尋問と嘘 二
2025.07.05 文章のほんの一部を微修正。
不意に出入り口から声がすると思えば、唐突に天井から灯火が落ちた。白い室内灯に目が眩み、顔の前に手を翳す。
闇を追い払った病室は、入れ替わりに押し入った人の影で満たされた。革靴を鳴らす音の数はみっつ。
一人目は白衣を着た初老の男性。饅頭を思わせる丸い体躯に短い手足が生える。驚いたかのように瞬きを忘れ、入口付近で立ち止まった。
其の横に背広の男が並ぶ。日に焼けた強面の男。形の悪い粗削りの顔を部屋の隅々まで向ける。
三人目は薄茶の三揃いを纏う男性。真白な顔の半面が扉の外へ向き、血の気を失った大きな口が不機嫌そうに動く。
「お前達はココで待ってろ。誰も入れるな」
「し、しかし警部」
「命令だ。いいな」
外から漏れる躊躇いがちな声を切り捨て、扉を閉める。振り向く小さい顔に有るは、黒目の大きい一重に低く小さい鼻。後退した黒髪に酷い撫で肩から白蛇を連想させた。
「お前が赤目忍だな?」
少々枯れた声だが、力強かった。質問では無く確認。沈黙や拒絶を許さぬ、有無を言わせぬ命令口調の物言い。
「名を尋ねるなら、自らの氏素性を明かすのが先では?」
居丈高な態度に臆する気はない。白蛇に向けた至極真っ当な要求。だが、当の相手は埃ひとつない床に痰を吐く。
「最近のガキは礼儀がなってねぇな。優しくされ過ぎて、ツケ上ってやがる」
なぁ?と、位置の低い肩を僅かに上げて強面に同意を求める白蛇。が、強面は視線も合わせず口を噤んだ。当ての外れた本人は落胆を隠さず奥襟を掻くと、自身の懐に手を伸ばす。
「先輩」
強面の低い声は静かだが、非難の色が過分に含まれた。怪訝に寄せる眉根から、快く思わぬのが見て取れる。
「あ?違ぇよ」
注意された白蛇は煩わし気に強面を睨み返す。抜き出した手に握られるは小さな革手袋。印籠の如く前に掲げれば、桜の御紋が中央に意匠されていた。
「警視庁薬物銃器対策課の松平正だ。これで満足か?小僧」
誰に勧められた訳でも無く、手近の椅子にどっかと腰掛ける。身の証も用は済んだ、と許りにさっさと仕舞い、代わりに少し潰れた紙の箱を取り出す。
「先輩っ」
強面の口調が強くなる。奥の饅頭も顔を顰めた。
「別にいいだろ?灰皿はある」
周囲から向けられた非難の目を一瞥するだけで、松平と名乗る白蛇は紙煙草を口に咥え火を付ける。先端から上る紫煙に、誰かの溜息が供をした。強面も奥歯を噛み締め唇を閉じる。
「さて、と。俺達が出向いた用件だが、その足りない頭でも分かるな?」
態とであろう、白蛇が吐き出した煙を顔に被った。焦げ付いた甘い匂いに襲われ、顔を引いて逃れる。
いちいち挑発するかの言動。気分は悪いが、狙いは理解出来た。苛立った頭は秘密の錠前を緩め、口を軽くさせる。うっかり外れ落ちるのを待ち構えているのだろう。
「此れは奇遇。知りたい話があるのはお互い様らしい」
その手には乗らぬ。煙を片手で仰ぎ飛ばしつつ、言葉を返す。
魚心あれば水心。知る辺を頼るのであるならば、御上にも駄賃を払って頂く。なに、其処まで高い値など付けはせぬ。
「何だって?」
「拐おうとして逃げた二人組。あの一団は捕まえたか?」
知りたいのは鷲鼻と大黒の動向。悉く粗雑な二人ならば、逃げるにしても何かしらの足跡を残すと思ゆ。捕らえたならば尚良し。そう踏んでの質問だ。
「はぁ?」
だが、御上は納得いかぬらしい。松平は薄く細い眉を顰めて睨んだ。宙に伸びる白い螺旋が大きく揺らぐ。
「ガキに捜査の状況を話すと思うか?」
「ならば御生憎様。話せる事は無い」
「小僧、イキがるな」
一服を燻らす手を止め、機嫌を損ねた黒目を此方に向けた。嗅ぎたくもない口臭が吐息に乗り、彼我との間に漂う空気を淀ませる。
「君を襲った二人組なら、事故を起こしたよ」
剣呑が鎌首を上げたのを見かねてか、奥に佇む強面が口を開いた。厳つい顔に似合わぬ優しい声音。
「鳥居っ」
「先輩、彼は被害者ですよ」
強面は鳥居、という名なのだろう。責める口調の松平に対し、反抗する気骨を示す。
「怖い思いをしたんです。今の状況くらいは教えてもイイのでは?」
「バカか?大事な捜査の情報を勝手に――」
「犯人の素性も分かってないんですよ?ドコに漏れて困る情報がありますか?」
苦し紛れの反論に被せたのは正論の様だ。ならば、相手も押し黙るしか無い。
「っ!勝手にしろっ」
分が悪いと踏んだのだろう。白蛇は吐き捨てると、外方を向いて煙草を続ける。
自らの責を投げ捨てる行い。別に構わぬ。鳥居なる協力者が得られたのならば。
「其れで?」
知らぬ存ぜぬを通す松平を捨て置き、強面に尋ねる。
「幸い、単独事故だったので被害は少なかった。事故で死亡したのは運転手と見られる犯人だけ。君を襲った二人組は逃走中だ」
事務的であるが、少し残念そうな調べ。白昼堂々の犯行だというのに、下手人を捕らえられぬ。この事実が報せの色を落としたか。
に、しても。あの二人組は運が良いのか、悪いのか。役目を達せずに逃げ帰った挙げ句、事故に会うとは。其れでもお縄につかぬのは、悪運だけは良いらしい。
「彼らは何処に逃げ回っている?」
「実は見失ってね。目下、捜査中だよ」
鳥居は気落ちした素振りで肩を竦める。沈む声から、望みは薄いのが分かった。
「死亡した犯人の身元を洗っているけど、名前や経歴が分かる物は何も持ってなくてね。逃走に使用されたワゴンも盗難車。あらかじめ計画を立てていたんだろう」
自嘲気味の声に引っかかりを覚え、脳裏に浮かんだ逆剥けを右手で押さえる。
入念に計画を立て、あの有り様。なのに逃走劇では御上を煙に巻き、証拠を残さぬ。
明らかに一貫性の無い、頓珍漢な成り行き。
「誰かが手を貸して居るのでは?」
「共犯者がいる、って言いたいのかい?だとしても、捜査の網から逃げられないよ」
安心させるためか、鳥居は頬を緩めた。形の悪い、然れど心強い微笑み。
「君は安心して日常に戻ればいい。たとえ犯人が――」
「鳥居っ!」
松平の強い口調が会話に割り込んだ。声を荒げ、黒目が鳥居を鋭く射貫く。強面も息を呑み動きを止めた。口を滑らせたのかも知れぬ。
此処で打ち止め、か。新たな知見を詰め込んだ頭に右手を添える。
何も知らぬよりかは十分。鳥居が漏らした言葉の先を知りたくもあるが、無理に口を割らせる程でも無い。
「感謝しろよ、小僧」
睨みつけ乍ら、脂混じりの唾を床に吐く。指は新たな煙草へと伸びた。
「今度はコッチの質問に答えて貰おうか」
元より、知り得た分を返す所存。黙して小さく頷けば、松平は小さく舌打ちする。
「可愛くねぇガキだ」
無遠慮な相手に愛想を見せる必要もあるまい。其れが面白くないのだろう。携火具の頭にある鑢を何度も打ち鳴らす。
「で、小僧。襲ってきた相手に心当たりは?」
漸く点いた小さい炎に齧り付き、白い煙の滝を吐いた。暫し煙を漂わせれば、落ち着きを取り戻した松平の黒目が鋭く睨む。
「顔は見ていない、と言いたいが襲われる前に見てしまったしの。全く覚えの無い顔だった」
真。あの時、鷲鼻や大黒の顔は初見。前に見ていたなら忘れる筈も無い。
「ホントか?」
だが、白蛇は黒い目に映る幼年の言葉など端から信じていない。電子音が単調な拍子を刻む中、言葉も無く互いを見据る。視線で交わす鍔迫り合い。
「けっ!」
先に視線を外したのは白蛇だった。短くなった煙草を摘み、先端に溜まった灰を小袋の中へ落とす。
「なら最近、周囲で変わった事は?例えば誰かにケンカを売られた、とか」
「さて?特に不興を買った記憶はないが」
嘘。何処まで御上が存じ上げるのか知らぬが、淡緑に関する仔細は伏せる。先に得た話と比べれば、流石に高値。獏との約もあり、口は割れぬ。
「ほう?」
然れど、どうした事か。愉快そうに口の端を上げる松平。唇が横に広がる様は、正しく獲物に狙いを定めた蛇の其れ。
「なら、小僧は大物かバカのどっちかだな。タチの悪い奴等にケンカを吹っ掛けたのに、気づいちゃいねぇ」
「どういう意味だ?」
まるで相手の正体を知っているかの言葉遣い。松平に問い返せば、嫌らしい笑みを浮かべ、背後で壁となった饅頭へ黒目を向ける。
「先生っ。小僧の検査結果をもう一度、話しちゃくれねぇか?」
話を振られた饅頭は仏頂面から戸惑った顔へ色を変えた。明らかに嫌そうだが、逆らえないのだろう。小脇に抱えた端末を持ち直し、目を落とす。
「えー。患者の皮膚に生じた電紋や身体の損傷具合から、電撃傷を負った可能性がありますな。簡単に言いますと感電です」
「で?」
「あ、はい。搬送された状況から推察しますと、患者の身体には、およそ50ミリアンペア以上の電流が流れたと思われます。これは心肺停止を引き起こすには十分です」
「だ、そうだ。分かったか?小僧」
松平は冷笑を崩さず、口元から白煙の細い筋を描いた。宛ら長く伸ばした白い舌。
「つまり、だ。逃走中の加害者は被害者の生死なんざ、どうでも良かった、ってこった。先生もそう思うだろ?」
白蛇の弾む声に、饅頭が端末から視線を外して首肯する。
「少なくとも、普通の心理状態ではありませんね。病室で喫煙するのと同じ程度には」
痛烈な嫌味に松平が視線を細める。細やかな意趣返しを面白がる様にも見えた。
ともあれ、饅頭の訴えは届いたか。先端に灰が溜まった煙草を指で挟む。
「でだ、小僧。もう一度だけ聞くが、心当たりはあるんだな?」
手元の小袋に灰を落とし、再び白煙を愉しむ白蛇。と、突然に顔を寄せた。紫煙で焦がした甘い匂い。
「いや」
異臭が襲う前に顔を引き、前で手を振る。
「覚えがあれば、先に言っておる」
嘘。少しの証拠を突き付けられたとて、前言を翻す気は無かった。
翻せば、発する言葉から重みが失せる。重みが失せれば、ひと吹きで被せた襤褸が飛び、隠すべき真実が浮き彫りにされてしまう。付き通すしかない。
「どうかな?」
其れでも松平は諦めず、黒真珠の瞳で真贋を確かめ始める。何処か艶やかな光を湛えて。
が、其れも一瞬。
「よくもまぁ、平気な顔でウソが付けるモンだ」
然程時間をかけず、白蛇は贋作と見た様だ。いや、元から決めつけていたのだろう。正しい、が、軽過ぎる。
「其れは心外」
嘘に塗れた頭を傾げ、溜息をつく。この程度の揺さ振りで、機械の奏でる旋律が乱れるとでも思ったか。
「そうか?なら、自分の身体に聞いてみろ」
何を聞く、と?松平が放った言葉の真意を読み取れず、傾ぐ頭に手を添える。其れを演技と見たのか、白蛇が忌々しく舌を鳴らし、視線を再び饅頭へ向けた。
「先生っ。重度の感電を受けた身体にゃ、どんな影響が出る?」
再び話を振られた饅頭が、憮然とした顔で端末を確認する。
「えーっ、まずは筋肉の強直性収縮による呼吸困難や心室細動が挙げられますな。組織に熱傷を負うケースもありますし、過度の電流が体内に流れることで神経系の変調もあるでしょう」
「で、小僧にその症状は?」
「そうですな。血圧や脈拍は正常ですし、血液検査もトロポニンが若干高いですが、異常値には届きません。CT検査や心電図も行いましたが、どれも正常の範囲内に収まっています。重度の感電で、この結果は奇跡と言っていいでしょう」
「奇跡、ねぇ」
意味ありげに言葉を繰り返すと、松平は徐ろに立ち上がった。
其の儘、白煙が揺らぐにあわせ、ふらふらと窓辺へと向かう。外は深い闇。窓が幾重にも輪郭を重ねた姿を映すが、顔色迄は憚られた。
「そんな都合のいい奇跡なんざ、ある訳ねぇよな。こういった場合、何かのインチキが存在するもんだ。胡散臭い手品と同じで、な」
「種も仕掛けも仕込む暇は無かったが?」
「はぁ?時間はナンボでもあっただろう?」
白蛇が振り返ると、片眉を跳ね上げた。ふたつの黒真珠が妖しく揺らぐ。
「やってるんだろ?『GB』を」
電子音が一拍、とんだ。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




