表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/65

第45話:旧校舎の屋上と、精密機械の計算外

「……はぁっ、はぁっ……!」


俺は学園中を走り回っていた。

中庭、昇降口、特別教室の空き部屋。奏羽がいそうな場所を手当たり次第に探すが、どこにも彼女の姿はない。

テスト最終日の放課後ということもあり、生徒たちは部活や遊びへと散り散りになっていて、校舎内は妙に閑散としていた。


(……どこだ。どこにいる、奏羽!)


焦りが全身を駆け巡る。

あのお守りがなければ、彼女は不安に押し潰されてしまう。しかも、相手が特進クラスのトップ・冴木洵だとしたら、どんな冷酷な言葉で彼女を追い詰めているかわからない。


その時、ふと俺の脳裏に一つの場所が浮かんだ。


(……旧校舎の、屋上へ続く階段の踊り場……!)


あそこは、俺と奏羽がお弁当を一緒に食べた、人目につかない秘密の場所だ。

生徒会役員である彼女なら、鍵を開けてさらに上の屋上へ出ることもできる。

パニックになった彼女が、誰にも見られたくなくて逃げ込むとしたら、そこしかない。


俺は全速力で旧校舎へと向かい、薄暗い階段を一気に駆け上がった。

三階を過ぎ、屋上へと続く踊り場に差し掛かる。

そこにあるはずの重い鉄扉が、僅かに開いていた。


「……奏羽!」


俺は扉を押し開け、屋上に飛び出した。

初夏の強い日差しと、生ぬるい風が吹き抜ける。

そして、フェンスの前に立つ二つの人影が、俺の目に飛び込んできた。


「——本当に、滑稽ですね。凪瀬会長」


冷ややかな、人を小馬鹿にしたような声。

冴木 洵だった。

彼は銀縁眼鏡を押し上げながら、フェンスの前にしゃがみ込んでいる奏羽を見下ろしていた。


「返して……!」


奏羽の声は、ひどく震えていた。

彼女は自分の両腕を抱きしめるようにしてうずくまり、冴木を睨みつけている。その瞳には涙が浮かび、呼吸は荒かった。


「返してって言ってるでしょ……! それは、わたしの大切な……っ」

「大切なもの? この、薄汚れた安物のシュシュがですか?」


冴木の手には、見覚えのある紺色のシュシュが握られていた。

彼はそれを忌々しそうに見つめ、鼻で笑う。


「テスト中、貴女がこれを落としたのを拾った時は、まさかと思いましたよ。学年トップを争う孤高の天才が、あのような凡人の持ち物に依存しているなどと」

「……っ!」

「これを握りしめていないと、落ち着いてテストも受けられない。……それが、今の貴女の正体ですか。くだらない。天才は孤独であるからこそ美しいのに、貴女は自らその羽を毟り取った」


冴木の言葉は、刃物のように鋭く奏羽を切り裂いていく。


「……わたしは、天才なんかじゃない」


奏羽が、絞り出すように言った。


「わたしはただ……怖かっただけ。お母様の期待も、周りの目も、全部怖くて……一人じゃ、夜も眠れなかった。……でも、湊くんが……湊くんが隣にいてくれたから……」

「だから、彼に依存したと? 愚かですね。そんな不確かなものに縋れば、いつか必ず足元をすくわれる」


冴木はシュシュを高く掲げ、フェンスの向こう側——地上へと放り投げようと腕を振りかぶった。


「やめてぇっ!!」


奏羽が悲鳴を上げ、立ち上がろうとしたその瞬間。


「——そこまでだ、冴木」


俺は、冴木の腕を背後から思い切り掴んだ。


「……風森くん」


冴木が驚いたように振り返る。その顔には、一瞬だけ計算外の事態に対する焦りが浮かんでいた。


「……湊、くん……っ!」


奏羽が、俺の姿を見るなり、弾かれたように俺の胸に飛び込んできた。

俺は冴木から奪い取るようにしてシュシュを引ったくり、片手で奏羽の震える肩を強く抱きしめた。


「遅くなってごめん、奏羽。……もう大丈夫だ」

「湊くん……っ、湊くん……っ!」


彼女は俺の制服の胸元をぎゅっと握りしめ、声を上げて泣きじゃくった。

俺の匂いと体温を感じて、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。


「……チッ。邪魔が入りましたか」


冴木は舌打ちをし、乱れた制服の袖を直しながら俺を睨みつけた。


「風森くん。君は自分が何をしているか分かっているのですか? 彼女を甘やかし、依存させ、弱体化させているのは君だ。……今回のテストも、彼女は僕に勝てないでしょう。そのシュシュがなければ、彼女は本来の実力すら発揮できなかったはずですからね」


「……お前、奏羽がテスト中にこれを落としたからって、わざと返さずに隠し持ってたのか?」

「ええ。彼女がどれほど動揺するか、試させてもらいました」


悪びれもせず言い放つ冴木に、俺の腹の底から静かな怒りが湧き上がってきた。


「……お前は、本当に頭がいいだけの『機械』なんだな」


俺の言葉に、冴木の眉がピクリと動いた。


「人を孤独だとか、依存だとか、データでしか測れない。……奏羽が、俺のお守りなしでテストを最後まで受け切ったって事実も、お前には見えてないんだろ」

「……何?」

「奏羽は、途中でシュシュがないことに気づいても、パニックにならずに最後までテストを解き終えたんだ。……それは、ただ俺に依存してるだけじゃない。俺と一緒に勉強して、俺と一緒に勝つって約束したから、自分の力で踏みとどまったんだよ」


俺がそう言い切ると、腕の中の奏羽が、ハッとして顔を上げた。


「……そうだよ」


奏羽は、涙で濡れた顔のまま、冴木を真っ直ぐに睨み返した。

その瞳には、かつての「氷の生徒会長」の気高さと、俺への愛情から来る「強さ」が宿っていた。


「わたしは、もう孤独な天才なんかじゃない。……湊くんがいるから、わたしは誰よりも強くなれる。……今回のテスト、わたしは絶対に、あんたなんかに負けてない」


奏羽の凛とした宣言に、冴木は初めて、明確な苛立ちを表情に浮かべた。


「……強がりを。結果発表の日を、楽しみにしていますよ。君たちのその甘い幻想が、現実の数字の前に打ち砕かれる瞬間をね」


冴木は冷たく言い捨てると、踵を返して屋上から去っていった。


鉄扉が閉まる音が響き、屋上には俺と奏羽だけが残された。

初夏の風が、二人を優しく包み込む。


「……湊くん」


奏羽が、俺の手からシュシュを受け取り、大切そうに両手で包み込んだ。

そして、そのまま俺の首に腕を回し、背伸びをして——。


「んっ……」


俺の唇に、深く、甘いキスを落とした。

涙の味が混ざった、けれどどこまでも熱いキス。


「……ありがとう、湊くん。助けに来てくれて」

「当たり前だろ。……俺の特等席を、あんな奴に奪わせるかよ」


俺が彼女の腰を抱き寄せると、奏羽は「えへへ……」と幸せそうに微笑み、再び俺の胸に顔を埋めた。


テストは終わった。

あとは、結果を待つだけだ。

凪瀬夫人との約束。冴木への宣戦布告。

全ての運命が決まる「順位発表」の日は、もうすぐそこまで迫っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ