表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/65

第55話:夜の特訓と、お嬢様のパジャマ事情

旧校舎の備品倉庫での水漏れ騒動から帰宅した俺たちは、泥だらけの身体を交互にシャワーで洗い流し、ようやくリビングのソファに倒れ込んだ。


「……っ、疲れたぁ……」

「お疲れ、奏羽。文化祭の資材、無事でよかったな」


俺が麦茶を二つ持ってリビングに戻ると、奏羽はソファのクッションを抱きしめ、完全に脱力していた。

シャワー上がりの彼女は、またしてもあの「もこもこルームウェア(ショートパンツ)」姿だ。

いくら同棲生活に慣れてきたとはいえ、濡れた黒髪と無防備な薄着のコンボは、俺の疲労困憊の脳に別の意味でダメージを与えてくる。


「……湊くん、ありがと」


奏羽は身を起こし、俺からグラスを受け取ってゴクゴクと喉を鳴らした。

そして、そのままコテンと、俺の肩に頭を預けてきた。


「……んー、湊くんの肩、落ち着く……」

「おいおい、寝るなよ。零さんから『三倍の密度で補習する』って宣告されただろ。今日の分の遅れを少しでも取り戻さないと」

「えー? 今日はもう、肉体労働で体力ゼロだもん……」


奏羽は俺の制服の袖口ではなく、今日は俺のTシャツの裾をぎゅっと握りしめ、目を閉じて甘ったるい声を出す。


「それに、わたしが教えるより、湊くんが自分で過去問解いた方が早いし……わたし、ここで湊くんのこと応援してるから」

「応援って、寝てるだけじゃないか」


俺が呆れ半分でツッコミを入れると、奏羽は「ちがうもん」と唇を尖らせた。


「……湊くんが勉強してるの、隣で見てるの好きなの。湊くんの横顔、すごく真剣で……かっこいいから」


「……っ」


不意打ちの褒め言葉に、俺は思わず視線を逸らした。

最近の彼女は、本当にストレートに愛情をぶつけてくる。氷の生徒会長だった頃の反動なのか、それともこれが彼女の「本来の姿」なのか。


「……わかったよ。じゃあ、俺は机に向かうから、お前はソファで寝てろ」

「やだ。……湊くんが机に行くなら、わたしも行く。隣に座る」


奏羽は頑なに俺から離れようとせず、俺がダイニングテーブルに移動すると、彼女も椅子を引きずって俺の真横にピタリとくっついてきた。


「あのな、奏羽。これじゃノートが開けないんだが」

「大丈夫だよ。……わたし、湊くんの邪魔しないように、こうしてるから」


そう言うと、彼女は俺の左腕に自分の両腕を絡ませ、俺の肩に顎を乗せた。

完全に俺の左半身がホールドされている。


「……邪魔しないって、めっちゃ邪魔だろ」

「えへへ……湊くんの体温、あったかい」


(……この状況で、特進クラスの数学を解けと?)


俺は深くため息をつきながらも、シャーペンを握った。

左腕からは、彼女の柔らかい感触と、シャンプーの甘い香りがダイレクトに伝わってくる。

脳のリソースの半分以上が「理性の維持」に持っていかれている状態で、俺は必死に数式と向き合い始めた。


 * * *


「……んっ、湊くん……」


一時間後。

俺の肩に寄りかかっていた奏羽の頭が、カクンと沈み込んだ。

規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら、本当に限界だったらしい。


「……たく。肉体労働の後に、こんな格好で寝たら風邪引くぞ」


俺はシャーペンを置き、彼女の寝顔を見つめた。

無防備に開いた無垢な唇。長いまつ毛が落とす影。

この世界で一番美しい寝顔を、俺だけが独占している。その優越感と責任の重さに、俺は自然と口角が上がってしまった。


「……さて、ベッドに運ぶか」


俺は彼女を起こさないように、そっと左腕を引き抜き、彼女の膝裏と背中に腕を回して抱き上げた。

軽い。日頃からちゃんとしたものを食べているのか心配になるくらい、彼女の身体は華奢だった。


客間のベッドにそっと寝かせ、夏用のタオルケットをかける。


「……んぅ……湊くん、いかないで……」


寝言を漏らしながら、奏羽が俺のTシャツの裾をぎゅっと掴んできた。

その力は、起きている時よりもずっと強い。


「……行かないよ。ちゃんとここで、お前の寝顔見てるから」


俺はベッドの脇に座り込み、彼女の手を優しく握り返した。


(……それにしても、こいつの寝相、どうなってんだ?)


タオルケットの隙間から、彼女のルームウェアのショートパンツがずり上がり、白くて細い太ももがあらわになっている。

さらに、キャミソールの肩紐がずり落ちかけ、胸元の谷間が……。


「……っ!!」


俺は慌てて視線を逸らし、タオルケットを首元までしっかりと掛け直した。


「……本当に、心臓に悪い」


俺は真っ赤になった顔を両手で覆い、深呼吸を繰り返した。

凪瀬夫人からの「学年十位以内」という条件。

一条副会長の「地獄の夏期講習」。

そして、この「無防備すぎるお嬢様との同棲生活」。


俺の夏休みは、あらゆるベクトルで俺を追い詰める、史上最大の試練となっていた。


「……絶対に、十位以内に入ってやる。……この寝顔を、誰にも渡さないために」


俺は決意を新たに、彼女の寝息をBGMにしながら、再びリビングのテーブルへと戻っていった。

夜はまだ長い。俺の孤独な戦いは、ここからが本番だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ