一日目 ②
美月から連絡が来たのは、その日の夜八時を少し過ぎた頃だった。
『明日とか言ってたら絶対そのまま半年くらい経ちそうだから、今日ご飯行かない?』
悠真は風呂から出たばかりだった。
髪をタオルで拭きながらメッセージを読む。
「今日?」
時刻を見る。
二十時七分。
少し遅い気もする。
ただ、予定はない。
冷蔵庫には冷凍チャーハンと卵しか入っていなかった。
『今から?』
『今から』
『行動力すごいな』
『悠真がなさすぎるだけ』
そこまで読んで、悠真は笑った。
『分かった。どこ?』
返事はすぐ来た。
家から歩いて十五分ほどの所にあるファミリーレストランだった。
着替えて外へ出る。
夜の空気は少しだけ涼しい。
駅前ほど人はいなかったが、道路にはまだ車が多かった。
店に着くと、美月は窓際の席にいた。
「早くない?」
「家近いから」
「俺も近いけど」
「悠真が遅いんじゃない?」
「連絡来てから二十分で来たんだけど」
「高校の時なら十分で来てた」
「高校生と二十四歳を比べるなよ」
「歳取ったね」
「まだ二十四」
「田中さんと同じこと言ってる」
「誰?」
「会社の人」
向かいに座る。
メニューを開く。
「何食べる?」
「パスタかな」
「六年ぶりの再会でファミレスってすごいな」
「悠真、こういうの嫌?」
「全然」
「でしょ」
美月は満足そうにメニューをめくった。
注文を終えると、自然と高校時代の話になった。
「あの先生まだいるのかな」
「数学の?」
「そう。いつもチョーク折ってた人」
「ああ、いたな」
「悠真、よく怒られてたよね」
「寝てただけ」
「授業中寝て怒られるの普通だから」
「ちゃんとテスト取ってたからよくない?」
「そういう問題じゃない」
「美月だって化学の時間寝てたじゃん」
「寝てないよ」
「完全に寝てた」
「目閉じて考えてただけ」
「何を?」
「将来について」
「絶対嘘」
二人で笑う。
六年間の空白は思ったより簡単に埋まった。
大学の話。
高校の友人が今何をしているか。
文化祭でクラス全員が遅くまで残ったこと。
体育祭で美月が転んだこと。
「それ覚えてるの最悪」
「目の前だったし」
「悠真、笑ってたよね」
「笑ってない」
「絶対笑ってた」
「心配してた」
「笑いながら?」
「優しい笑顔」
「最悪」
料理が届いた。
美月がフォークでパスタを巻きながら、ふと思い出したように言う。
「そういえばさ」
「ん?」
「高校の時、私に好きな人いたって知ってた?」
悠真のフォークが止まった。
「急だな」
「昔話してたから思い出しただけ」
「知らない」
「嘘。噂とか聞かなかった?」
「全然」
「意外」
「誰?」
「教えない」
「なんでだよ」
「今さら言ってもしょうがないし」
「同じ学校?」
「そう」
「同じクラス?」
「質問は禁止」
「もういいよ」
「気になる?」
「少し」
「少しなんだ」
美月が意味ありげに笑う。
「じゃあ悠真は?」
「何が?」
「好きな人」
「いたよ」
「え」
今度は美月のフォークが止まった。
「いたの?」
「いた」
「知らなかった」
「言ってないからな」
「誰?」
「教えない」
「私には聞いたじゃん」
「美月も教えなかっただろ」
「同じ学校?」
「質問は禁止」
「むかつく」
美月が笑う。
悠真も笑いながら水を飲んだ。
胸の奥が少しだけ騒がしかった。
好きだった人。
目の前にいる。
そんなことを今さら言う必要はないと思った。
六年前の話だ。
卒業式の日も言えなかった。
大学に入ったら、どうでもよくなると思っていた。
実際、美月のことを何年も考えない時期もあった。
それなのに今日会っただけで、当時の感覚が少しずつ戻ってきている。
「悠真?」
「ん?」
「ぼーっとしてる」
「してない」
「してたよ」
「仕事で疲れてるだけ」
「社会人っぽい」
「美月も社会人だろ」
「私はちゃんとした社会人だから」
「俺がちゃんとしてないみたいに言うな」
食事を終えても、二人はしばらく店にいた。
コーヒーを追加して、昔話を続ける。
高校三年の文化祭。
受験。
卒業式。
そこから大学生活。
仕事。
六年分すべてを話せるわけではない。
それでも、知らない時間を少しずつ交換していくような感覚があった。
「転職とか考えないの?」
美月が聞いた。
「俺?」
「うん」
「今のところは別に」
「今の仕事好き?」
「好きでも嫌いでもないかな」
「悠真らしい」
「どういう意味」
「昔からそうだったじゃん。何か絶対これがしたい、みたいなのあんまりなかった」
「悪かったな」
「悪いって言ってないよ」
「美月は?」
「私はちょっと考えてる」
「転職?」
「うん。まだ決めてないけど」
「へえ」
「そのうちちゃんと話す」
「何それ」
「今日は昔話の日だから」
「勝手に決めたな」
「次があるんだからいいでしょ」
その言葉に、悠真は一瞬だけ美月を見る。
「次?」
「何。もう会わないつもりだった?」
「いや」
「じゃあいいじゃん」
「まあな」
店を出た頃には十時を過ぎていた。
二人で少し歩く。
分かれ道まで来る。
「今日はありがと」
美月が言った。
「俺何もしてないけど」
「来てくれたじゃん」
「誘われたから」
「そういうところも変わらないね」
「何が?」
「別に」
「なんだよ」
「また行こうね」
「うん」
「いつ?」
悠真は少し考える。
「また今度な」
口にした瞬間、美月がじっとこちらを見た。
「何」
「悠真の『また今度』って、信用できないんだよね」
「今日も同じこと言われた」
「誰に?」
「田中さん」
「じゃあ直した方がいいんじゃない?」
「そのうちな」
「それも信用できない」
美月が吹き出した。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
「またね」
「うん。また」
美月が歩き出す。
悠真も反対方向へ向かう。
少ししてスマートフォンが震えた。
『今日は楽しかった』
悠真は歩きながら返信する。
『俺も』
数秒後。
『ちゃんと次もあるからね』
『分かってる』
『また今度は禁止』
『厳しいな』
『じゃあね』
そこで会話は途切れた。
悠真は画面を消した。
「また今度、か」
口にすると、本当にいつになるのか分からない言葉だった。
高校を卒業した時も、似たようなことを言った気がする。
また会おう。
また遊ぼう。
いつでも連絡できる。
そう思っていたら、六年経った。
「まあ、今度はそんなに空かないだろ」
悠真は一人でつぶやいた。
その言葉を疑う理由は、どこにもなかった。




