二日目 ①
昼休みになったのは、十二時を少し過ぎた頃だった。
水瀬悠真は午前中に届いたメールを最後まで返してから、椅子の背にもたれた。昨日は帰宅してから昔の卒業アルバムまで引っぱり出したせいで、いつもより寝るのが遅くなっている。
「水瀬、飯行こうぜ」
田中が財布を持って立っていた。
「今日はカップ麺じゃないんですか」
「何の話?」
「昨日、来月からカップ麺って言ってたじゃないですか」
「まだ今月だろ」
「絶対来月も同じこと言いますよね」
「来月の俺を信用しろ」
「一番信用できないやつです」
そんなことを言いながら立ち上がったところで、机の上のスマートフォンが震えた。
何となく画面を見る。
表示されていた名前に、悠真の足が止まった。
『今日暇?』
朝倉美月。
昨日会ったばかりなのに、もう連絡が来た。
「どうした?」
田中が横から聞く。
「いや、何でもないです」
「その顔で?」
「どんな顔ですか」
「ちょっと嬉しそうな顔」
「してません」
「女?」
「違います」
「答えるの早いな。女だな」
「高校の同級生です」
「女じゃん」
「そういう意味じゃなくて」
「はいはい」
田中は楽しそうに笑いながら先に歩き出した。
悠真はもう一度画面を見る。
『今日暇?』
短い一文。
昨日、美月は「また今度は禁止」と言っていた。
だからと言って、次の日に誘ってくるとは思っていなかった。
『仕事』
そう返すと、すぐに既読がついた。
『知ってる』
「じゃあ何で聞いたんだよ」
思わず声に出す。
『仕事終わった後は?』
『特に予定ない』
『じゃあ暇じゃん』
『仕事してる人に今日暇?って聞くなよ』
『細かいなあ』
悠真は少し笑った。
『何かあるの?』
しばらくして返事が来る。
『買い物付き合って』
『何買うの』
『まだ決めてない』
『それ買い物って言う?』
『見てから決めるの』
『一人で行けば』
送ってから、少し冷たかったかと思った。
取り消そうとしたところで、美月から返ってくる。
『嫌ならいいけど』
たったそれだけ。
悠真は数秒画面を見つめた。
『行くよ』
『どっち』
『買い物』
『最初からそう言えばいいのに』
最後に笑っているスタンプが届いた。
「水瀬、置いてくぞ」
「あ、はい」
悠真はスマートフォンをポケットにしまい、田中を追いかけた。
昼食は駅近くのラーメン屋だった。
田中は大盛りに餃子まで付けていた。
「ランドセル代は?」
「それとこれは別会計」
「財布は一つですよね」
「うるさいな。ところで、さっきの同級生」
「何ですか」
「最近会ったの?」
「昨日、六年ぶりに」
「それで今日また会う?」
悠真は箸を止めた。
「何で知ってるんですか」
「顔」
「だから俺、どんな顔してるんですか」
「分かりやすい顔」
田中はラーメンをすすったあと、何でもない調子で続けた。
「昔好きだったとか?」
「何でそうなるんですか」
「反応がそうだから」
「違います」
「じゃあ違うんだな」
「……高校の時は、まあ」
「ほら」
田中がにやりとする。
「昔の話です」
「本人には?」
「言ってません」
「何で?」
「何でって……言う必要なかったからですよ」
「好きだったのに?」
「その時はいろいろあるじゃないですか。受験とか、卒業とか」
「卒業した後は?」
「大学が別だったんで」
「連絡は?」
「そのうちしようと思ってたら六年経ちました」
言ってから、自分でもひどい話だと思った。
田中も少しあきれた顔をする。
「お前の『そのうち』、長いな」
「昨日も似たようなこと言われました」
「その子に?」
「はい」
「じゃあ今日はちゃんと行けよ」
「行きますよ」
「明日になったら気が変わるかもしれないぞ」
「今日の約束ですから」
「そうじゃなくて」
田中は何か言いかけて、やめた。
「まあいいや」
「何ですか」
「別に」
「気になるんですけど」
「そのうち教える」
「それ俺のやつじゃないですか」
二人で笑った。
午後の仕事は、いつもより少しだけ長く感じた。
急ぎの仕事があるわけではない。むしろ普段より順調だった。それでも時々時計を見てしまう。
五時半を過ぎる。
美月からメッセージが来た。
『終わりそう?』
『あと少し』
『駅前いる』
『早くない?』
『暇だから』
『俺には今日暇?って聞いたくせに』
『私は暇なの』
悠真は資料を保存した。
田中が横からこちらを見る。
「行ってこい」
「まだ何も言ってません」
「顔」
「その顔判定やめてもらえます?」
「明日結果教えろよ」
「何の結果ですか」
「知らん」
悠真はため息をつきながら会社を出た。
駅前まで歩く。
昨日美月と再会した交差点を通った。
ほんの一日前のことなのに、少し前の出来事のように感じる。
待ち合わせ場所に着くと、美月は駅ビルの入口近くに立っていた。
悠真を見つけると軽く手を上げる。
「お疲れ」
「待った?」
「十分くらい」
「先に見てればよかったのに」
「一人で見てもつまんないじゃん」
美月は当たり前のようにそう言った。
「で、何買うの?」
「服とか」
「とか?」
「靴とか」
「決まってないじゃん」
「だから見てから決めるって言ったでしょ」
「俺いる?」
「いる」
「何のために」
「荷物持ち」
「帰るわ」
「冗談だって」
美月が笑いながら悠真の少し前を歩く。
その背中を追いながら、悠真はふと思った。
昨日の朝まで、この人と今日一緒に買い物をするなんて想像もしていなかった。
六年間、一度も会わなかった。
それなのに一度会ってしまえば、昔みたいに話せる。
「悠真」
「ん?」
「これどう思う?」
美月が一枚のシャツを自分の体に合わせていた。
「いいんじゃない?」
「ちゃんと見て」
「見てるよ」
「何色がいい?」
「今持ってるやつ」
「これ?」
「うん」
「理由は?」
「美月っぽい」
言ったあとで、自分でも少し恥ずかしくなった。
美月は何も言わず、シャツをもう一度見る。
「……じゃあこれにしようかな」
「そんな簡単に決めるの?」
「悠真がいいって言ったから」
「俺、服分かんないよ」
「知ってる」
「じゃあ聞くなよ」
「いいの」
美月はシャツを持ってレジへ向かった。
悠真はその後ろを歩きながら、昨日よりも少しだけ意識してしまう自分に気づいていた。
高校時代の好きだった気持ち。
それが単に懐かしくなっているだけなのか。
それとも、まだどこかに残っていたのか。
今はまだ分からない。
だから、急いで答えを出す必要もないと思った。
店を出ると、美月が紙袋を悠真に差し出した。
「はい」
「何」
「荷物持ち」
「冗談じゃなかったのかよ」
「半分冗談」
「半分は本気じゃん」
「持ってくれる?」
「一個だけだろ」
悠真は紙袋を受け取った。
「ありがと」
美月が笑う。
その顔を見てしまうと、断るほどのことでもなかったと思う。
「次どこ行く?」
悠真が聞いた。
「疲れた?」
「まだ一軒しか行ってないだろ」
「じゃあ、もうちょっと付き合って」
「はいはい」
「その言い方、昔から変わってない」
「美月も人使い荒いの変わってない」
「そんなことないよ」
「文化祭の時、俺に全部荷物持たせたの誰だよ」
「あれは悠真が持つって言ったんでしょ」
「言わされたんだよ」
「そうだっけ?」
「都合の悪いことだけ忘れるな」
二人は笑いながら次の店へ向かった。
昨日よりも距離が近い。
それでも悠真は、その変化をまだ「恋」と呼ぶほどには考えていなかった。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
今日、美月から連絡が来た時。
少し嬉しかった。
それだけだった。
今は、それだけで十分だった。




