第22話『進むべき道』
「――先輩!」
前を歩く榊先輩の背中に俺は声を掛ける。
俺の声に先輩は立ち止まり振り返る。
一瞬、先輩の表情が雲間に隠れた太陽のように曇った。が、すぐに普段と何一つ変わらない表情でニコッと笑う。
「おはよう、隼人くん」
最初の表情を見ていなければ、昨日のことはもう吹っ切れたのだと思っただろう。
今浮かべている笑顔という仮面の下はきっと――泣いている。
「おはようございます、榊先輩」
先輩の隣に並び、挨拶を交わす。
再び歩きはじめる前に俺はチラリと後ろの様子を伺う。
十堂と雪原はいつの間にか姿を消していた。
遠回りになるだろうが、俺たちに気を使って裏道を使ったのだろう。時間にはまだ余裕はある。裏道を使っても遅刻をすることは無いはずだ。
二人の気遣いに感謝して俺は前を向いた。
きっと先輩からは話を振ってこないだろうから俺から話を振ることにする。
「昨日のグルメ面白かったですね。反町が問答無用で弄られていて」
「そうだね。思わず声に出して笑っちゃったもん。つもりちゃんもつもりちゃんだけど、あそこまで弄られる優誠くんも優誠くんだよね」
「最近は十堂も加わったから更に激しくなりましたよね」
「確かに。恋歌ちゃん、可愛い顔して結構容赦ないから。優誠くん頭抱えてそうだよ」
困っている反町を想像したのだろうか、榊先輩は口元に手を持っていってふふっと、笑った。俺もつられて笑ってしまう。
「まあ、あいつはそういうキャラですし、きっと心のどこかで喜んでいますよ」
「そ、それはさすがに引いちゃうかな……? 私は優誠くんがマゾじゃないって信じているよ……」
「あ、この間雪原に蹴られて喜んでました」
つい一週間くらい前の出来事を思い出し、俺は先輩に告白する。
「……そんな情報聞きたくなかったよ」
まるでエサを貰えなかった仔犬のようにげんなりとした表情で呟いた。
「ああ……私の中の優誠くんがマゾ認定されちゃったよ……。もう私じゃ救いようがないんだね……」
天界の神に救いを求めるように空を仰ぐ榊先輩。
例え神様であろうと反町を救うことなど出来ないだろうに。
気づけばもう校門が目と鼻の先だった。
なんだかんだで、ちゃんと会話をすることが出来て嬉しく思う。
「……」
でも――言ってしまえば日常の会話が出来ただけだ。弟のことに触れれば榊先輩はきっと――いや、確実にまた壊れてしまう。
「――ねぇ、隼人くん」
「……?」
校門の前で榊先輩が立ち止まる。
急に立ち止まられ、俺は一歩進んだところで足を止めて振り返った。
学校の敷地内の外を分ける校門の鉄製のレールは、まるで俺たちの関係を断たんとばかりに俺と榊先輩の間を切り裂いていた。
「先輩……? どうしたんですか、そんなところ立ってると……他の人の邪魔になりますよ?」
「……」
先輩は俯いたまま何も答えない。
学校へと吸い込まれていく生徒たちは先輩の事を邪魔そうに避けて歩く。人混みが裂け、妙な空間が生まれる。
「……先輩?」
辺りの喧騒は聞こえず、俺は榊先輩以外見れなくなっていた。
先輩が少しずつ顔を上げていくにつれて、どくんどくんどくん――と、心臓の鼓動が長距離マラソンでスパートをかけている陸上選手のように早く、荒くなっていた。
そして――先輩の蒼い瞳が俺を捉えた。
「――――」
俺は言葉を失った。
上がりきったその顔に浮かぶ表情は――笑っていた。
「ありがとうね、隼人くん」
そんな――感謝の言葉が先輩の小さな唇から紡がれる。
美しい聖女のように微笑む榊先輩とは正反対に、俺は驚き戸惑っていた。
榊先輩はそんな俺に気づいているだろうに、そのまま言葉を紡ぎ続ける。
「昨日――あんなことがあったのに、変わらずにいてくれるなんて正直思っていなかった。だから――ありがとう」
足を揃え、背をピンと伸ばし、手を控えめに前の方で組んで榊先輩はもう一度微笑んだ。
そして何も言葉を返せないでいる俺の横を静かに通り抜けていった。
「――待ってください!!」
そこでようやく呪縛から解放された俺は咄嗟に叫んでいた。
榊先輩は歩みをピタリと止め、登校中の生徒は何事かと振り返る。様々な視線という刃物が俺に幾つも刺さっていた。
「先ぱ――」
「ストップ、隼人くん」
言いかけた言葉を止められる。
くるりと先輩は俺の方へ振り向いた。黒く煌めく髪がふわっと踊る。
つい先程とは違う、真面目な表情を浮かべる榊先輩がそこに立っていた。それは月一にやる朝の全校集会や、部活総会等の時に見る――生徒会長としての顔だった。
「最初に話し始めたのは私だけど、ここで立ち話をするのは他の人の迷惑になっちゃう。それに――あまり聞かれたくない内容だもの、
そんな大きな声で喋っちゃダメ」
ピンと立てた人差し指を榊先輩は口元に持っていく。
「……すいません」
「ううん、こっちこそごめんね。私もね、ちゃんと話したいって思ってるから、今日の放課後空いているなら生徒会室にきてくれないかな?」
「……わかりました」
「うん。じゃあまた放課後に会おっか。お昼は生徒会の仕事済ませちゃうから行けないってつもりちゃんに伝えておいてくれる?」
「了解です」
俺が答えると榊先輩は「ありがとう」と頷き、そのまま校舎の中へ姿を消していく。
その背中に俺はもう何も声を掛けることはできず、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
「……」
どれくらい経っただろうか。
頭の中ではその場から動いていないつもりだったが、体があの場所は人の邪魔になると判断していてくれたのか、しっかりと校門脇の木の下に移動していた。
木々の隙間から漏れる木漏れ日がアスファルトの地面をキラキラと輝いている。俺はそんな自然のイルミネーションを見ながら場違いなため息を吐く。
「……?」
光が一部切り取られ、黒い影が産まれる。
視線をあげるとそこには雪原と十堂が立っていた。二人は何も喋らず、俺が口を開くのを待っているようだった。
「……ありがとう、だってさ。俺は感謝されるようなこと何一つしてないってのに。ただ傷つけてしまっただけなのに……!!」
髪の毛をくしゃっと握る。
「普通に接してくれただけでも、嬉しかったんじゃないですか?」
「それは言われた」
「そうするってのは当たり前。ってことでしょ?」
「ああ……」
俺たちは仲間だ。
崩れかけた崖の側で踊っているような危険な状態でも、崩れない限りは仲間ということに変わりない。
「無茶してるように見えたんだよ、きっと」
「だろうな。きっと何もかもお見通しだったんだ――榊先輩には。俺の表情、言葉からそれを見抜かれていた。俺自身も少しは見抜いているつもりだった……。けど……実際は見抜かれているだけで、俺は何も見抜いていなかった」
「それは……」
それっきり雪原は口を噤んでしまう。
春風が揺らす木の葉の音がやたら大きく聞こえるようになった。
さわさわと擦れ合う木の葉と三人分の呼吸音。朝のホームルームまでもう時間がない為、周りには一切人がいないから本当にそれしか聞こえなかった。
「――あれ? そこにいるの隼人――だよな。こんなところで何してるんだ?」
無言という名の静寂を破ったのはホームルームギリギリに登校してきた反町だった。
こちらのほうへ来るや、俺たちの表情などを見て何かあったということを感じ取ったようだ。
「夜乃先輩と何があったんだ?」
「少し――な」
時間が時間ということで教室に向かいながら先程のことを簡単に説明する。
話を聞き終えると反町は腕を組んで、うーむと唸る。
「心を読む読まないの話はさておき、放課後に何を言われるか、だよな」
「ああ」
俺は頷いた。
「わたし達も一緒に行けたら良かったですけど、それは無理ですからね。隼人先輩が頑張るしかないです」
「分かってる。だからいつまでもこうしてうじうじしてるわけにはいかないよな」
パンパンッ――と、気合を入れるために頬を何度か叩く。
ヒリヒリとした痛みが停止していた頭を動かしてくれるような感覚があった。
「放課後が山場だ。話すのが怖くないって言ったら嘘になる。けど――俺なりの努力をして、榊先輩をお前たちのところへ連れていくからな」
「ふふっ、その意気だよ、浅川。やっぱり浅川はそうじゃなくっちゃね」
バシッと、雪原はしならせた腕で俺の背中を叩く。
「待ってるぜ、隼人」
雪原に似せて反町も俺の背中を叩く。
地味に痛いからやめて欲しい。
「――先輩」
十堂が俺を見上げる。
黒い瞳が窓から射し込んできた光に反射して光る。
「わたしが先輩たちの輪の中に入ってわりと時間が経ちました。それで最近、ようやく仲間だと認識出来るようになってきました。だから、その輪の中から一人でも減るのは――嫌です」
「十堂……」
俺は十堂に手を伸ばし、頭をくしゃくしゃと撫でる。さらさらとした髪は指に絡まることなく、指から溢れていく。
こんな状況でも、十堂がしっかりと『仲間』と言ってくれたのが嬉しかった。
「あの……隼人先輩、恥ずかしいです」
「……悪い」
俺は慌てて十堂の頭から手を離す。
うっすらと十堂の頬は朱色に染まっていた。
「とりあえず、頑張ってください」
そう言い残して十堂は階段を上っていった。
さすがに背中を叩くということはしないようで少し安心した。
「……ありがとな」
聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声でお礼を告げ、俺は目を閉じる。
進むべき道は決まった。後はその道にある壁を乗り越えるだけだ。
放課後に――決着をつけよう。
to be continued
心音です。こんばんは。
さて、今回の話をする前に次回の話ですが、おそらく主人公視点での話ではなく、夜乃の視点で少し短めの話になると思います。
今回の話ですが、もう完全に何かあるって感じで夜乃は去っていきましたね。隼人も言っていた通り最大の山場が放課後に訪れることになるでしょう。
では、次のお話でお会いしましょう。




