281.黄鱗帝国過去編2
「黄鱗帝国の後宮では、一度でも皇帝の手が付くと側室という扱いになる。だが、子を産んでいるのは十人ほどだ。だから我の兄弟は……先日十六人目が生まれたのだったか? その内の七人が死んだから姉が一人と弟妹が八人だな」
延景は馬車の天井を見上げながら説明した。
蘭は生まれた人数と死んだ人数に、エルフの感覚ではありえないと頭を抱えた。
「どうしてそんなに子が死んでいるんだ。大事にされていなかったのか?」
エルフの里では、基本的に幼子は里全体で大切に育てる。
即死するような怪我でもしない限り、成人まで育つのが普通だった。
「幼子はよく病気になるからな。それに……、後宮に入ればよほどの事がない限り外には出られないのだ。ある意味ずっと閉じ込められているようなものだから、色々と……な」
「ふぅん? そんなに気が滅入るほど狭いところに押し込められているのか?」
「狭い……わけではない、と思う。女ばかりが二千人近くいるから、問題が起こらない方がおかしいのだろう」
こうして蘭は移動中に黄鱗帝国の常識を学びながら過ごし、ひと月近く経った頃、都が見えたと護衛が声をかけてきた。
蘭は馬車のカーテンを開けて外を覗き、これまで見た事もない大きさの町に言葉を失う。
「すごい……! 全体的な大きさがわからないくらい大きい! 他の国の王都をいくつも見たが、これほど広大な町は見た事がない!」
「ははは、何せ黄鱗帝国の都だからな! 大陸中の物が集まって来るから、何でも手に入るぞ。時々違う大陸の品も届くから、退屈はせぬだろう」
目を輝かせる蘭に、延景は眩しいものを見るように目を細めた。
「なぁ蘭、我が言った事は考えてくれたか?」
「……城に滞在するために、延景の側室になるフリをする事か?」
「そうだ。でなければ万が一にでも、父上が蘭を欲しがったらと思うと……」
苦々しい表情を浮かべる延景を見ながら、蘭は思考を巡らせる。
(確かに四十人に手をつけるような好色な皇帝であれば、今の私に目を付ける可能性は高いな)
「側室はあくまでフリで、お前と私は友だ。間違っても私に手を出そうとしたら、お前を殺して逃げるかもしれないぞ」
二人は出会って数日ですっかり打ち解け、お互いを名前で呼び合う仲になっていた。
あくまで二人きりの時だけ、という条件のため、延景は蘭と二人きりにするようにという命令を出していたため、周りはすっかり二人が恋仲だと思い込んでいる。
だが、実際はあくまで気の置けない友という感覚だ。
「怖い怖い。わかっているさ。我と東宮妃の間にまだ子がおらん。だが、東宮妃の事は愛しく思っているから泣かせるような事はしたくない。それに蘭、お前を怒らせるような事もな。だから安心しろ」
「わかった。東宮妃には秘密裏に本当の事を話すとして、その提案を受け入れよう」
「よかった! ありがとう蘭!」
こうして蘭の立場は東宮の側室候補と決まり、同行していた者達に周知された。
都に到着しても、城までの距離はそれなりにある。
蘭はこれまで通ってきた町や村に比べて、段違いの道の広さと人の多さに圧倒されながら街並みに見入っていた。
「蘭、城壁が見えてきたぞ。今日はこのまま我の住んでいる東宮殿へ向かうからな」
「……わかった。それにしても、城壁の端が見えないのだが? その辺の町がまるごとひとつ入ってしまうのでは?」
蘭は左右の窓から交互に城壁を見渡しながら言った。
そんな蘭を見て、延景は笑いながら答える。
「ははは。それはそうだろう。言っただろう? 後宮だけで二千人ほど、城の家臣の家も数軒どころじゃなくある。店のある区画もあれば、職人がいる区画もある。城壁の外から通うのは大変だから、中に住んでいる者が多い。区画ごとに門があるから、慣れない者はよく迷うのだ」
実際、いくつもの門を通り、馬車が止まった。
同時に鈴を転がしたような愛らしい声が響く。
「東宮様、おかえりなさいませ。ご無事のお戻り、何よりでございます」
「おお、翠琴! 今戻ったぞ」
延景は飛び出すように馬車を降りると、翠琴の手を取った。
翠琴は照れて俯く。
周りの従者達はほっこりとしながらその光景を見ていたが、ここまで共に旅をしてきた者達の胸中は複雑である。
「翠琴、あとでゆっくり話すが、旅の途中で側室にする者を拾ったんだ。蘭、こちらへ」
言われて蘭は馬車を降りた。
今の蘭の姿は、途中で購入した黄鱗帝国の貴族の娘の格好をしている。
金糸の髪に、翠玉の瞳、透き通るような肌、そして何よりその場にいた全員にとってこれまで見てきた誰よりも美しかった。
「何て愛らしいのでしょう。先ほど聞いた声も可愛らしいと思いましたが、その声にぴったりの姿ですね。……失礼しました。私はエルフの蘭と申します。父を亡くして途方に暮れていたところを東宮様に拾われましたの」
悲しみを耐えながら、無理やり笑顔を作っている。
その場の誰もがそう思ったが、実際は演技だ。
内心蘭はまだ幼さの残る目の前の少女を見て、御しやすそうだと値踏みをしていた。
何せその少女は蘭の美しさに見惚れ、すぐに側室になる事を思い出したのだろう、瞳を揺らしてわかりやすく動揺していたのだから。




