六日目 ①
目覚ましが鳴るより先に、悠真は目を覚ました。
カーテンの隙間から朝の光が入っている。
枕元のスマートフォンを取ると、午前六時二十八分だった。
「早すぎるだろ」
いつもなら二度寝する時間だ。
けれど今日は、目を閉じても眠れそうになかった。
昨日の夜に書いたメモを開く。
『美月にちゃんと言う』
たった一行。
何度見ても内容は変わらない。
「分かってるって」
自分で書いた文字に返事をして、悠真はベッドから起きた。
テレビをつける。
画面が少し暗い。
「あれ?」
リモコンを何度か押す。
一つ目のチャンネルは普通に映った。
二つ目も映る。
三つ目。
『現在放送を休止しています』
昨日と同じだった。
さらに別のチャンネルへ変える。
そこも、
『現在、この放送はご覧いただけません』
という文字だけが出ていた。
「また増えてる」
ニュース番組へ戻す。
アナウンサーが天気予報を読んでいる。
『本日の天気です』
表示された地図を見て、悠真は少し違和感を覚えた。
「……狭くない?」
いつもなら全国の天気が出る。
今日は自分の住んでいる地域と、その周辺だけ。
北の方も。
南の方も。
地図自体が表示されていなかった。
数秒後、画面下に小さな文字が流れる。
『現在、一部地域の情報を取得できません』
「また障害か」
最近本当に多い。
スマートフォンでニュースを開いてみる。
一部の記事は表示されない。
天気予報アプリも、自分の町の情報しか出なかった。
それでも、悠真はすぐに画面を閉じた。
今日は仕事が休みだった。
そして、美月に会う。
そちらの方がずっと重要だった。
洗面所へ行き、顔を洗う。
鏡を見る。
「普通でいいよな」
服を何にするかで、少し迷った。
普段なら適当に決める。
今日は一度着たシャツを脱ぎ、別のものに変えた。
そのあと、
「何やってんだ俺」
と笑った。
八時を少し過ぎた頃、スマートフォンが震える。
美月。
『起きてる?』
『起きてる』
『珍しい』
『今日何回珍しいって言われるかな』
『まだ一回目』
『昨日まで散々言われた』
『今日はもっと言うかも』
悠真は笑う。
『何時にする?』
『十時くらい?』
『駅前?』
『うん』
『了解』
数秒して、もう一件。
『今日は何する?』
悠真は少し考えた。
映画。
買い物。
遠くへ出かける。
いろいろできる。
でも、なぜか特別なことをしたいとは思わなかった。
『何でもいい』
美月からすぐ返ってくる。
『一番困るやつ』
『じゃあ美月決めて』
『また私?』
『今日は任せる』
『じゃあ普通でいい?』
悠真はその言葉を見た。
『普通?』
『喫茶店行ったり、本屋見たり。そのへん歩いたり』
『いいよ』
『ほんと?』
『そういうのでいい』
『じゃあ普通に過ごそ』
『了解』
その一文が、妙に嬉しかった。
どこへ行くかより、誰といるかの方が大事なのだと思う。
そんなことを昔の自分なら恥ずかしくて考えもしなかっただろう。
九時半。
悠真は家を出た。
駅へ向かう途中、いつも使っているコンビニの前を通る。
入口に紙が貼られていた。
『本日は商品の入荷がありません』
「入荷がない?」
中を見る。
客はいる。
ただ、棚には空いている場所がかなり増えていた。
飲み物。
弁当。
パン。
店員が空の棚を整理している。
一瞬だけ気になった。
でも、物流のトラブルか何かだろう。
最近いろいろなものの調子が悪い。
悠真はそのまま駅へ向かった。
駅前には普段より人が少なかった。
電光掲示板を見る。
『一部列車 運休』
「今日もか」
そこまで珍しくはない。
隣にいた会社員らしい男も、
「またかよ」
と言っただけだった。
誰も騒いでいない。
悠真も同じだった。
「悠真」
声がする。
振り返る。
美月が立っていた。
淡い色のシャツ。
二日目に悠真が選んだものだった。
「それ」
「気づいた?」
「買ったやつだろ」
「正解」
「似合ってる」
自然に言えた。
美月が少し目を丸くする。
「何?」
「いや」
「似合ってない?」
「違う。悠真が普通に言うから」
「似合ってるから言っただけ」
「……そっか」
美月は少しだけ嬉しそうに笑った。
「行く?」
「うん」
二人は並んで歩き出す。
「で、どこ行くの?」
「とりあえず喫茶店」
「朝食べてきたけど」
「コーヒーだけでもいいじゃん」
「美月は?」
「食べてきた」
「じゃあ何で喫茶店」
「話せるから」
「電話でも二時間話したじゃん」
「会って話すのは違うでしょ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
最近、美月によく言われる言葉だ。
二人は駅から少し離れた喫茶店へ入った。
昔からある店だった。
店内には木のテーブルが並び、朝の光が窓から入っている。
「ここ高校の時来たことある?」
美月が聞く。
「一回だけ」
「誰と?」
「友達」
「女?」
「男」
「何でそこ確認するんだよ」
「一応」
「美月は?」
「私は何回か」
「誰と?」
「友達」
「男?」
「女」
「一応」
「真似した」
二人で笑う。
コーヒーを注文する。
美月は小さなケーキまで頼んだ。
「朝飯食ったんじゃなかった?」
「甘いものは別」
「朝から?」
「何時でも別」
「便利だな」
「悠真も食べる?」
「いらない」
「絶対あとで欲しくなるよ」
「ならない」
数分後。
「一口ちょうだい」
「ほら」
美月が笑う。
「分かりやすいね」
「ちょっと気になっただけ」
「はい」
美月がフォークで小さく切り、皿を悠真の方へ寄せる。
「自分で食べるよ」
「どうぞ」
悠真は一口食べた。
「うまい」
「でしょ」
そんなことをしていると、今日が大事な日だということを忘れそうになる。
いや。
たぶん、こういう時間こそ大事なのだ。
悠真はそう思った。
美月がコーヒーを飲みながら聞く。
「昨日の約束、覚えてる?」
「覚えてる」
「本当に?」
「だから逃げないって」
「じゃあいつ言う?」
「今?」
美月が少し慌てた。
「いや、今じゃなくても」
「何で美月が止めるんだよ」
「心の準備が」
「昨日散々言ってただろ」
「そうだけど」
悠真は笑う。
「じゃあ後で」
「うん」
「今日中には」
「約束」
「約束」
美月は安心したように息を吐いた。
その姿を見て、悠真は思う。
今日。
ちゃんと言う。
もう明日には延ばさない。
そんなことを考えながら、二人は何でもない朝を過ごした。




