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第45話 獣王の落胤――蒼は斬れず

西に沈みかけた太陽が、

戦場を横から――抉るように照らしていた。


焼けた空が、

崩れた土嚢、倒れ伏した投石器、

放棄された黒帝軍の本陣――

そのすべてを、逃げ場のない赤で塗り潰す。


矢も、怒号も、

すでに途切れている。


残っているのは――

屍の血の匂いと、深く抉られた大地。

踏み荒らされ、押し潰された戦場の“重さ”だけだった。


その中央で。


蒼と、


世界に放たれた

“獣王の落胤(らくいん)”。


二つの存在が、

互いを測るでもなく――

ただ、向かい合っていた。



この戦場では――

剣士としての常識が、

あまりにも容易く、崩れ去っていた。


通常の斬撃。

正確な間合い。

積み上げてきた技量。


そのすべてが、

一切、意味を持たないという宣告。


それでも。


ロザリーナは、

一瞬だけ歯を噛み締め――

次の瞬間、地を蹴った。


速い。


ただ、

圧倒的に、速い。


「……止めなければ――」


双剣が、

同時に――消えた。


一閃。

二閃。

三閃。


雷が、

連続して叩き込まれる。


蒼銀の軌跡が、

幾重にも重なり、

空気そのものを切り裂いた。


肩。

胸。

脇腹。

首元。


斬る。

刻む。

断ち切る。


――それを、


「……まさか……」


城壁へ駆け上がってきたクレセントが、

息を呑み、声を漏らした。


視界に映る光景を、

思考が拒絶する。

理解が追いつくまで――

ほんの、わずかな“間”が必要だった。


「……たった、一人で……

 あの“化け物”と……斬り合ってる……?」


あり得ない。


クレセントは、知っている。

あの蒼が、何を意味するかを。


ロザリーナと、最初に出会った村。

八将・グラ=シャルンを、

正面から圧倒してみせた――あの色。


剣が振るわれた、その瞬間に。

“勝敗が決まる”剣。


恐怖も。

威圧も。

力そのものを――静かに、断ち切る。


絶望を裂くための、蒼。


それが――


(……効いて、いない……?)


刃は届いている。

動きも、速さも、間合いも。

何一つ、狂ってはいない。


それでも――

相手は、揺るがない。


だが、それは――必然だった。


グラを喰らい。

ヴァルザークを退け。

そして、ベニバラとアズを叩き潰したドルグでさえ、

“戦い”として成立させなかった存在。


八将の三巨頭ですら、

単なる“通過点”としてきた。


それは絶望そのもの。


――ライザリオン。


それを“兄”と呼べる者が、

たった一人で向き合い、

なお、生きて立っていること自体が――

もはや、奇跡だった。


(……これ、戦いじゃない……)


勝つための剣でも。

殺すための剣でもない。


“砦の命を守る側”が、

必死に抗っているだけの――現実。


クレセントの背筋を、

氷のようなものが、

音もなく――這い上がっていった。



それでも、

ロザリーナは、止まらなかった。


――舞うように、位置を変える。


前へ。

横へ。

背後へ。


斬って、

斬って、

斬り続ける。


だが――


ライザリオンは、

倒れなかった。


斬撃は、

赤黒い外皮に吸い込まれ、

何事もなかったかのように――弾かれる。


血は、出ない。

肉も、裂けない。


(……効いてない)


視界が、

わずかに揺れる。

呼吸が乱れる。


胃の奥が、

きり、と軋む。


(……毒……)


喉の奥に、

鉄の味。


吐き気を噛み殺し、

ロザリーナは踏み込む。


――止まらない。


止まれば、

終わる。



その瞬間。


ライザリオンが、

初めて――動いた。


踏み込み。


右手の槍が、

一直線に突き出される。


――腹。


ロザリーナは、

反射だけで剣を振った。


弾く。


だが――


ガギィィン――!!


爆ぜるような衝撃。


左腕に、

凄まじい反動が走る。


次の瞬間。


剣の柄が――

砕けた。


折れた剣が、

火花を散らしながら宙を舞う。


ライザリオンの槍は、

黒帝軍が誇る伝説の鍛冶士の“作品”。

軽く、

そして――折れない。


振り払えなかった、

その一瞬。


槍の先端が――

蒼い軽鎧を貫いた。


「――っ!!」


腹を突き抜ける、

冷たい衝撃。


ロザリーナは即座に――

槍の柄を左手で掴んだ。


必死に。

指が食い込むほど、強く。


そのまま――

後方へ退く。


槍は、

致命に届く寸前で――止まった。


だが。


ライザリオンは、

止まらない。


両手で、槍を握り直す。

一歩。

踏み出す。


――ぐっ。


さらに、

深く。


腹の奥が、

灼ける。


内側を、

削り取られるような、

鈍く、逃げ場のない激痛。


次の瞬間――

身体が、僅かに浮いた。


ロザリーナごと、

槍が上へ引き上げられる。


腹を、

真一文字に裂こうとする力。


止められない――桁違いの怪力。


歯を、

きつく噛み締める。


眉が、わずかに歪み――

視界の端が、白く滲んだ。


だが、

悲鳴は出ない。


(――このままじゃ)


その言葉と同時に、

蒼銀の瞳が、

一度だけ――冷える。


一切の迷いが、消えた。


判断は、

一瞬。


右手の剣を――捨てた。

両手で、槍の柄を掴む。


歯を食いしばり、

腰を引き、

腕の力だけで――


腹から引き抜く。


血が、噴き出した。


「……終わらせる」


その声は、震えていなかった。


視界に映る、

変わり果てた兄。


「ごめんね、――兄さん」


同時に。

後ろ足で、

地を蹴る。


身体が、

尻から宙へ浮き上がる。

槍の柄を平均台のように掴み、

それを支点に――前方へ反転。


左膝を畳み、

右脚を限界まで伸ばす。


そして――


持ち上げられた力を、

そのまま回転力に変えて。


右足の踵に、

全体重を掛けて――


ライザリオンの脳天へ、叩き落とした。


――ゴンッ!!


鈍く、重い音。

頭蓋に、

確かな衝撃。


斬ったのではない。

骨を砕く、

外部からの打撃。


ライザリオンの膝が、

一瞬だけ――沈む。


だが。


次の瞬間。

顔が、ゆっくり上がった。


赤黒い瞳。


効いていない。


なにも――。


そこには、

抵抗すら、存在しなかった。



ライザリオンは、

ロザリーナが掴んでいる槍を――

横へ、ずらす。


体重を預けていた支点が――消える。


「……っ」


ロザリーナの身体が、

落ちる。


背中から――

ライザリオンの足元へ。


次の瞬間。


力一杯に、

蹴り上げた。


腹へ。


――ドンッ!!


内臓が、

潰れる。


息が、

一気に吐き出される。


「――がっ……!!」


身体が、

宙を舞った。


夕陽に染まる戦場を、

一直線に――


敵本陣跡へ。


逃げ散った黒帝軍の本陣。

その周囲に積み上げられた――

土嚢(どのう)の壁。


次の瞬間。


――ドンッ!!


背中が、

強かに叩きつけられる。


布袋が潰れ、

土が爆ぜる。


肺が、

悲鳴を上げる。


「――――っ!!」


ぶはっ……!!


口から、

血が――噴き出した。


ロザリーナは、

土嚢にもたれるように、

崩れ落ちる。


視界が、

白く揺れる。


血を流す腹を押さえ、

起き上がる。


顔を上げた向こうに――

ライザリオンが、

静かに歩いて来ていた。


獣の呼吸。

赤黒い瞳。


倒れた“障害物”を、

処理しに来る――

捕食者の足取り。


「……剣が、ない」


ロザリーナは、

周囲を見渡す。


剣が役に立たないことは、

分かっていた。


それでも――

素手よりは、ましだった。


本陣の中。

鈍く、光るもの。


――黒帝軍の剣。


ロザリーナは、

ふらつく脚を叱咤し、

そこへ向かった。


呼吸が、乱れる。

視界が、歪む。


そして彼女は――

この戦場が“人間のものではなくなった”と、

最初に理解してしまった。


その背後で、地面がきしりと鳴った。

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