」
あ、お金の計算ですか。
見た目とは裏腹に意外としっかりしてるのね。
「今ここに居る孤児は私も入れて全部で60人だから、1日1人あたり食費がこれくらいで……これが60人分で、ひと月だとこれくらい……その他にも必要経費って掛かるから……」
眉間にしわを寄せながらメッチャ真剣に計算してる。
ドロシーさんて計算が得意なんだ。
それってこの世界基準で言うと相当にすごい事なんでは?
この世界の普通の人は足し算と引き算くらいは出来るけど、掛け算と割り算は苦手。
しかも数字の桁が大きくなると覿面に怪しくなる、平たく言うと計算が覚束なくなる。
例えばこんな感じ。
8+5は?って聞かれたら現代日本でなら小学生でも即座に13って答えられると思う。
けどこっちの世界の人だと指を折って数えていって10を超えるととたんに怪しくなるっていうね。
商人やその子供とかならいざ知らず、普通の一般市民や孤児が儲けの計算出来るってそれだけで一種の才能だよ。
儲けの計算が出来る、つまり仕入原価と売価、人件費やその他の販管費の関係が理解出来ていると言う事。
前世での私は曲がりなりにも高等教育を受けてたし大学にも行った。
それなりに知識もある、社会人経験もある、仕事で総務・経理をしてた事もあって細かい数字の管理も苦手ではない。
ドロシーさんは孤児って聞いてたけどこっちの世界の人の教育水準から考えるとおよそ隔絶したレベルだ。
もしかしたら私と同じくらいのレベルかも。
ちょっと興味が湧いたのでドロシーさんが板に書き込んでいるのを見てみた。
「あれ?」
思わずジッと見てしまった、だってそこには前世で見慣れた「×」や「=」の記号が並んでいるんだもん。
どう考えたって可笑しいよね、ここは前世の地球とは違う世界。
所謂異世界ってやつ。
それなのに前世の記号が出て来る……つまり、やっぱりドロシーさんは地球人?若しくは前世が地球人の転生して来た人?
普通に四則計算を使いこなしてる所を見るとやはりそうなの?
「これって……やっぱり?」
私の声に反応して
「ね、ドロシーすごいでしょ? あーんな難しい数とか計算とか得意なんだよ!」
私がジッと見てるのを見てリズさんが説明してくれた。
私の思う所と違う部分で勘違いしてくれてるのでそれについては触れずに「すごいね。」で誤魔化しておいた。
真剣に計算しているドロシーさんをジッと見つめる。
もしかして元世界の住人かもしれない?って思いながら見てるからかも知れないけど、見れば見るほど細かい所が気になっちゃって。
あ、今のなんか現代人っぽいとか思っちゃうのよね。
左手の親指でこめかみの所グリグリしてながら真剣に考え込んでる仕草なんかルカと一緒でよく似てるなーって。
「はぁ、まだ全然足りないや。新しい『免罪符』も相当売れないと厳しいかなぁ。施設もあちこち傷んでる所とかあるし、それの修理代とか子供たちの食費に古着の補充、そうそう税金も払わないといけないし。王都の教会本部からのお金もう少しあるといいんだけどなぁ。そうしたら子供たちにもお腹いっぱい……」
ドロシーさんが小声で呟いてはため息をついている。
ブツブツと独り言を言いながら計算した数字を書き込んでいる木の板と格闘してる姿さえもルカに似てる。
なんだろう、似てるって思うから余計に似てるように感じるのかな?
「ドロシーってすごいんだよ。今はお金の管理は全部ドロシーがやっているの。実際の支払いとかは院長先生がするんだけど、支払いする金額が合ってるかどうか確認したりするのはドロシーの仕事。」
リズさんがまたも説明してくれる。
けど何でリズさんが自慢げに言うかなぁ。
まるで自分の事のように嬉しそうに言うんだもん、思わず笑いそうになったよ。
「以前は野菜やお肉を卸してくれるお店が金額を多く請求して来たり、納品の数量を誤魔化したりとかしてたの。だけどドロシーがそれを見つけて不正が出来なくなるようなやり方に変えてくれたのね。」
「そうなのよねぇ、昔からのお付き合いのあるお店だからってわたくしが信用し過ぎて中身を確認してなかったのがいけなかったのね。それで好き放題されちゃっててねぇ……。」
やれやれ困ったわみたいな感じで頬に手を当てて小さくため息をつく院長先生。
「最初にドロシーが不正を見つけて報告して来た時にはそれはもうビックリしたもの。」
「それもそうだけど、教えてもいないのにドロシーが計算出来るって言うのにも驚いたわ。」
「あの料理人がお店と共謀して誤魔化してたんですよね。今思い出しても腹立たしい。」
院長先生とサラさん、パメラさんが話しに花を咲かせている。
そのお店っていうのが相当にやらかしてたみたいで、それはもう色々と不正をしていたんだって。
そんなお店がいくつも……そりゃ腹も立つわ。
けれどドロシーさんが不正を見つけて正すべきところは正したと、そうゆう訳ね。
現代日本ならきちんと規格化された型式だったりパッケージだったりがあるけど、こっちの世界じゃそうゆうのは望むべくも無い。
だからこうゆう事が往々にして起きる。
例えば物を買ったけどお釣りを誤魔化された、こんなのは日常茶飯事。
誤魔化される方が悪い、確認しないのが悪いってのがこっちの常識。
そんなだから請求が水増しされてるなんてのも良くある話。
他には納品が注文した数(量)より少なく納品されたり、納品しても居ないのに請求書についていたりとか。
ホントに好き放題やっちゃってたのね……。
そこでドロシーさんが取った対策ってのは、料理人から食材の注文を受けたらドロシーさん自らお店へ発注する。
まずはここで最初の対策。
確かに料理人→ドロシーさん→お店ってなると手間は増えるけど不正は防げる。
ここにドロシーさんが加わる人件費より不正を正す事によるコストダウン効果の方が大きいと判断した。
次にお店と孤児院の両方で、日付・品目・数量(重量)・単価・金額を記した木札をそれぞれ保管して月末締めで請求する。
納品の確認は執務室に居る誰か、主にドロシーさんがだけど、する。
ジャガイモや玉葱のように日持ちしやすいけど大きさが不揃いになりやすい物は個数ではなくて重さで単価を決める、お肉なんかも大中小ではなく重さを量って価格に反映する。
葉物野菜等傷みやすい物は新鮮な状態なら高く、萎れていたりするなら安く、果物などは熟れすぎた物は安くする。
一度に大量に買い付けをするので値引きをして貰う。
市場での価格を調べて交渉したりとか、仕入先を1つのお店に限定しないで競合他社を入れて競わせたりして色々と対策を講じる。
そのどれもが元世界ではありきたりな普通の事なんだけどこっちでは革新的、これまで誰もしなかった事ばかり。
不正を働いていた料理人の悪事の証拠を掴み言い逃れが出来ない状況を作り上げる。
その上で一気にカタを付ける。
「貴方は今を持って解雇します! 理由? それは自分の胸に手を当てて聞いてみては?」
そう言ってドロシーさんは証拠をバーン!と調理台の上に叩きつけて言い放ったんだって。
その時その料理人は顔を真っ青にしてブルブルに震えてたって。
「あれはスカッとしたわ。」
「ええ、ホントに。」
「ドロシーったら意外や意外、結構強気なのね。」
その時の様子を思い出して院長先生たちはカラカラと笑い合っている。
通いで来る料理人を雇うのをヤメ調理は近くに住んでいる時間に融通が利く主婦を雇う事で人件費を下げる事にした。
元世界なら差し詰めパートタイマー雇用ってとこね。
早朝から午前中までと、午後から夕方まで、少人数を雇用。
そして孤児たちの中から料理を習いたいという子を選抜し自分たちが食べるご飯を作らせるようにした。
これはいずれ自分たちが食べる分は全て自分たちで作る、その為の第一歩だ。
今はまだ近隣の主婦の人が料理を教えに来ているが、これもそう遠くない未来には必要なくなるだろうとサラさんが言っていた。
自分たちが暮らしている孤児院と信者の人が訪れる協会の掃除、これも内製化した。
それまでは定期的に清掃の人を入れて徹底的に綺麗にしていたのを、毎日みなで一斉に清掃するように変更した。
洗濯も畑仕事も小さい子の世話等々、自分たちで出来る事は全て自分たちでやる。
ドロシーさんのように冒険者ギルドに顔を出して薬草採取や街の中の掃除などの雑役依頼をこなして安全に小さく稼いだりする子。
これは主に女の子と小さい男の子がやり、少し大きくなると冒険者の荷物持ちとしてパーティーに加わって後々冒険者として独り立ちする時の為に勉強をする子。
リズさんたちもそうやって下積み時代があって今がある。
孤児院を出て成人し、今や一端の冒険者だ。
自分の糊口は自分で稼ぐ。
これが出来るようになると一人前。
リズさんたちやカーリーさんたちもそうやって努力して来たのだから。
「それでもまだ足りてないみたいだけどねー。」
「リズぅ、そうは言うけど以前よりはだいぶ良くなったじゃない。お腹一杯とはまではいかないけど、以前はみんないつもいつもお腹空かしてのが無くなったからね。それだけでもすごい進歩だよ。」
身体が大きくなれば食べる量も増える、すると必然的に孤児院に負担が掛かる。
そうならない為に自活出来るようになった子は成人前でもここを出て行って孤児院への負担を減らそうとする。
リズさんたちしかり、カーリーさんたちしかり。
おっとだいぶ話が逸れちゃったわね。
結局リズさんたちが何が言いたかったかと言うと、ドロシーさんはすごい!って事。
そして協会の運営を立ち直らせつつあると言う事。
「ドロシーが、1ヶ月ごとにお金がいくら入っていくら出て行ったか、入って来たお金の内訳と出て行ったお金の内訳なんかを明確にして記録していくようにしたんだって。」
リズさんが説明してくれる。
「そうする事でお金の流れが見えて来るって言って何か難しい数字ワーッっていっぱい書いてたよ。」
メロディちゃんが私には分からなーいみたいな顔しながら笑顔で教えてくれる。
「それを1年間続けて1年のまとめを作ってわたくしに出してくれてるの。 ほら、これね。」
院長先生がそう言いながら手渡してくれた木の板を見て驚いた。
マジ?
嘘でしょ。
だってこれってまんま元世界の損益計算書じゃない。
私も事務職の端くれだったから良く分かる、こう見えても私は総務・経理をやっていた、その私が言うんだから間違いない。
これはガチなやつだ。
書式まで元居た世界のまんまだし。
そこには収入の種類と金額、支出の部は食材や衣類、人件費、薪などの光熱費、壁等の修理代などの勘定科目ごとに金額が書き込まれていて一目で収支が分かるように書かれていた。
最終収支はマイナスだ。
それでも何とかなっているのはリズさんたちのようにここの出身者が食べ物を差し入れてくれるからだろう。
それが無かったらどうなる事やら。
「これって……損益計算書。」
「「「えっ?ソンエキケイサンショ? 何それ。」」」
「日本語?」
私が思わず呟いてしまった「損益計算書」って言葉に反応するみんな。
こちらの世界には元々「損益計算書」って言葉が無かったからなのか『言語理解』さんでも上手く反映されなくてリズさんたちには理解出来なかったみたいだけど、ドロシーさんだけは違った。
だって「損益計算書」って日本語として理解してるから。
ハッとしたような顔で私の方を見る。
何か言いたげな顔してるのも尤もだ。
私とドロシーさんはジッと見つめ合う。
ドロシーさんてやっぱり日本人だよね? そうだよね?
絶対間違いない、それも私と同じレベルで経理事務の出来る子だ。
きっとドロシーさんも同じように思ってるはず。
そして向こうも疑問に思ってるはず。
なぜ日本人がここに居る?
いつこっちの世界に?
転生? 転移?
元世界ではいくつだったの?
こっちの世界に来た時の原因は死?それとも別の原因?
知りたい事は沢山あると思う。
私だって知りたい。
今度ゆっくりと時間を掛けて聞いてみたい所ね。
そうゆう諸々の思いを込めてジッと見つめる。
私がにっこりと笑う。
するとポッと顔を赤らめて恥ずかしそうに笑う。
「なになにぃ~。二人して見つめ合って笑ったりしてさぁ。」
リズさんが目ざとく見つけて茶化しに来る。
「二人はデキてる。」
ちょっとカーリーさんお下品すぎ。
まだだから。
まだよまだ、それはこれから。
「いいないいなぁ。」
いや、メロディちゃんにはリズさんが居るじゃないの、何言ってんのよ。
「あらまぁ、ドロシー良かったわねぇ。使徒様に見初められるなんて名誉な事よ。」
「院長先生、違います。ドロシーさんの名誉の為にも言いますけど、私とドロシーさんはそんなんじゃありませんよ。」
ドロシーさんに迷惑が掛かるといけないから一応建前としてそう言っておかないと。
そう思って言ってみたんだけど
「やっぱり私じゃダメなの?」
「うっ……。」
ドロシーさんたら、そんな子犬みたいなつぶらな瞳でこっちを見ないで。
胸の奥がキューンってなっちゃうじゃない。
私はそうゆう儚い系に弱いのよ。
「ダ ダメでは……ないわ。」
「ホント?」
パァーっと向日葵のような明るい笑みがこぼれる。
「「「「「にやにや」」」」」
皆がこっちを見て「素直じゃないなぁ」的な生温かい目でニヨニヨとしている。
くっ、これは何気に悔しいぞ。
でもニコニコ顔のドロシーさんを見た後じゃ何も言えないよ。
「もう、こっち見ないでよっ。」
私は頬を赤く染めながら照れ隠し的にツンとしてみる。
ちょっとオコなオルカさんを演出しつつプイっと横を向く。
「はぁぁ、怒ったオルカさんも素敵。」
「オルちゃんいい♪」
「まぁ、お可愛らしい使徒様。」
「ちょっと滾りますわね。」
まだ何か言ってる。
はい、もういいです。
好きに言ってて下さい。
皆が盛り上がっている間に私はドロシーさんが纏めたって言う「損益計算書」を眺めていた。
元世界の決算書に相当する年間の収支表をドロシーさんが改革をする前とで軽く比較してみた。
するとその違いは歴然としていて年間に掛かる費用が格段に少なくなっている。
まずは食材費、こんなにも違うの? これ違い過ぎない? 何かの間違いじゃなくて?
そう思うくらい金額が少なくなっている。
これ元世界なら上へ下への大騒ぎだよ?
それくらいインパクトのある大事件だから。
あ、いや、流石にこれだけ違うとこっちでも大騒ぎか。
元世界の元帳、こっち世界なら納品した食材の木札をひっくり返しての確認作業に追われただろうな。
どこの店でどのくらい違ったのか確認は必要だものね。
何でも不正を働いていた商店は一様に必死に言い訳を並べ立てていたらしいけど、軒並み取引を切られたそうだ。
まぁ、当たり前よね。。
あと光熱費も少なくなってるね。
元世界で光熱費と言ったら電気代とかガス代なんだけど、こっちの世界だと魔石を買うお金に余裕のある貴族や富裕層以外は基本的に薪代だ。
その薪代もハッキリと分かるくらい少なくなっている。
院長先生をはじめとしてサラさんやパメラさんが着服するとは思えないから、調理場を取り仕切っていた料理人が竈に使う薪を購入する際に自分の家で使う分を一緒に買ってお代は教会に支払わせていたんだろう。
しかしそれもドロシーさんが料理人をクビにしたおかげで薪代もグンと下がったって。
そこで生まれた金銭的余裕は孤児たちの福利厚生に充てる。
比較的新しい中古服を買ってボロボロだったツギハギだらけの服は雑巾におろす。
シーツや毛布なんかも程度の良い中古を買って来る。
傷んでいた孤児院の壁や扉、家具の修理。
使えなくなった物は纏めて道具屋に売るなりして少しでも資金を回収。
全般的な生活の質の向上、それが目的。
うん、ドロシーさん八面六臂の活躍だね。
マジですごいわ。
元世界の会社組織の中でこれだけの仕事をしたら「キャリアウーマン」とか「才女」とかって言われて管理職に抜擢されるのは必至だね。
だって、それくらいのとんでもないお仕事だもん。
ドロシーさんてデキる子だったんだね。
同じ日本人(推定)って事もあるし是非ともお近づきにならなきゃ。
ドロシーさんとパーティ組むのも悪くないかも?
うん、それいいね。
私あったまイイ~。
今日知り合ったばっかだから今すぐなんて無理だろうけど、その内ね。
アルマさんとアイザックさんのが終わったら聞いてみようっと。
その為にもまずは一回一緒に行かなきゃ。
早速明日あたり一緒に依頼でもこなしてみるか。