第91話『子どもと大人』
――長い夢を見ていたような気がした。
微睡んでいる意識はカーテンの隙間から射し込む日差しのおかげで少しずつ上ってきているようだった。
「……ん」
日差しのせいでホワイトアウトしている視界に影が落ちる。
どうやら枕元に誰か人が立っているようだったが、半覚醒状態の俺の頭は考えることを放棄して睡眠を選んだらしい。
それもそうだ。眩しさのせいで目が覚めたのだから、それをシャットアウトしてくれる壁ができたらそれはもう眠れと言っているに等しい。
「……?」
完全に意識が落ちるというその瞬間、ビュン――と、野球で空振りをした時に鳴るあの音。それよりもちょっと軽めの何かを振り抜いた感じ。そう、例えるなら調理器具のお玉のような――。
「朝だよー!!!!!起きてー!!!!!!!!!カンカンカンカンカンカン!!!カンカンカン!!!!!!!起きてー!」
「敵襲か!!?」
警鐘のようなけたたましい騒音に眠りかけていた意識が完全に覚醒する。
反射的に飛び起きてファイティングポーズを取るも、敵なんて者は存在せず、代わりにフライパンとお玉を持ってニコニコと笑っている慣れ親しんだ少女の姿が目に入った。
「おはよう、はーくん。敵だと思った? 残念! 颯恋お姉ちゃんでしたっ!!」
「か〜れ〜ん〜!! 朝から騒々しいんだよ!! 少しは音を自重するなり、もっと違った起こし方するなりしろ!! 心臓に悪いわ!!」
反撃とばかりに枕をフルスイングで投げるも、颯恋はまばたき一つせずに軽い身のこなしでかわし、何が嬉しいのか満面の笑みでカンカンカンとフライパンを鳴らし続ける。
「うるせー!! 鳴らすな!! 近所迷惑な上に頭にガンガン響く!! 起きるから……いやもう起きているけどとりあえずやめろぉぉぉぉぉおおおおお!!」
耳を塞いで必死に抗議するとやがて音は聞こえなくなった。
ゆっくり耳から手を離し、大袈裟なまでに大きなため息を吐く。
「ふふっ。おはよう、はーくん。ちゃんと目が覚めたかな?」
「ちゃんと目が覚めたけど寝起き最悪だっての……」
「おはよう、はーくん」
「いや……その……」
「お・は・よ・う。はーくん」
「お、おはよう颯恋」
「うん。おはよう。挨拶は基本だよ。だからちゃんとしないとダメだからね?」
頭を撫でられる。
子ども扱いされてるとは分かるが、こうして颯恋に頭を撫でてもらうとあたたかい気持ちになれるのだから不思議だ。
「というより、毎朝言ってるんだからいい加減覚えて欲しいんだけどね?」
「ぐっ……。悪かったって。明日こそはちゃんと自分から挨拶するって」
「それ昨日も聞いたような気がするけど気のせいかな?」
「気のせ……ごめんなさい嘘です。昨日も一昨日もその前も言いました。反省しているので構えたフライパンとお玉を降ろしてその怒りをどうかお鎮めください」
土下座する勢いで頭を下げると、振りかぶっていた騒音兵器を降ろしてニッコリと微笑んだ。
「ほら、早く着替えちゃって。起きてこなかったのは、はーくんだけなんだから。みんな朝ごはん待ってるよ?」
時計を見るとなるほど。起床時間はとっくに過ぎていた。
俺の周りの布団はみな、綺麗に畳まれていて、だらしなく広がっているのは俺の布団だけだった。
「なんだよ……。結菜も寝坊していると思っていたのにまさかの俺だけ? なんだこの世界は。間違ってるんじゃないか?」
「この世界は何も間違ってなんかいないし、何の罪もないよ……。はーくんの寝坊問題を世界規模にしないでくれないかな」
「なぁ颯恋。第二次世界大戦が勃発した原因を知っているか?」
「ヒトラーがポーランドに侵攻して、当時ポーランドと同盟関係であったイギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告したから始まったんじゃなかった?」
「違う。ヒトラーはポーランドで万引きをして、それが原因で戦争が――」
「馬鹿なこと言ってないで早く着替えて食堂に来なさい」
「痛ッ!?」
お玉で殴られた頭がヒリヒリする。
呆れたようにため息を吐くと、くるりと踵を返して食堂に向かっていった。
やばい。怒らせてしまっただろうか。
「はーくん」
ドアの付近でぴたっと歩みを止める。
背中をこちらに向けている状態で表情を伺う事は出来ない。
部屋のアナログ時計の音がやたら大きく聞こえる。焦りと不安が靄となって頭の中に広がっていく。
「な、なに?」
やっとの思いで訊ね返すと、颯恋は顔だけこちらに向けた。
「あっ……」
その笑顔を見た途端、頭の中の靄は一瞬で霧散した。
怒らせてしまったのではないかと焦っていた気持ちが、見捨てられたのではないかという不安が消えていく。
ああ、やっぱり颯恋は俺の味方だ。
俺をゴミのように捨てた親とは違う――。
「――今日の朝ごはんは、はーくんの大好きな甘い玉子焼きだよ。だから早く着替えてね」
「おう!」
俺の居場所は親の元ではない。
俺の居場所は颯恋のいるところ。
俺には家族がいない。
だって俺は捨てられたのだから。
颯恋は俺にとっての最後の希望。
たった一人の家族のような存在。
これからもずっとずっと、大人になってもずっとずっと共にある。
永遠に、ずっと――。
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「隼人ー! こっちですー!」
食堂に顔を出すと、すぐに俺の存在に気づいた結菜がこっちこっちと手を振ってくる。
結菜は物心ついた頃からずっと一緒にいる女の子。
この場所で颯恋と同じくらい仲がよく、毎日一緒に遊んだり勉強したり、今のこの時間のようにご飯を食べたりしている。
「――おはようございます、隼人。今日もお寝坊さんなんだね」
「おはよう、結菜。俺としてはお前も一緒に寝ていると思っていたんだがな」
「ふっふっふ。聞いて驚いてください。僕も実は寝坊していたんだよ。隼人の起きる五分くらい前に起きた感じなんだ」
「やべぇ。めっちゃ驚いたけど、胸張って言うような事じゃねーな」
いただきます。と、手を合わせ、すでに用意されていた食事に手を付ける。
「ところで隼人。今日は何をして遊びますか?」
「いつも通り適当でよくね?」
「本当に僕たちのこういう所って子どもに思えないですよね」
「じゃあなんだ……かくれんぼでもするか?」
「ひとりかくれんぼですか」
「俺はまだ死にたくねぇ」
ひとりかくれんぼとは呪いの一種。
遊び半分でやるような事ではない。
「ひとりかくれんぼは冗談として、たまにはいいんじゃないですか? この場所限定でもそれなりに隠れる場所はあるからね」
「颯恋でも誘うか?」
箸で黄金色に焼けた玉子焼きを半分に割ると甘い香りのする湯気がふわっと上がる。
俺は颯恋の作る玉子焼きが好きだ。甘くて、ふわふわしていて、優しい味がする。
「颯恋さん、今日は無理らしいです。僕たちが寝坊したせいで先越されちゃった」
「まぁそうだよな。二人でかくれんぼか……。せめてあと二人か三人欲しい」
「なら……れんさんと優香さんでも誘いますか。あの二人ならどうせひましているだろうし」
れんと優香は俺たちの遊び仲間の事だ。
れんは大人しめな女の子であるのに対して、優香は活発的な女の子だ。性格が正反対の二人だが、それがお互いのいいところと悪いところを支えあっている形になり、ぴったりと型に収まっている。
基本俺は結菜と颯恋としか遊んでいないが、たまにこの二人も混ぜて一緒に遊んでいる。
「あの二人は何処にいる?」
もう片方の玉子焼きをパクッと食べて視線をさ迷わせる。
「あそこですよ。いつも通り端っこのほう」
「んー……あ、いたいた」
れんと優香は仲良く喋りながら朝ごはんを食べていた。よく耳を澄ましてみれば優香の楽しそうに笑う声が聞こえた。
「ご飯食べ終わったら聞きに行ってみますか。今は何となく邪魔をしちゃいけなさそうな雰囲気だし」
「そうだな」
笑い声の絶えない二人の空間はそれだけで居心地がいい。
「……うん。美味い」
心無しか、いつもと同じ玉子焼きも、笑顔のスパイスのおかげでより一層美味しく感じた。
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朝ごはんを食べ終え、食器やらを片付けてから俺と結菜はれんと優香の元へ向かった。
二人はいつも建物の屋上でのんびりと過ごしている事が多く、雨の日以外は大抵そこに行けば会いに行くことが出来る。
「そういえば昨日颯恋さんの机にポテトチップスが置いてあったのでこっそりとパクってきました」
「……お前も懲りないなぁ。また颯恋が怒るぞ」
「覚悟の上です。人生楽しんだもん勝ちだと僕は思っているからね。というよりも……楽しまないとやっていけないよ、僕はね」
踊り場の窓から差し込んでくる太陽の光が眩しくて、階段を上る結菜の表情はこちらからは伺うことができない。
「むしろ楽しまないといけないんです。義務なんだよ。僕らは誰よりも今を楽しむ権利がある。僕は今を楽しむよ。楽しんで、怒られて、また楽しむ。繰り返して、繰り返して……僕は今を全力で生きるよ」
ふと、結菜が笑ったような気がした。
微笑みは光に包まれてフッと消える。
確かなあたたかさを残して消えていった。
「ほんと……俺たちって何なんだろうな」
独り言のように呟いた声に、結菜はピタリと足を止めて振り返った。
どうやら俺の声は消えることは無かったらしい。
「……子どもですよ。僕たちは一人じゃ何も出来ないただの子ども。大人がいないと何も出来ないんだよ」
「俺たちが今こうして生きていられるのも大人たちがご飯を作ってくれて、季節にあった服を着させてくれて、寝る場所を提供してくれて……
考えてみれば助けてもらってばかりだ」
「一人で生きていくためには大人になる必要があるんです。でも大人になるためには大人に教えてもらわないといけない。どうしてこうも悪循環なんだろうね」
「それの答えは簡単だよ、結菜」
多分これはここにいる誰もが心に思っている事。そしてその哀れな自分の運命を呪っているに違いない。
俺も、結菜も、れんも、優香も。
そして――颯恋も。
「子どもは親を選ぶことができない。そして親も子どもを選ぶことはできない」
「結菜……」
握りしめた拳が震えていた。
怒り、悲しみ、苦しさ――。
どれも痛いほど分かる。
「気に入らなければ腹を痛めて産んだ子どもだったとしても簡単に捨てるんです。捨てられた子どもがどうなろうと親には関係ない。捨てられた子どもの未来なんて関係ない」
「……落ち着け、結菜」
「僕たちは使い捨ての人形なんかじゃないんです……。生きた人間なんです……!! 僕たちは――!!」
「結菜ッ!!」
「……ッ!」
手を握るとようやく結菜は我に返る。
手が酷く冷たく、顔も青い。背中は汗がびっしょりで、いくら夏とはいえこのままでいたら風邪を引いてしまう。
「一旦着替えてから屋上に行こう」
「でも折角ここまで来たのに……」
「バカ。風邪ひいたらもっと遊べなくなる。それにあの二人は屋上から離れない。だから着替えてからのんびり行こう」
「……分かりました。ありがとう、隼人」
「気にするな」
上ってきた階段を引き返して部屋へ向かう。
その間俺たちは無言だった。
でもきっと、きっと同じことを考えていたに違いない。
「……」
結菜が着替えている間、俺は廊下の壁に背中を預けて窓の外の景色を眺めていた。
「颯恋……」
砂場で遊ぶ子ども達の中に颯恋の姿もあった。
まわりの子ども達と同じように泥まみれになりながらも、太陽のように眩しい笑顔で遊んでいる。
空は青かった。馬鹿みたいに青く澄み渡っている。
――どうして俺たちは親に捨てられたのだろうか――
俺の心もこの空のように晴れる日が来るのだろうか?
もし来るのだとすれば、それは一体いつになるのだろうか。
俺たちはいつまで颯恋と一緒にいられるのだろうか。
to be continued
心音です。こんばんは。
本格的に過去編のスタートです。
この時点でもう隼人と結菜の境遇は察しがついたのではないでしょうか。
次回の話はその事についての補足説明や過去の隼人達の日常を描きます。
それでは次のお話でお会いしましょう。




