第50話『赤い傘』
「……古宮ッ」
倒れた古宮の身体をすぐに抱き起こす。
こんな地獄のような暑さの日にアスファルトなんかに倒れ込んだら火傷をしてしまう。
「結菜」
「分かってますよ。すいません!!どなたか救急車呼んで下さい!! 急患です!!」
結菜が声を張り上げる。
何事かとこちらを見ていた野次馬の一人が「私が!」と率先してスマホを取り出した。
俺は心の中でお礼を言いながら古宮を診る。
「古宮、しっかりしろ。俺の声が聞こえているなら何でもいい。何か言うなり行動で示してくれ」
頬を叩く。
触れた肌が異常なまでに熱い。
しかし汗が全くといっていいほど出ていない。
「……」
手足は電力が走ったかのように時折ピクピクと痙攣している。
これは明らかに熱中症の症状だ。
「古宮、聞こえてるか? しっかりしろ古宮」
「……はぁ、はぁ、はぁ」
何度も声をかけるが、古宮荒い息を繰り返すだけで俺の言葉に反応しない。
意識がはっきりと保てていない。
かなり危険な状態なのは明白だった。
「悪いな、持ち上げるぞ、古宮。結菜!! 自販機でありったけの水を買ってきてくれ!!」
「今買ってるところです!! とりあえず二本くらい先に持ってて!!」
15mほど離れた位置から一定間隔で投げられた二本のペットボトル。
ほぼフルスイングで投げられた二本のペットボトルは人と人の間をものすごいスピードで通り抜ける。
しかし巧みに計算されて投げられたそれは誰にも当たることなく俺の手の中に収まり、遅れて到着したペットボトルは地面に叩き落とすようにして受け取った。
こんな状態でも冷静に状況判断ができる結菜が一緒に居てよかった。
「少しの間任せましたよ隼人!!」
「任された!!」
俺は古宮をお姫様だっこの形で持ち上げる。
そしてなるべく揺らさないようにしながら木陰に運んで静かに下ろす。
持っていたカバンで古宮の足を高い位置にもっていき、頭のほうは俺の膝の上に乗せる。
「……緊急時だ。これくらいのことは許してくれよ」
水を古宮の頭からかけていく。
古宮の持つ熱で、かけた水はすぐにぬるくなって俺のズボンに染み込んでくる。
濡れた髪をかき分けておでこに触る。
分かってはいるがものすごい熱だ。
「――ごめん隼人。あるだけ買ったら持ち運ぶの大変で少し遅れた」
大量のペットボトルを抱えた結菜。
かなりの重さだっただろうに涼しい顔でバラバラと地面に落とす。
「問題ない。とにかく今は水を古宮にかけてくれ」
「分かりました。古宮先輩、お許しを」
カチッとペットボトルの蓋が開けられる音。
同時に冷たい水が古宮の全身にに降り注ぐ。
熱中症にかかったら身体を冷やすことがまず第一の対処法だ。
可能であれば水を飲ませたいところなのだが、今の古宮はとてもだが飲めるような状態ではない。
俺はカバンから予め取り出しておいたスポーツタオルに水をかけて濡らしていく。
「大丈夫だ、古宮。すぐに救急車が来る。それまでの辛抱だ。お前には俺と結菜がついてる。だから安心してくれ」
声を掛けながら古宮の首元にスポーツタオルを巻いていく。
ほんの少しだけ苦しそうだった古宮の表情が和らいだような気がした。
結菜は絶えずに水を古宮の全身にかけ続ける。
辺りには空になったペットボトルが散乱していた。
遠くから救急車の音が近づいてくる。
サイレンの音がすぐ側で止まる瞬間まで、俺は古宮に声をかけ続けた。
「こっちです!!」
結菜の声に、担架を持った救急隊員が早足で駆けつけてくる。
手慣れた手付きで古宮を担架に乗せると、隊員は俺たちについてきてくれと言った。
俺と結菜は無言で頷くと、隊員たちと共に救急車に乗り込んだ。
すぐにサイレンを鳴らしながら救急車は走り始める。
隊員は古宮の容態を診ながら下っ端にあれこれと指示を出していた。
「古宮……」
古宮の手に触れる。
倒れた直後と比べると冷えてきてはいるが、それでもまだかなりの熱をもっている。
「隼人」
向かい側に座っていた結菜は立ち上がってこちらに手を伸ばす。
そしてその小さな手は俺と古宮をまとめて包み込むようにして重ねられた。
古宮の手とは比べ物にならないほど結菜の手は冷たかった。
「僕たちにできることはやりました。あとは信じて待つだけだよ」
「そうだな。とりあえずお前も握っといてやれ。俺の手より冷たいしな」
「そうします。では古宮先輩、失礼しますね」
ひんやりとした感覚が消える。
結菜は元の位置に座り直して反対側の手を握った。
「……」
それから病院に着くまで俺たちはお互い無言だった。
病院に着くと古宮はすぐに治療室に運ばれたが、俺たちの処置が良かったらしく大事には至らなかったらしい。
今は病室でスヤスヤと寝息を立てている。
俺と結菜は病室の椅子に座ってそんな古宮は見ながら無言の時間を過ごしていた。
二、三十分くらい経ったところで結菜が口を開いた。
「――それにしてはびっくりしましたね。大事にならなくて本当によかった」
「そうだな……。あの様子だとかなり我慢していたはずだ。思い返してみると結構おかしいところはあったんだ。けど気づいてやることが出来なかった」
話し方、顔の赤さ。
こんな分かりやすいことに気づかなかったのが悔しい。
「……気づく、気づかない以前に悟られたくなかったんですよ。自分の身体の状態なんて自分が一番分かっているんだから」
「だろうな。自分のせいで楽しい時間が台無しになる――。それは古宮にとって不本意なことだったんだろ」
手を握る。
その手はもう普通のあたたかさに戻っていた。
何故だか不思議と安心することができる。
「古宮は……あまり自分の意見を口にしない。大抵誰かの案に乗ってくる。だからこそ自分のせいでそれが台無しになることを嫌う。まぁ誰だって自分のせいでそんなことになったら嫌だとは思うが、古宮は人一倍そういうことを気にする奴なんだ」
「でしょうね、古宮先輩の性格なら納得できます。じゃなかったら普通体調不良訴えるよ。というか実際問題、言わない方が迷惑かけるんだけどね」
「そう言うなって。古宮の心は脆いんだよ。特殊な加工が何もされていない器のようなものだ。叩けばすぐに砕けてしまう。すごく繊細な女の子なんだ、この古宮遥香って女の子はな」
「……そして、砕けた器はそう簡単には直らない」
ポツリと結菜は呟いた。
俺は視線を上げる。
「もし仮に直ったとしてもそれは元通りではないです。砕けた物を砕ける前の状態に戻すことは不可能。破片を拾い集めて作り直したとしても絶対にどこかに綻びができている」
「……目を覚ました時、古宮はきっと泣きながら謝ってくるだろうな。自分のせいでごめんなさい――って。そして自分という意思をさらに心の奥底に隠してしまう」
「まるで底なし沼ですね。一度嵌ってしまったら抜け出すことができないなんて」
「それは――俺たちも同じだ、結菜」
「……」
結菜は黙り込む。
病室に流れ込んできた風が、飾ってあった造花の花弁を一枚飛ばした。
窓のすぐそばに座っていた俺は立ち上がって窓を閉める。
風に乗っていた花弁は途端に浮力を失い、白い床にひらひらと落ちていく。
目でそれを追っていた俺は花弁が床に完全に落ちて止まったところで再び口を開いた。
「俺たちは……過去という底なし沼に嵌って這い上がることができないでいる。いくらもがいても、いくら足掻いても、過去に囚われている限り絶対に抜け出すことは出来やしない」
忘れたいともがいても――。
消したいと足掻いても――。
何の意味も無い。
そんなことをしてもただ深みに嵌っていくだけ。
忘れることも、消すこともできない。
まるで焼きごてで刻まれた刻印の様なもの。
身体に刻まれたそれは一生消えることはない。
けど――
「そろそろ俺たちは向かい合わないといけないのかもしれないな」
――痛みを癒すことはできる。
「もう……向かい合ってますよ。十分に向き合ってる」
結菜はそう言うと何かに耐えるように俯いた。
「僕たちは痛みを共有しているじゃないですか。そうしているだけでも十二分に向かい合ってる。隼人と再会できて、一人で抱え込まなくてもよくなった。雨の日の辛さを一人で耐える必要がなくなった」
11年前――。
あの土砂降りの雨の日に俺と結菜は同じモノを失った。
「でも……見方を変えれば共有しているだけ。向き合っているわけではないのかもしれないですね」
「そういうこと……。俺たちは同じ痛みを共有しているだけで向き合っているわけではないんだ」
雨で濡れたアスファルトが赤黒い血で上書きされる。
雨は無慈悲にも降り止まぬ。
冷たくなっていく身体。
土の臭いに混じった鉄の臭い。
その全てが脳に侵蝕して犯していく。
「――颯恋さん……」
結菜の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
過去のことを思い出すと結菜はいつもこうなってしまう。
俺はいつものように結菜の元へ寄り、その身体を優しく抱きしめる。
病人のいる前でやることではないかもしれないが、今は場所なんてものは関係無かった。
大切な人が目の前で泣いているのなら自分ができる最低限のことはやらなきゃならない。
「……」
無言で結菜の髪を撫でる。
子どもを諭すように優しく、優しく。
胸の中で震えていた結菜はやがて大人しくなる。
「ねぇ……隼人」
しばらくしてから結菜は口を開いた。
顔は胸に埋めたままのため、しゃべる度に吐かれる吐息がくすぐったく感じる。
「なんだ?」
「隼人は……どこまで覚えているんですか? あの日ことを」
「……」
「これは……あくまでも想像です。隼人は僕と一緒であの日のことを全て覚えているわけじゃないよね? ところどころ記憶が欠落している。そんな感じがするよ」
……見抜かれていたのか。
俺はポリポリと頭をかく。
「結菜の言う通りだ。いくつか忘れているところがある。なんで忘れたのか……分からないけどな。結菜はどの記憶が欠落しているんだ?」
「……不思議なんです。終わりの記憶――颯恋さんの最期の記憶はある。血だらけになって、横たわる颯恋さんの姿……。けど……なんでああなったのかって記憶が僕にはない。颯恋さんが死んでしまった理由が分からない……。気づけば颯恋さんはあんなことになっていた……」
結菜は俺から離れて俺を見る。
「……隼人は、どうして颯恋さんが死んだのか知っていますか……? もし知ってるなら教えて……」
強く握られた拳には血が滲んでいた。
ものすごい力で握っているからか、ポタポタと垂れた血が白い床に赤い華を咲かせる。
記憶が無いことがどれだけ辛いか俺には分かる。
「――あの日……」
だから俺は言葉を選ぶように口を開いた。
俺が覚えていることを伝えなければならない。
「……俺たちはあの日、四人で出掛けていた。颯恋が雨の日の散歩って楽しいんだよって言ったから。傘をさして、仲良く公園に……」
言いかけて止まる。
……待て。ちょっと待て?
俺は今……自分で何を言った?
「……隼人?」
結菜はその拭いきれない違和感に気づいていない。
目の前にモヤのようなものがかかる。
自分の発言した言葉が鐘が鳴るように反響する。
――四人で出掛けていた――
そう俺は言った。
あまりにも自然に。
人間が呼吸をするように当たり前に。
ならその四人とは誰のことだ?
俺に結菜、そして……颯恋。
……あと一人は……誰だ?
疑問は重く暗雲となって視界を埋めた。
突然訪れる沈黙の時間。それは嵐の前の静けさのような静寂。
そして着実に俺の心を不安という感情で埋めていく。
不意に――カセットテープが巻き戻るようにキュルキュルとした音が頭の中で木霊し、あるワンシーンでピタッと止まる。
あの日の出来事が遮られた視界のスクリーンに映し出される。
「……ッ」
それは散歩の帰り道。
並んだ四つの傘。
俺は黒い傘。
結菜はオレンジと白の傘。
颯恋はピンク系の傘。
そして――もう一つ、赤い傘。
「隼人……? 隼人、どうしたんですか!」
結菜が何か言ってるが聞こえない。
別のことだけが頭を駆け巡る。
並んで歩いた帰り道――。
だが突如、楽しかった時間を切り裂くように響き渡るブレーキ音。
颯恋が手を伸ばす。
赤い傘の子に向かって手を伸ばす。
そして次の瞬間――俺の視界は真っ赤に染まった。
「――――ッッ!!」
やばい。
これ以上は本当にやばい。
思い出してはいけないと頭が激しく警鐘を鳴らしている。
ドッと溢れた闇が俺を支配していく。
ぐらりと、身体が傾くような感覚がした。
「隼人!?」
血相を変えた結菜が俺の名を叫ぶのと同時に、俺の意識は深い闇の底へと落ちていった。
to be continued
心音です、こんばんは。
今回の話はホントなんか、遥香関係なかったですね、前半しか。
少しずつ明らかになっていく隼人と結菜の過去。そして隼人の記憶にある謎の四人目の存在。
それでは次のお話でお会いしましょう




