久手月村と少女 そのに
辺りは、光に包まれていた。
夕暮れ、というヤツだ。
木造の家々や、アスファルトでない地面を渡り歩く光は、辺りをオレンジ色に染め上げている。
いわゆる都会と呼ばれる場所でずっと生活していた所為か、混じりっ気の無い、こんな光を見るのは初めてかもしれない。
結構ムードが出るシチュエーションだ。
例えば――覚さんなら。その姿は、まさに神秘的だろう。
あの真っ白な肌だ。どれだけ見映えする事か。
夕焼けを背にして見詰め合う、僕と覚さん。
きっと優しい言葉をかけてくれるに違い無い。
今日は疲れたでしょう?
肩でも揉んであげようか?
この村は気に入ってくれた?
その言葉を遮り、あの真白い髪に手を伸ばす。
そして、僕もまた優しく耳元でささやいて……!
「……はぁ」
思わずため息が出た。
そんな事が、万が一にもある訳が無いじゃないか。覚さんは、どう考えてもそんなロマンチストじゃ無い。
さっきまで覚さんが近くに居たので、煩悩がせき止められていたせいだろう。
碌な事を考えやしない。
学校を出る前に、僕は一枚の地図を覚さんに渡されていた。
地図は非常にわかりにくいモノで、最初は意味さえわからなかった。
何しろ、妙な生物が多数登場する上に、やたらと民家の情報が詰め込まれている。
三丁目の山田さんの家の野菜は美味しい。
同じく、石井さんは縫い物が得意で、服を直してくれる。
そんな取り止めの無い、地域密着型のお得情報が、ウサギともネコともつかないような少ない曲線で構成された生物によって説明されている。
おそらく覚さんが書いたのだろう。
天が彼女に美的センスを与えなかった事は明白だった。
まぁ、そんなある意味不毛な地図と睨めっこを繰り広げ、ようやく発見したのが、村の東側の外れにある家だった。
そこが、僕がこの村で住まう事になる場所らしい。
この村を僕の留学先とするなら、ホームステイという形になるか。
それが一年になるか、はたまた一生になるかは、わからないが。
石ころが無作為に転がる道を歩きながらも、僕の意識は前には無かった。
一言で言うならば、思い切り沈んでいる。
この気の重さは、手に引くキャリーバッグの重みに起因している訳じゃない。
肉体的にしんどいとか、子供達の様子に圧倒されたとか、覚さんが何歳か気になるだとか、件の『聖鳥様』が何なのかだとか、ユリというのはどんな少女なのか、覚さんの鬼のような形相はなんだったのか、その他諸々。
気になることは、それこそ腐るほどあったが、何よりも腑に落ちない事が一つ、あった。
あまり考えたくは無いが、それは、『父親は僕を捨てたのでは無いか?』という疑問だった。
便宜を計っててくれたのではなく、体のよい追い出しだったのではないか。
この状況を考えると、そんな気もしてこようという物である。
なにせ、あの父親の事だ。
面倒くさくなって、ポイ。という事も、ありえるような気がする。
少々失礼では、と思うかもしれないが、本当にそういうヤツなのだ。アイツは。
――僕の父親は、ロクデナシだ。
それも、筋金入りの。
四歳の時に、母親といざこざがあって離婚した時、僕はアイツに笑顔で呼びかけられた事を、今でもはっきりと覚えている。
「俺が、お前をずっと守ってやるからな」
嘘だった。
大嘘だ。
顔も良く覚えていないが、僕の母親も多分あの気のいい、それでいて頼もしくも見えるあの笑顔にコロリと騙されてしまったのだろう。
実際のアイツの行動はというと、もうめちゃくちゃだった。
小学校低学年の僕を放っておいて、自分は競馬場に行ってしまうし、土日連続で昼間っから酔いつぶれているなんてのはしょっちゅうだった。
それに、もう思い出したくも無いのだが、よく殴られた。
友人と一緒に遊びに行って、少し帰りが遅くなった時。
先生に怒られて、家に電話が来た時。
夕食のブロッコリーを残した時。
そりゃもう散々だった。何度家出してやろうと思ったか。
だが、そんなアイツにも、やたらとかっこよく見える時があった。
パソコンを使って、株の取引をしている時である(今になって思うと、馬券を買っていたのかもしれないが)。
なんでも、そういう才能は凄かったらしく、全然働いているようには見えなかったが、金だけは持っていた。
一日中パソコンの前に座って、小難しい顔をしながら、煙草をふかしている様子などは、本当にサマになっていたように思う。
なんというか、『敏腕ビジネスマン』とか、そんな感じだ。
今思うと、僕はアイツの、そんな非凡な才能を所有しているところに、大なり小なり憧れを持っていたのかもしれない。
そんな事を考えていると、アイツの顔が、やたらと鮮明に浮かんできた。
男のおしゃれだ、とか言って生やしていた、似合わない無精髭。
外に出る時は必ずつけていた、ド派手なサングラス。
ボサボサの、無造作な汚らしい髪。
頭をぶんぶん振っても、こびりついてくる。
なんてしつこい親父なんだ。
――そうだ。
あんなロクデナシで、ムカつくヤツと一緒にいるぐらいなら、別に、捨てられたっていい。
アイツが僕の事を放り出すなら、僕だって知ったことか。
今までだって、守られた記憶なんてものは欠片ほども無いし、ここらで親離れするのも良い事だろう。
物事は考えようだ。これでアイツからの束縛から逃れられたと考えればいいんだ。
万々歳じゃないか。
何を僕は気を重くしていたんだろう。
もっと楽しい事を考えたほうがいいに決まってる。
ホームステイ先の人――新しい家族に、早く会いたい。もし若い女の子がいれば、最高だ。
学校にも、除々に慣れていけるだろう。子供は嫌いじゃない。
農業にも興味がある。一度畑を耕して見たかった。
この村なら、それも容易だろう。
なんだ、楽しい事ばかりじゃないか!
無理やりに思考をポジティブに持っていこうとした僕を、しかし絶望が待っていた。
ドグシャアァァ―――――!
漫画みたいな音がした。
そう思った瞬間、ただでさえ歩き疲れてズタボロな足に、強烈な痛みが走り、そのまま僕は前のめりに倒れ――、あろうことか、地面に頭を思い切り、勢い良くぶつけてしまった。
痛い。
痺れる程に、痛い。
額から血が出ているかもしれない。
アイツに――親父に殴られた時の非じゃないぞ、これは。
ちくしょう、ここに来てから痛い目にしかあってない気がする。
もうなんでもいい、何があったか把握は出来ないが、とりあえず立ち上がって、声高に雄叫びをあげよう。
きっと相手はビビる。
そして僕に許しを請うはずだ。
フハハ、跪け、後悔しろ。自分がした事を悔やむがいい。
重度の自暴自棄になりながら、僕が行動を起こそうとした時――。
雄叫び、いや、可愛らしく悲鳴があがった。
「きゃあぁぁぁあああぁあ!」
「うわぁ!?」
思わず声を出してしまうほどに仰天しつつ、視線を上げると、そこには――。
「誰か、誰か助けるのじゃ……このままでは、わーは、わーは……、犯されてしまう……」
僕と反対方向に、うつ伏せで倒れている少女が居た。
僕からは、パンツもばっちり丸見えである。
ちなみに、純白だった。
いや、それどころじゃない。
何とか冷静に、迅速に対処しようと思うのだが、頭がついていかない。
待て待て待て待てなんだこの状況はえーっとまずパンツを確認したから次はえーっとえーっとなんだっけ優しく腰に手を回して撫で回すように違うそれはこの前見たアダルトビデオで――
「な、なななな……聖鳥様!?」
「変な男が聖鳥様を……!」
「聖鳥様をお守りしろ!」
「物干し竿もってこい、物干し竿!」
――?
突如、上から、大量の声が降ってきた。
なんだと思い、再び、顔を上げると。
そこには、大勢の大人が居た。
皆一様に目は血走っており、中には麺棒やら竿竹を持っている人もちらほら混じっている。
その視線の先は――いうまでも無いが、僕だった。
もし、この時。
無罪です。俺もまだ事情を掴めていません。何があったかは、この少女が一番知っています。ほら、立って――。
こんな風に、冷静に格好よく言えれば、あるいは僕は、袋叩きにされる事は無かったかもしれない。
結局、錯乱を極めた僕が、口に出せたのは、ほんの一言だけ。
「許してください」
もちろん、許されなかった。




