第95話『風の吹く場所』
「――これはこれは隼人っちに結菜っち。今日も二人は仲良し小好ししてるんだねー」
「おはようございます、隼人さん。それと結菜さんも」
屋上にやってきた俺たちを出迎えてくれたのはやはりと言うべきか、優香とれんの二人だった。
優香はコンクリートの地面にレジャーシートを広げてぐでーっとしていて、れんはそんな優香の隣で本を読んでおり、こちらに向かって小さく手を振っている。
「おはようございます」
「おはよう、二人とも」
二人のところまで歩いていくと、優香はよっと掛け声と共に起き上がって、ここに座りなよと言うようにレジャーシートの片隅をパンパンと叩いた。
俺と結菜が空いてるスペースに座ると、優香は再びごろんと寝転がった。その姿はまるで日向ぼっこをする猫のようで、結菜はふざけて優香の顎のあたりをこしょこしょとくすぐり始める。
「にゃー」
「ゆう猫ですね。可愛い」
「にゃん」
猫の鳴き声を真似る優香を結菜は気に入ったらしく、二人でじゃれ合い始める。
何となしにササキでも持ってきて二人の前でちらつかせたら面白いことになるような気がした。
「ふぅ」
パタンとれんは読みかけだった本を閉じる。
厚いハードカバーの本の表紙には『罪と罰』と書かれていた。
なんつーもの読んでやがるんだ……。
「隼人さん達はどうしてここに?」
本を膝の上に置いて、れんは話の話題でも探すように俺に話しかけてきた。
「たまにはこちらから遊びに誘おうと思ってな」
「それはそれは……。明日は雨ですかね」
「なんでだよ」
「いえ、珍しいこともあるんだなと思いまして。隼人さん、こちらから遊びに誘えばそれなりに乗ってきますけど、自分から誘ったことなんて一度たりとも無かったじゃないですか」
れんに言われて少し考え込む。
じっと見られているせいか、俺が記憶を掘り出すのと一緒に、れんに記憶の中身を見られているような気がして思い出すのに少し時間が掛かった。
「ああ。言われてみればそうだったような気がしなくもない」
「気がしなくもないじゃなくて、実際初めてですよ。どういった心境の変化ですか」
「さぁ。おそらく気分の問題だな。というより、お前らと遊ぶって言ったのは俺じゃなくて結菜のほうだ」
「明日の天気は雨じゃなくて嵐でしたか……。今日みたいにここでのんびりできませんね……」
悲しげに目を伏せるれん。
ほんの少しだけイラッときた。
気泡のようにぷつぷつと沸いてくる怒りを何とか鎮めつつ、出来る限りの優しさを声に含んだ声色でれんに話しかける。
「お前は俺と結菜を何だと思ってるんだ? ん?」
「この施設の――ひまわりの問題児です」
「……ほお。面白い。理由を聞かせてもらおうじゃないか」
「ええ……。わざわざわたしの口から言わなくても、自分の胸に聞いた方が早いんじゃないですか? 隼人さん自身の事なんですから、自分が一番よく分かっているはずです。でも仕方ありませんね。馬鹿な隼人さんの為にこのわたしが自ら解説してあげますよ。三歩歩けば忘れる鶏頭みたいな隼人さんの為に」
あれ? 俺、れんに何か恨まれるような事したっけ?
なんでこんなボロクソに言われてるんだ……?
「まず、朝起きてきませんよね。結菜さんはごく稀に誰よりも早く起きてしますけど、隼人さんは颯恋さんに起こされるまで起きてきません。まずこれが一つ目です」
確かに俺は颯恋に起こされるまで絶対に起きないと言っても過言ではない。
「そして二つ目です。隼人さん、たまに結菜さんと一緒に施設から抜け出して遊んでいますよね?」
「ッ!? な、れん。お前どうしてそんなこと知ってるんだ……」
颯恋すらも知らない俺たちだけの秘密だったはずなのに……。
脱出する瞬間を見られていた? いや、それは無いはずだ。周りには誰もいない時を狙っているし、細心の注意をしている。
なら一体どうして……?
「……隼人さん、ちょっとわたしに付いてきてください」
れんは立ち上がると、俺の手を引いて屋上の片隅に俺を導いた。
「ここから下を見てください。そうすれば疑問は解消されるはずです」
「……」
言われるがまま下を覗いた俺は内心で舌打ちをする。
ちょうどここから真下。生い茂る木の葉っぱで隠されていると思っていた俺たちの脱出経路は枝と枝の隙間からちょうど見えるようになっていた。
上下左右完璧だと思っていた脱出経路にこんな落とし穴があるとは……。結菜ともう一度話し合う必要がありそうだ。
「自分の愚かさ故に招いた失態。さて、まだ他にもありますけど聞きますか?」
イタズラを企むような妙ににやついた顔でれんは首をちょこんと傾げる。
俺は無言のままガシッとれんの頭を掴んだ。
「ちょ、隼人さん。暴力反た……痛い痛い痛いッ」
「これ以上俺らの悪事を洗いざらいぶちまけるようなら……もう容赦しない」
「既に容赦してないじゃないですか!! 締まる!! 頭締まってますから!!」
「反省したか?」
「反省も何も!! 悪いのはわたしじゃないですよね!?」
実に正論である。
「俺の怒り! その身に受け……」
もう一段階手に込める力を上げようとしたのだが、それは目の前に広がる景色によって、逆に一段階下がってしまった。
「どうですか? ここから見える景色は。素敵だと思いませんか?」
万力から解放されたれんは、俺が街並みという景色に釘付けになっている事に気づくと、柔らかい顔で微笑み、同じ景色を眺め始めた。
「……わたしはここから見れる街の姿が好きです」
この施設は別に高台に建てられているわけではないが、屋上となればそれなりに街並みを見渡すことはできる。
歩道を歩く人の姿、一時停止している自動車、塀の上を歩く野良猫。どれもここから見ればミニチュアサイズで、まるで玩具で作られた街並みを眺めているようだった。
「あの場所は……」
小さな街並みから視野を広げると、周りから飛び抜けた丘のような場所があった。
きっとこの街の全てを見下ろせる場所。
一番空に近く、遮るものが何もない、この世のルールから解放された場所――。
「あそこは御桜丘という場所ですよ。この街のパンフレットに書いてありました」
「へぇ。桜って名前が付くくらいだ。春になれば満開に咲き誇るんだろうな」
「実際綺麗らしいですよ。今は夏ですし、見れるとしたら来年です」
「れんは優香とずっとここにいるんだ。見たことはあるんじゃないのか?」
そう訊ねると、れんは曖昧に首を縦に振った。
「確かに見たことはありますよ。でもこの場所からじゃなくて、あの場所に立って、満開の桜を見たいんです。遠くから見るのと、近くで見るのはきっと違いますから」
「……なら、来年は一緒に行ってみるか?」
「えっ?」
れんは驚いて振り向く。
二つの瞳は期待と不安の感情が入り交じっているようだった。
「それは……隼人さんと二人で、ですか?」
もし行けるのであれば行ってみたい。でもバレた時が不安。そんな感じだろう。
だから俺はれんの瞳から不安の感情だけを取り除くために笑顔を作る。
「俺とだけじゃない。結菜も、優香も。そして颯恋も一緒にだ。どうだ? 魅力的な提案だとは思わないか?」
「確かに……すごく魅力的な提案です」
「外の世界はすごいぞ。知らないことで溢れ返ってる。ここだけじゃ分からないことがたくさん転がっている」
この施設は閉鎖空間ではない。
キチンとした手続きをすれば外出を許される。
でもそれは俺たちよりもずっと年上の人たちだけ。
年上の人たちに付いていく形を取れば俺たちも外に出ることは可能だが、それをしてくれる年上の知り合いなどいなかった。
元より、年上の人たちに頼る気のなかった俺とだけ結菜は脱出するという手段を使っていたわけだ。
「隼人さんは外の世界をどれくらい見てきたんですか?」
「40分近く歩く事になるんだが、駅があるんだ」
「駅……電車?」
「そう。電車だ。あれはすごいぞ。本やテレビで見るのとは迫力が違う。あんな鉄の塊が高速で動いているのが不思議で仕方ない」
「へぇ……わたしも見てみたいです。他にはどんなものが?」
「猫が集まる空き地とかもあった。結菜がカツオ節を食堂からパクって持って行ったら、空き地にいる猫という猫のすべてが結菜に襲いかかったな。あれは見てて滑稽だった」
「Gホイホイならざる猫ホイホイですね。ああ……そういえば結菜さんが妙に汚れて帰ってきたことがありました。何をしたらあそこまで服が汚れるのか謎でしたが、今ようやく納得できましたよ」
れんはあの時の惨状を思い出したのかクスクスと笑う。
本当はあそこまで泥だらけではなかったのだが、猫の足跡が服に大量についてしまい、それをカモフラージュするために泥を塗りたくったというわけだ。
「他にも色々あったぞ。見て、感じて、触れて――。この施設では絶対に味わえない新しい発見がいっぱいだ」
それから俺は自分が知る限りの外の世界の話をれんに聞かせてあげた。
れんはどの話も興味津々に耳を傾けてくれて、話をする俺としても話すのが楽しかった。
自分の見てきたもの、感じたものを話してこんなにも喜んでくれる。それがたまらなく嬉しかった。
「ここの外にはわたしのまだ知らない世界が広がっている。そう考えるだけでわくわくしてきます」
「だろ? だかられんも一緒に行こうぜ、外の世界にさ」
「そうですね。もしもその時が来たら、絶対にわたしを連れて行ってください。あの桜の元へ」
「何処にだって連れて行ってやるよ。ま、俺が案内できる範囲でだがな」
「それは楽しみです。期待してますよ、隼人さん」
くるりと踵を返し、れんは優香の元へと戻っていった。
その後ろ姿は心做しか弾んでいるように見え、俺は絶対にれんを外の世界に連れ出してあげようと決意したのだった。
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屋上に吹く風は涼しい代わりに、真上から容赦なく降り注がれる太陽光のせいで風の恩恵はほぼ0に近しかった。
遊びに来たわけだが、特に何かするわけでもなく、ただぼーっとしているだけで時間が過ぎていく。
「……もう少ししたら昼飯の時間だな」
「あれ? 隼人っち時計持ってたっけ」
「腹時計ならな。結構正確なんだぜ?」
「ふーん? 今日のお昼なんだろ。というか二人とも結局ここに何しに来たの」
結菜の持ってきたポテチをパクパクと食べながら優香は俺を見た。
「結菜から聞いてないのか?」
「何を?」
「あ、すいません隼人。僕何も話してない」
特に悪気も無さそうに結菜は口を挟む。
というかむしろ忘れていたんじゃないだろうな。
「ところで結菜っち。ここに来てからずっと気になっていたんだけど、朝食の時の着ている服が違うみたいだけど……どうかしたの?」
「あー……それはですね……」
結菜は言いづらそうに視線を逸らす。
過去のことを思い出したせいで服が大惨事になったとは言うに言えないだろう。
「言いづらいなら言わなくていいけどねー。それで、結局私たちに会いに来てくれただけなのかなぁ?」
こういう時優香は気が回る。
人の心に関する事に優香は深く踏み込んでこない。
自分がされて嫌なことをしてこない。と、言った方が正しいのかもしれない。
優香だってこの施設にいる時点で心に深い傷を負っていることは間違いない。だから過去を抉られる痛みがどれほど辛いものなのかを理解している。
「本来の目的としては遊びに誘いに来たんだよ」
「……天変地異の前触れ?」
「お前はれん以上に失礼なこと言うんだな」
「いやだって、隼人っちがそんなこと言うなんて天変地異の前触れとしか思えないもん」
「残念ながら発案者は結菜のほうだ」
「……人類滅亡でも近いのかな」
「殴りますよ。僕、相手が年上であろうとイライラしたら容赦しないからね」
握り拳をグッと固めた結菜は満面の笑みを浮かべているが、目だけは一切笑っていなかった。
さすがの優香もこれ以上結菜を煽るのは自殺行為だと判断したのか、こほんと咳払いをして誤魔化す。
「ま、まぁ冗談はさておいて、遊ぶのは大歓迎だよ。お昼食べてからになりそうだけどね」
「外で遊ぶんですか?」
「室内でやれることがあるのならそれでも構わない。一応かくれんぼはどうかって話はしていたんだが」
「かくれんぼいいね。外で遊ぶにしても、中で遊ぶにしても名案だよ」
「ならお昼食べたらかくれんぼということで決定ですね。それじゃあ隼人の腹時計を信じて食堂に向かおうよ」
結菜はその場に立ち上がると、空を見上げた。
夏の太陽はどの季節よりも眩しく、そして何よりも大きい。
「……かくれんぼは中でやるのがベストかもしれませんね」
その言葉に俺たちは無言で頷いた。
屋上に風が吹き抜ける。
この風は何処に向かうのだろうか。
風は俺たちの知らない世界を知っている。
だからきっと、この風についていけばどんな世界も見据えることが出来るのではないだろうか。
その中に一つでも、俺たちが捨てられなかった世界はあるのだろうか?
to be continued
心音です。こんばんは。
今回は特に話すことはないです。
おそらく読者様にとってもつまらない話だったはずです。
けれど何かがあるのが物語というものです。
この過去を最後まで見届ける時、事件の真相が明らかになることでしょう。
それでは次のお話で。




