尋問と嘘 ー
2025.06.28 文末を微修正。
重い瞼をどうにかして開けると、茜色に染まった格子天井が出迎えた。
妙に背が高く、薄布で仕切られた空間が目に映る全て。傍らに据え置かれた表示機が自身に映し出した数字を忙しなく書き換え、電子音で同じ拍子を刻む。
不思議と煩わしいとは思えず。繰り返される単調な音が、思考を覆う靄を徐々に晴らしてゆく。十回、二十回。三十を数える頃には澄み切っていた。
酷い夢を見ていた気がする。内容は何も覚えておらぬものの、物悲しい情意だけは忘れずに残された。
其のせいか、寝汗も随分と掻いた様だ。湿った肌着がべたり、と纏わり付く。微妙な冷たさと体内に篭った熱が皮膚の上で打つかり合い、不快感を際立たせた。
中々に鬱陶しい。掛け布団を剥ぎ取りたいが、生憎と左手は管のついた針を打たれ思うように動かせず。
右手は見る迄も無い。御丁寧に大きな錘を載せられた。妙に温かい塊。首を動かすのも億劫な故、眼球の動きだけで正体を追う。
他人の腕を枕にし、永見が寝息を立てていた。
化粧を落とした顔を向け、彼女の唇が呼吸に合わせ小気味良く震える。艶やかに潤んだ異性の唇に出交し、思わず息を吞む。
初めて味わう異質な感情。理から生ずるのではなく、奥根から湧き立つ情欲が丹田の下を擽る。
いかん。平静を置く場所を失ったのに気付いたか、電子音を奏でる速度が上がった。音階と音量も慌ただしくなり、余計に落ち着きを失う。
「んっ……」
永見が呻き乍ら敷布に顔を埋めたと思えば、ゆっくりと寝ぼけた顔を上げた。焦点の合わぬ大きな瞳と暫し見つめ合えば、途端に顔全体を真っ赤に染め、そっぽを向く。
「見た?」
耳まで赤くして問う御河童頭。何と答えれば良いものか。思案に暮れる時間も与えられず、じとっとした目を向けられた。
「スケベ」
見せたのは其方であろう?濡れ衣を被せられた頭を手で庇う。落胆の溜息をひとつ吐けば、合わせて電子音も間を開けた。何とも現金な機械だ。
「永見ひとりか?」
上体を起こし、見知らぬ部屋をぐるりと見渡す。普段の寝床とは違う部屋なのは一目瞭然。とかく潔癖な空気に消毒液の匂いが漂う。布幕越しの日差しは弱々しい。思ったよりも長く寝込んでいたようだ。
「ナニよ、襲う気?」
「阿呆を申せ。姉の姿が見えぬから尋ねたまで」
抱えた頭が重くなる。三禁を破る気など無く、友に対し情欲を催すなど以ての外。余りにも失礼ではないか。
「璃さんなら別の部屋で治療中。頭を蹴られたから安静が必要だって」
口を尖らせて返された声音は、何処と無く不満を含んでいた。
「大丈夫なのか?」
「お医者さんが言うには、骨に異常はなかった、って。顔の腫れも見た目より軽いみたい」
朗報ではあるが、諸手を上げて喜ぶ話でも無い。あの大黒が蹴り上げなければ、怪我を負う必要など無かったのだ。
「もう、そんな顔しないでよ。大したコトなくて良かったじゃない」
知らず、怖い顔をしていたのだろう。頭に張り付いた手を目元に移し、息長をひとつ。ゆっくりとした呼吸は電子音の拍子を少し伸ばした。
「永見は姉に付き添わぬのか?」
「ナニ言ってるの。しぃ君の方がヒドかったんだから」
返す言葉に少し許りの非難が込められた。
「しぃ君、あの後すぐ気を失ったんだよ?声をかけても返事ないし。すごく心配したんだから」
「其れは済まなんだ」
「ホントにそう思ってる?」
真意を探らんとする目を向けられる。どうも信じて貰えぬ様子。首を竦めるしかない。
「謝るなら、先にお姉さんへ謝ってね。しぃ君から離れようとしないし、救急車や病院でも弟を先に治療して、の一点張り。それはもうスゴかったんだから」
「其れは大事」
見ていなくても情景が容易に思い浮かぶ。己も怪我人だというのに、必死の形相で喚き散らす姉の姿。きっと、周囲も扱いに困ったであろう。
「済まんな。永見には色々と迷惑をかけた」
心からの謝意を込め、同じ言葉を繰り返す。受け取った永見は微笑を口元に浮かべ、首を左右に振った。
「ううん、しぃ君が無事なら」
「だが巻き込んだ」
「そう言われても、ね。実際、遠くにいて何もできなかったし」
乾いた笑みを張り付かせた儘、僅かに首を傾げる。幾許か責任を感じているのだろう。省みる必要のない、無駄な反省。
何を言う、助けようと気概を見せてくれたではないか。其れだけで十分。
「気にするな」
笑い掛けるものの、相手は心の針が何処かで引っ掛かるのだろう。俯き加減に視線を落とす。
不意に会話が途切れた。
切っ掛けを失うと、此処まで重くなる物なのか。時間が経つにつれ、気の利いた台詞を選ぼうとして焦りが生まれる。喉まで上った言葉が次々に泡へ変わり、口元から掻き消えた。
逃げられたり、白を切られるのは困る故。いや、何よりも嫌われる事が。
何故、間宮に関する話を避けるのか。嘗ての恋仲相手と何かあったのは明白だが、頑として口を割らぬ。
心変わりがあったと思いたく無いが、問い詰めて気分を損なうのも悪手。彼女から進んで語れる様に、口に出来る場を作り出さねば知る由など訪れない。
斯くして、どうしても言葉を選ぶ。選ぶが為、言葉に詰まる。悪循環。規則正しい電子音が刻まれる度、二人を別かつ間が広がる。此れは錯覚か?
「で、さ。具合はどうなの?お医者さんは絶対安静、って言ってたけど」
話題を変える術は永見に一日の長があった。助かる。あの儘では彼岸の先まで遠ざかって居た。
「特に可怪しな所は――」
上体を動かしながら確認すると、右手首の奥に感じる異変。
少々の引っかかりを感じて見やると、網目に広がる薄紫の痣。腕に沿って走る皮下の傷は、蚯蚓が地中を掘り進んだ跡に見えた。手首を回してみたが痛みはない。
「まぁ大丈夫であろう。其れよりも、肌着が張り付いて気持ちが悪い。あと」
濡れた寝間着の前襟を開け、胸元に貼り付く小さな箱を指差す。箱から生えた何本もの細い紐が肌の上を這い回り、所々で絡みつく。身体を動かす折々で邪魔となるのは頂けない。
「これは何かの呪いか?煩わしくて敵わん」
「取っちゃダメだって!」
慌てた永見の手が、箱を引っ張る掌を押さえた。
「もう、なんで勝手なコトっ!」
「とは申せど」
「大人しくしてってば!」
雷鳴の如き一喝が轟く。今まで聞いた中でも、ひと際大きい叱責。予想だにせぬ一撃を喰らい、思わず目を剥く。
「いい?しぃ君、気を失って倒れたのよ?今だけは言うことを聞いてっ。ねっ」
永見が眉根を寄せ迫る。濡れて潤む瞳に強く握り返す手。さも由々しき状況であるかの物言いに驚くしか無い。
何しろ、四肢から伝わる感触からは別段、変化を感じぬ。実際の手応えと永見の心配の落差に戸惑うな、とは酷と云うもの。
「まぁ、従うのは吝かではないが……」
不承ゞ。落ち着かぬ頭を抱えてつつ答えると、御河童頭の口から大きく長い吐息が溢れた。
「ココまで言わないと分かってくれないなんて、しぃ君ってホント身勝手だよね。お姉さんが苦労するも分かるわ」
「そうか?」
「そうよ。璃さんが可哀そう」
永見が再び大きな溜息を残して席を立つ。
身勝手とは?自覚のない困惑と疑問が眉間の合間で行ったり来たりする間、彼女は手にした端末を寝床の隅に立て掛けた。
「用があったらコレに話しかけて。アドレスは登録してるから、名前を呼べばすぐに繋がるわ」
誰に?と確認する前に、永見の手が勢いをつけて布幕を開ける。病室が広がり、姿を表した窓から夕日が飛び込んだ。夕暮れを彩る熱さの無い暖色が部屋に長い影を作る。
「永見は何処へ?」
「璃さんの所。ワタシも様子が気になるし、しぃ君が起きたのも言わないと」
「様子が分かったら教えてくれないか?」
「イイけど、多分、コッチに来ると思うよ」
「姉は怪我をしているのだろう?」
「だからっ、しぃ君の方が重症なのっ!」
再び噛みつかれた。心配なのは分かるが、過保護にするのも考えもの。さては姉の癖が永見に感染ったか?流石に言葉にはしないが。
「分かった。大人しくしよう」
再三の注意に観念する他、無い。唯一動かせる右手を掲げて降参の意を示すと、御河童頭は此の日、一番長い溜息をついた。
「ホント、じっと待っててね」
言い残し、出口と思しき引き戸に指を掛ける。直ぐには出ていかなかった。背を向けた儘、離れるのを躊躇うかの様に其の場で身を揺する。
「しぃ君」
顔を向けずに名を呼んだ。声の端々が揺れた、怯えを含んだ声。
「どうかしたか?」
「もう少しだけ、時間をもらえる?」
何を言わんとするのか、直ぐに察した。
「今はまだ、頭の中がゴチャゴチャしてるから。色々と自分の中で落ち着けば、話せると思う」
深く差し込んだ影に隠れ、永見の顔色を伺えず。が、怖気た声音の奥底に僅かな決意を垣間見る。
そうか、永見も怖いのか。
「分かった」
必要なのは少し許りの勇気。集めるに時間を要するのは知っていた。ならば待つしかあるまい。
「永見が話せる迄、待とう」
軽く頷くと、少し安心したのだろう。今度こそ扉の向こうへ消えた。
ひとり取り残された寝床の上で胡座をかき、顔に掌を押し当てる。
茜色は深まり、部屋は真紅に染まった。深い紅に染まった部屋。血の海にも似た中で時間を持て余せば、今日の出来事が脳裏を占める。
廃屋の四人組。若しくは拐おうとした二人組。
奴等は一体、何者だったのだろう。いや、続け様の襲撃はひとつの衆徒で企まれたのだろうか?
答えが是として考える。
先出した四人組が相手の気を引き、後の二人組で不意を撃つ。有史以来、散々と使い古された手口。故に、有効だと万人に知られた奸計。
だが、怪しい。今回に限れば、連れ去るには前の四人で事足りる。姿を見せず、視線と気配だけで追い詰める程の達人集団。回り諄い手など使わずに押きれば、苦労無く目的も達せられよう。
と、なれば後の二人組は完全な蛇足。現に、事を起こす全てが拙かった。結果、志は徒労となり、おめおめ逃げ帰ったではないか。
二手が其々、別の陣営であった場合も考えよう。折り合い悪く、異なる集団が同一時刻に襲った。ありえぬ話ではない。
では、何処からの差し金か?
乾いた血溜まりに似た色の寝床へ横倒しとなった。自由に動かせる右腕を折り畳み、側頭部を支える。
何者かに狙われた。此の自覚は以後、持ち合わせなければならぬ。
何処か預かり知らぬ所で、何者かが害意を企んでいる。しかも、ひとつではなく複数。
一体、誰が狙うのか?真っ先に上がるのが、獏と名乗った氏素性も分からぬ男。だが、襲うにしても今更。口封じならばもっと前に動いただろう。
ならば、淡緑の生き残り?いや、赤鬼に散々と討ち減らされたのだ。後々の噂を耳にしないのも含め、周囲に威張る力など無かろう。
分からぬ、何もかも。
拐さんとする相手も、その思惑も。付け狙う数すら。
姿勢を仰向けに直し、手の位置を目の上に移す。
万川集海には『ただ危うきは推量の沙汰』とある。戒め通り、憶測で動いても的を外すだけ。
身の上は、夜目も聞かぬ暗闇の中、猟師に狙われる鴨と知れ。鍋にされて食われる前に梟へと化ける必要がある。
気付けば陽は落ちたらしい。部屋は何時しか、深い藍色へと姿を変えていた。
窓辺から忍び寄る薄闇に、一層の肌寒さを覚えた。考え事をしている内に寝汗が冷え切った様だ。夜の寒さも相まり、つい身震いしてしまう。
詰まらぬ事で風邪を引くのも馬鹿らしい。寝台から身を下ろし、手近な衣装箪笥に手をかけた。
残念乍ら着替えがあったとて、左手首から伸びる点滴の管が邪魔で袖を通せぬ。
せめて手拭いがあれば。期待を込めて開けたものの、中身は蛻の殻。扉の裏に仕組まれた小さな鏡に、誰かの目が映り込む。
直ぐ様、乱暴に閉じた。
表示機が落ち着かない旋律を打ち始め、甲高い警告音を合わせる。突然の不協和音に顔を歪め、動悸が激しくなる。
落ち着け。胸元を握り、息長を繰り返す。長く息を吸い、同じ時間をかけて吐く。乱れた気を整える忍びの呼吸法。
其れでも力を失った二本の足で立ち続けることは叶わず。心許ない足取りで身を引けば、膝裏に寝台の端が当たる。砕けた腰が後ろへ倒れ、上半身が寝床の敷布団へと落ちた。
図らずも再び天井を見上げる形となり、暫し呆然とする。新たに吹き出した汗が肌着の中で混じり合って蒸れるが、払う気力も沸かぬ。只、汗が目に入る前に右手で拭うしか出来ない。
胸のざわつきを抑える、動転した気を落ち着かせる。修行で培った術を用いれば容易い。
然れど根本、異相の発現はどうにもならぬ。
認めるしか無い。望まずも持ち得てしまった凶相を、正道から外れてしまった事実を。
受け入れるのは難しい。だが、駄々を捏ねた儘では邪な奈落の底へ落ちるだけ。手遅れとなる前に、迷った道から抜け出すしか無い。
間に合うだろうか?一抹の不安を右手で覆い隠す。自らを励ます為、思考の滝壺へと沈む。
故に、気付くのが遅れた。騒がしく言い合う数々の声に。固い床を叩く革靴の群れに。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




