第61話『シンエン』
「……」
怪しげに明滅を繰り返す街頭。
ついては消え――ついては消え――繰り返す度に作る影が変わってくる。伸びる影、縮む影。ひらひらと舞い込んでくる風に流された葉っぱの影。
もし――次に街頭が灯った時、俺以外の影が隣にあったらどうすればいいのだろうか。
その正体を確かめる為に振り返ることができるか?と、聞かれれば俺は迷うことなく無理と答えるに違いない。
未知の体験――想像を絶する恐怖と対面した時に冷静でいられるほど、俺は精神は強くできてはいない。
「それにしても……これはいくら何でも静かすぎなんじゃないか……?」
いつもならば喧しいくらい鳴いているアブラゼミも何故か今日に限って死んでしまったように静かだった。
俺の歩く音がするだけでそれ以外の音は何も聞こえない。
月が厚い雲に覆われると不自然なほどの暗闇が辺りを黒く支配し、ゆく人を飲み込むように闇が大きく口を開いている。
俺が今使っている道はわりかし人通りが多いほうだというのにも関わらず、今の今まで人はおろか生き物一匹姿を見ていない。
もしかすると、この世界には俺一人しか存在していないのではないだろうか? 馬鹿みたいだがそんなことを想像してもおかしくないほどに今宵は静かで――寒かった。
「――こんばんは」
静寂の闇を切り裂くようにその声は俺の耳に届いた。
振り返らずともそこにいるのが誰だか分かる。
俺は一人でいることの寂しさと不安からようやく解放されたような気分になった。
「お前に会えて俺は心底安心したわ。さっきからネガティブなことばっかり考えていたからな」
「それはわたしもですよ隼人先輩。早いところ誰かに会いたいって思ってましたから」
俺とは違ってポーチを腰に巻いた少女――十堂が早足で俺の隣に並んだ。
「怪談とか幽霊とか――そういう系の怖いものは平気だと思っていたんです。テレビとかの特集でたまにやってる心霊映像ベストなんちゃらーとかそういう他人の体験談は全く怖くないとは言いませんけど、それなりに大丈夫でしたから。でも実際目の前にしてしまうとダメですね。しかもそれが自分の街のってなると尚更です。もう恐怖しかありませんよ」
怖がっているせいなのか、十堂はいつもより饒舌だった。
「……別に来なくても良かったんだぞ、一応」
「そりゃ最初は行きたくないって思ってましたよ。けど、あの画像見ちゃったせいで家に一人でいるの嫌になっちゃって……。それに行かなかったら行かなかったでつもり先輩に何をされるのか分かったものじゃないですし」
「そっちの恐怖もあるよな……。でも俺はやっぱり雪原よりは幽霊のほうが怖い。人間と得体の知れないモノ――どちらが怖いと言ったらそんなの決まってる」
「つもり先輩がやることは所詮人間が出来る範囲のことです。でも……人ならざるモノは違う。わたし達人間がどうこうできることじゃないかもしれない。そういうことですよね」
「ああ」
俺は大きく頷く。
人相手ならまだ何か抵抗出来ることがあるかもしれないが、人じゃなかったらその時点で俺たちの当たり前が通用しなくなる。
「……気が重いな」
「同感です……。先輩はそのカバンの中には何を入れてきたんですか?」
「見るか?」
「見ます見ます……って、周りが暗くて何も見えないですね。ちょっと待ってください」
広げたバックの中を十堂はスマホのライトを使って照らす。
「懐中電灯に水……スマホのモバイルバッテリーは分かるんですけど……なんでわたしを昇天させた癇癪玉まで持ってきてるんですか……」
前に学校でやった肝試しのことを思い出したのか十堂はぶるりと肩を震わせた。
「幽霊に遭遇した時に使おうかと。十堂には効果抜群だったみたいだからな」
「わたし――もとい人間には効果抜群なのは身をもって体験したから分かるんですけど……幽霊相手に音の攻撃って効くものなんですか?」
「幽霊も元は人間だろ? だから聴覚はあると信じている」
「けどあいつらは死んでますよ? もし仮に感覚器官のみが生きていたら嫌すぎなんですけど」
「でもさ、あいつら喋るじゃん」
「?? 喋りますね」
「それってつまり、声帯は生きてるってことだろ?」
「……え、そういうことなんですか」
「そういうことだろ」
「……なんか納得いくようないかないような……。とりあえずそういうことにしておきましょうか。もっと気になるものを見つけてしまいました」
「?」
もっと気になるもの?
あれ? 他になにか入れてたっけか?
「先輩、相手は幽霊なんですからこんなの効くわけないじゃないですか」
そう言って、周りの暗い雰囲気を吹き飛ばしてくれそうなほど明るい笑みを浮かべた十堂が取り出したものを見て、俺は手にジワリと汗が滲むのを感じた。
ドクンドクンドクンと、心臓の鼓動が加速する。焦り、不安――いや、違う。これは恐怖という感情だ。全身の血が抜けていくように身体の底が冷えていく。カタカタと歯が音を立て、心臓の高鳴りはその激しさをどんどんと増していた。
喉はまるで砂漠で水を求める旅人のように乾いていて、必死に声を出そうとしても声が思うように出てきてくれない。
「……隼人先輩?」
何も返事をしない俺に不信感を覚えた十堂。
だがすぐに俺の全身が震えているのに気づき、その表情を歪めて俺の腕を痛いくらい強く握った。
「どうしたんですか先輩!? 身体こんなに震えて……それに顔も真っ青ですよ……!?」
「…………んだ」
「え……?」
ようやく俺が出せた言葉は十堂の不安を拭い去る言葉でも、自分自身を慰める言葉でもなく――十堂の持つ右手の十字架に向けられたものだった。
「俺はそんな十字架を持ってきてないし、ましてやこんな物が家にあるわけがない……。何でこんな――十字架なんて物が俺のカバンに入っているんだよ……!」
「……」
十堂が息を呑む。
なんだ? これは一体なんだと言うんだ。
実は持っていないというのは俺の妄想で、実際は自分の家にあって、準備をしている最中に誤ってこの十字架をカバンの中に落としてしまった。それに気づかなかった俺はそのままバックを持っていって今に至る――。
恐怖心に煽られて頭がおかしくなってしまったのだろうか。
いや違う……これじゃ納得が出来ない。
そもそも持っていないということが仮に俺の妄想だったとしてもだ。俺自身がこの十字架を持つ意味なんてない。キリスタンならともかく俺は宗教など関係ないただの一般人なのだから。
「あー……クソ。マジで何なんだよ……」
今この場から逃げ出したい気分だった。
走って家に帰ってそのままシャワー浴びて、スマホを弄りながら布団に潜り込む。そして朝になれば何もかも終わっている。
けれども理想はどこまで行っても理想でしかない。何もかも自分の思い通りになる――そんな都合のいい話があるはずがない。
「まぁでも……十字架には霊的効果があるという話もありますよ」
「使い込んでるものには。っていう条件付きだがな。この十字架はいつからあったものかすら分からないんだぜ?」
「プラシーボ効果――知ってますか?」
「……いくらなんでも思い込みでどうにかできる問題ではないと思うんだが」
プラシーボ効果とは、またの名を思い込み効果と呼ぶこともある。
これがどんな効果なのかを簡単に説明すると、例えば痛み止めを欲しいと訴えている患者がいたとしよう。本来なら痛み止めを処方しなければならないところで、料理等でよく使う小麦粉を粉薬と思い込ませて飲ませる。
もちろん小麦粉には医学的効果は何も無いのだが、痛み止めだと思い込まされて小麦粉を飲んだ患者の症状に改善が見られてくるというものだ。
「ただ持っているだけよりはそうやって思い込んでいた方がいいじゃないですか」
「俺は今すぐにでも捨てたい気分なんだがこれいかに」
「捨てたら捨てたで罰当たりのような感じもしますよ? どうせなら持ってましょうよ。もしかしたら何かしらのご利益があるかもしれないですし」
「分かったよ……。正直気味が悪いけど十堂がそこまで言うなら持っておくことにするわ」
「ではどうぞ」
十堂から十字架を受け取る。
とは言えカバンの中に戻す気も起きず、俺は悩んだ末、胸ポケットに十字架をしまい込んだ。
しまう瞬間にほんの一瞬、十字架は不気味に光ったように見えたのは気のせいだろう。
見上げた空には月も星も無い。本当に気味の悪い夜だ。
「少し急ぎましょう。話しているうちにだいぶ時間経ってました」
「あ、やべぇな。幽霊の恐怖を味わう前に雪原の恐怖を味わうことになりそうじゃねーか」
「軽口叩けるようになったならもう大丈夫ですね。なので、もしわたしに何かあったら……守ってくださいね」
「……任せておけ」
十堂もやはり怖いのだ。
俺と同じで、明るさを保っていないとすぐに落ちるところまで落ちてしまう。恐怖心というのはそれほどまでに重いのだから。
だから俺たちは集合場所の桜見丘高等学校に着くまでずっと話をしていた。
誰かと一緒にいればそれだけで心は満たされる。一人じゃなくて本当に良かった。
「――来たわね」
俺と十堂が校門の前に着くと、そこには雪原以外にも二つ人影があった。
「よ、隼人。それに恋歌ちゃんも」
「……やっほ。浅川くん、恋歌ちゃん」
そこにいたのは反町と古宮。
二人とも手ぶらではなく俺たちと同じように大きめのカバンを持ってきていた。
「こんばんは、優誠先輩と遥香先輩。夜乃先輩はどうしたんですか? 皆さん方面一緒の筈ですよね」
十堂がこの場にいない榊先輩のことを訊ねると、二人は揃って苦笑いした。
「途中までは引っ張ってきたんだが……まぁ、何となく分かるだろ? 途中で嫌々って泣き出して動かなくなっちゃってさ」
「あー……察しました。それで来れなくなったから二人は先に来たってわけですね」
「いや? 夜乃先輩ならそこにいる」
「えっ?」
辺りを見渡しながら、どこ?と、十堂が首を傾げると、反町は暗がりに向かって指をさした。
「……あ、いました」
「……分かりづらいなおい。完全に闇と一体化してるじゃんか」
壁と向かい合って体操座りする榊先輩。
「んで、話の続きなんだが、嫌ってずっと言ってたから、帰りますか?って聞いたわけだよ。そしたら怖くて一人で帰れないって言ってきたからもう無理矢理連れてきた」
「……なるほど。放置するわけにもいかないし、かと言って家まで送り届けていたら集合時間に間に合わないと」
十堂は壁と戯れている榊先輩に向かって小さく合掌した。
「そういうことだな。夜乃先輩には悪いが、俺も遥香ちゃんも命は惜しかった」
「……つもりちゃんに、殺される」
「あんた達私をなんだと思ってるわけ……。殺しはしない。やるなら半殺し」
「その差はなんだ」
「生かすか殺すか」
やっぱりこいつタチが悪い。
「全員揃ったしそろそろ移動しよっか。反町、悪いけど夜乃会長をここで放置するわけにはいかないから任せた」
「了解。ほら、夜乃先輩移動するのでいつまでも壁に向かって話しかけてないでください。不気味ですから」
……なんか変な声が聞こえるような気がしたと思ったら犯人は榊先輩だったのか。
「みんなちゃんとついてきてね」
雪原を先頭に移動を始める。
この道も街頭が壊れているのか、明滅を繰り返していた。
「なぁ……雪原。別の道ないか? なんか不気味なんだが」
「この道が一番早く行けるから我慢して。でも変ね……。学校まで行く時はこんなチカチカしてなかったのに何でこんな急に……あ」
明滅する一つの街頭を雪原が見上げたところでブツンという派手な音と共に灯火が消えた。
それが何か悪いことを暗示しているようにも思え、先程まで余裕そうな表情を浮かべていた雪原もさすがに元のテンションではいられないようだった。
「そういえば皆何持ってきたの?」
それでも何とか話題を作って雪原は話を振ってくる。
カバンと聞いてさっきの十字架のことを思い出してしまい、俺は思わず胸ポケットに手を当てていた。
「わたしは懐中電灯と予備の電池ですね。大きな荷物は邪魔になると思って必要最低限のものだけ持ってきました」
「俺も懐中電灯だけしか持ってきてないわ」
反町が言ったことに対して雪原は首を傾げた。
「え? じゃあなんでそんな大きなカバンで来てるの」
雪原の言葉に俺は頷く。
それくらいの荷物ならば十堂と同じような物に入れてくれば良かったというのに。
「懐中電灯って硬いだろ? トートバッグくらいの大きさのカバンに懐中電灯を入れて振り回すと鈍器が完成する」
「ごめん全く意味が分からない」
「遠心力を利用して幽霊をぶっ飛ばす」
決めポーズを取って反町ははにかんだ。
「遥香は何持ってきたの?」
「あれ? スルー?」
懇親のギャグをスルーされて反町は目に見えて落ち込んでいた。
それでも反町はスルーされ続け、話は進んでいく。
「……ハルカは、お馴染みの、懐中電灯。あとは、トマトとか、レモン。唐辛子スプレーに、催涙スプレー。あとは、念の為……防犯ブザー」
「遥香。痴漢と戦うの?」
雪原は真顔だった。
俺も真顔だった。
おそらく反町も十堂も……榊先輩は分からないが真顔だった。
この子は幽霊を痴漢と勘違いしてるのではないだろうか。
「……遥香先輩、意外と天然? ですよね」
「……だって、幽霊って、何が効くのか……分からないもん」
「でもこれは完全に対人間用だろ……」
シュッ――。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!!!!! 目がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!!!!!」
「……反町くん、うるさい」
ポケットの中に隠し持っていたカバンに入っていたものとは別の催涙スプレーを反町に向けたまま古宮は冷たく言い放った。
反町がうるさくなったのは間違いなくお前のせいだからな古宮?
「浅川は何持ってきたの?」
「俺はみんなと同じ懐中電灯に水。あとはモバイルバッテリー」
「わりかし普通ね」
十字架のことは黙っておくことにした。
そんな俺の意図が伝わったのか十堂も何も言わないでいてくれた。
「夜乃先輩が何を持ってきているのか気になってるんですけど、聞ける状態じゃないですね……」
「……今はそっとしておいてやってくれ、恋歌ちゃん」
反町におぶられている榊先輩は産まれたての小鹿のようにプルプルと震えていた。
「少ししたら背負うの交代するか?」
「頼む。夜乃先輩軽いけどずっとはさすがにキツイ」
「了解した。雪原、あとどれくらいで着くんだ?」
「15分ちょい」
「意外と近くないか? もっと時間かかるものだと思ってた」
今はだいたい5分くらい歩いている。
逆算して、20分で着くということは俺の家から学校までの距離とそう大差はない。
「……学校に、近いところにあるんだ。なんか……現実味、ない」
「そうね。でも事実あるから何とも言えない。あ、これから入り組んだところ入るからちゃんとついてきて。土地勘あっても迷子になる可能性ある」
言いながら雪原が入っていった道は見慣れない道だった。
奥に進んでいくにつれてその複雑さに驚かされる。
「これはちょっとした迷路ですね……」
「だな。道はもう安定の暗さだし……。昼間ならともかく、夜は絶対に迷う。櫻美崎にもこんなところあったんだな」
……カツン。
「?」
ふと立ち止まって振り返る。
しかしそこにあるのは深淵だけで他には何も無かった。
「……先輩? どうかしたんですか、置いていきますよ?」
「悪い悪いすぐ行くって」
そう返事を返して俺はもう一度深淵を見つめる。
「……気のせいか。なんか足音みたいなのが聞こえた気がしたんだが……」
俺は首を傾げながら深淵に背を向けた。
to be continued
心音です。こんばんは。
そして遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
廃墟探索は次回からになってしまいました。
ところで皆さんの住む街には廃墟等はあったりしますか?
私の住む街には残念ながらそういうところは無さそうなのですが、あるのならば是非とも探索してみたいものです。
それでは次のお話でお会いしましょう。




