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第20話 眠らぬ狩人――捨てられた者たちの地下

その日の夜。


地上の喧騒が嘘のように消えた酒場の地下室で、

ロザリーナは冷たい床に横たえられていた。


暗い倉庫のような広い空間――

壊れた椅子、樽、古い酒瓶、干からびた食料。


その薄暗い隅に――

両手両足を粗縄で縛られたまま転がされている。



階段の上、

地下へ降りる扉の前で、見張りの男が二人、だるそうに話していた。


「けどよ……あの女、いい身体してたなぁ」


「やめとけ。

 グラ様が“いたぶるから絶対殺すな”って言ってただろ。

 傷つけたら俺らも死ぬぞ」


「殺しゃしねぇよ。

 ちょっと楽しむだけだ」


下卑た笑いが、地下室のドアを睨む。


その死角――

陰に身を潜める女が一人。


仮面の奥の目を伏せ、床に伸びる男たちの影を見ていた。


「……やめとけ!」


男は仲間の制止も耳に入れず、

ニヤニヤと笑いながら、ドアの鍵を開け、

階段をひとりで降りていった。



その少し前――


ロザリーナは、

意識が水底から浮かぶように戻ってきていた。


「……っ……ここは……」


ぼやけた視界が形を結ぶ。

薄暗い壁に貼られた紙へ焦点が合う。


――粗い筆致で描かれた自分の顔。

青銀の瞳、栗色の髪、双剣。


(……私の手配書……)


ロザリーナは深く息を吸い、

後ろ縛りの手を腰の下に滑らせ――


しなやかな体の可動域を最大限使って、

ぐい、と腕を腰の下から腹側へ通した。


(……よし)


その瞬間――

木製階段の軋む音。


階段を降りてくる巨漢の影。

ロザリーナは即座に横たわり、眠ったふりをする。



下りてきた男は、

意識が戻っているなど露ほども知らず、

いやらしい笑みで短剣を握り近づいてきた。


「よぉ、ねえちゃん。……お楽しみといくか」


腕がロザリーナの首へ回り、

体を起こそうとした瞬間――


(……今)


ロザリーナは縛られたままの右手を拳にし、

親指を前へ突き出して――


男の喉元へ一直線に打ち込んだ。


グゴキィッ――。

鈍い手応えと共に、親指の骨まで痺れる痛みが走る。


喉仏が砕け、悲鳴すら漏らせず男は

目をむいて後方に倒れる。


(騒ぐ暇は与えない)


充血した目で、男は酸欠の魚のように口をパクパクさせ――

やがて動かなくなった。


ロザリーナは倒れた男の短剣を蹴り寄せ、

器用に握り、縄を断ち切る。


次は足――

そう思った矢先、


再び階段を降りる足音。


(また来るのか?)


ロザリーナは振り返りながら縄を切る。

影が階段を下りてきた――


「へぇ。助けは必要なかったみたいね」


女は足元に倒れている見張りの男を一瞥した。

喉元を潰され、即死している。


薄布のヴェールが揺れ、

翡翠の瞳がロザリーナを見下ろす。


階段上のドア近く。

もう一人の見張りは、女の短剣で、静かに片付けられていた。


◆◇◆


「……何者だ?」


立ち上がったロザリーナは短剣を握り直す。


女はゆっくり降り立ち、両手を広げた。

その手には、鞘に収まった双剣が。


「味方。……少なくとも、今は」


声は軽いが、奥の色は深かった。


「私はベル・サフィール――北の地ブルームロアの者。

 抵抗を捨てずに生きている者たちが西にいる――そう聞いて、

 ここまで来たの」


「私はロザリーナ。……どうして私を?」


ベルは壁を指す。


そこには貼られた手配書。


「あなたが酒場に入った瞬間に分かった。

 あの粗い絵でも、瞳の色は誤魔化せないもの」


ベルは歩み寄り、ロザリーナを覗き込む。


「グラ=シャルンに追われているということは、

 ――私の敵じゃない」


彼女は店主の部屋から盗んできた双剣を、ロザリーナへ差し出す。


「それと……眠り薬。

 効果が切れるのが早すぎるわ」


「……?」


「牛でも二晩(ふたばん)は動けなくなるほどの薬。

 数時間で意識が戻るなんて普通じゃないわ」


ベルは肩を竦める。


「あれは強い薬よ。

 たぶん副作用が出る。

 しばらくは嘔吐と眩暈が残るはず」


暗い地下室に、

二人の女の影が並んだ。


ロザリーナは、手渡された自分の双剣を腰に戻した。


そしてベルの瞳を正面から射抜くように見た。


「――目的は?」


ベルは薄笑いを浮かべる。

舞い子のそれであり、獣のそれでもある。


「私の目的はもう達したわ。

 ――あなたを助けること。

 ……まあ、必要なかったみたいだけどね?」


ちょうどその時――

階段の上から別の足音。


ロザリーナとベルは視線を交わし、

静かに気配を沈めた。


「まずは、ここを出るわよ」


ベルが身を翻そうとした瞬間――


「……待って!!」


ロザリーナが背後の細い気配を捉え、振り返った。


「――誰だ!?」


暗がりの隅。

膝を抱え、息を殺してこちらを見ている小さな影。


酒場で料理を運んできた少女――

足首は縄で繋がれ、汚れた薄いゴザの上にしゃがみ込み、震えていた。


ベルは振り返らず吐き捨てる。


「まずは逃げるわよ」


だがロザリーナは応じず、

背を向けて、少女の方へ歩き出した。


「……足手まといになるわよ」


翡翠の瞳が、縛られた少女に冷たく向けられる。


「それに――その子、あなたを罠にかけたんだよ」


ロザリーナは一言も返さない。


少女へ歩み寄る。

怒っているのか、哀れんでいるのか――表情は読み取れない。


少女の瞳が揺れ、肩が逃げ場を探すように震え、

やがて耐えきれず――


顔を上げ、大きく口を開けて、


「――うわあああぁぁ!!」


と泣き出した。

涙がボロボロとこぼれ落ちる。


その瞬間、ロザリーナは膝をつき、

そっと左手で少女の口を覆った。


「……見捨てることは、しない」


低い声。

冷たいはずなのに、静かで、不思議と温かい声だった。


ベルは階段で足を止めた。


(……嘘でしょ。

 このルール無用の絶望世界で……

 まだ、そんなことを言える人がいるの?)


ロザリーナは縄を断ち切り、

小さな身体を抱き上げる。


そのやせ細った震える腕が、彼女の胸にしがみついてきた。


「大丈夫。……もう大丈夫だ」


その言葉は、

冷たい地下の空気を真っ二つに裂いた。


ベルは薄布の奥で唇を揺らした。


「……あなたって、本当に……」


何かを言いかけて――飲み込む。


ベルは、酒樽に掛けてある布を引き千切ると、

ロザリーナの胸に少女を包み、切れ端を背へ回して強く結んだ。


「その子を見捨てないなら――ちゃんと落とさないで」


短い言葉。

ベルは微笑み、階段を指した。


「――行くわよ。

 この村は、敵だらけだから」


ロザリーナは少女の頭を片手で添え、

階段へ踏み出した。


二人の女と、一つの小さな命を包んだ布。


そしてそのはるか遠く――


黒い大軍が、

砦へ向けて静かに進軍を始めていた。

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