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残響のロザリーナ ~兄を探す最強の剣姫は、守るべき小さな命と砦の絆のために剣を振るう~  作者: 霧原零時
第五章 砦を裂く三将の影――囚われの姫

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第20話 眠らぬ狩人――捨てられた者たちの地下

その日の夜。


地上の喧騒が嘘のように消えた酒場の地下室で、

ロザリーナは冷たい床に横たえられていた。


暗い倉庫のような広い空間――

壊れた椅子、樽、古い酒瓶、干からびた食料。


その薄暗い隅に――

両手両足を粗縄で縛られたまま転がされている。


◇


階段の上、

地下へ降りる扉の前で、見張りの男が二人、だるそうに話していた。


「けどよ……あの女、いい身体してたなぁ」


「やめとけ。

 グラ様が“いたぶるから絶対殺すな”って言ってただろ。

 傷つけたら俺らも死ぬぞ」


「殺しゃしねぇよ。

 ちょっと楽しむだけだ」


下卑た笑いが、地下室のドアを睨む。


その死角――

陰に身を潜める女が一人。


仮面の奥の目を伏せ、床に伸びる男たちの影を見ていた。


「……やめとけ!」


男は仲間の制止も耳に入れず、

ニヤニヤと笑いながら、ドアの鍵を開け、

階段をひとりで降りていった。


◇


その少し前――


ロザリーナは、

意識が水底から浮かぶように戻ってきていた。


「……っ……ここは……」


ぼやけた視界が形を結ぶ。

薄暗い壁に貼られた紙へ焦点が合う。


――粗い筆致で描かれた自分の顔。

青銀の瞳、栗色の髪、双剣。


(……私の手配書……)


ロザリーナは深く息を吸い、

後ろ縛りの手を腰の下に滑らせ――


しなやかな体の可動域を最大限使って、

ぐい、と腕を腰の下から腹側へ通した。


(……よし)


その瞬間――

木製階段の軋む音。


階段を降りてくる巨漢の影。

ロザリーナは即座に横たわり、眠ったふりをする。


◇


下りてきた男は、

意識が戻っているなど露ほども知らず、

いやらしい笑みで短剣を握り近づいてきた。


「よぉ、ねえちゃん。……お楽しみといくか」


腕がロザリーナの首へ回り、

体を起こそうとした瞬間――


(……今)


ロザリーナは縛られたままの右手を拳にし、

親指を前へ突き出して――


男の喉元へ一直線に打ち込んだ。


グゴキィッ――。

鈍い手応えと共に、親指の骨まで痺れる痛みが走る。


喉仏が砕け、悲鳴すら漏らせず男は

目をむいて後方に倒れる。


(騒ぐ暇は与えない)


充血した目で、男は酸欠の魚のように口をパクパクさせ――

やがて動かなくなった。


ロザリーナは倒れた男の短剣を蹴り寄せ、

器用に握り、縄を断ち切る。


次は足――

そう思った矢先、


再び階段を降りる足音。


(また来るのか?)


ロザリーナは振り返りながら縄を切る。

影が階段を下りてきた――


「へぇ。助けは必要なかったみたいね」


女は足元に倒れている見張りの男を一瞥した。

喉元を潰され、即死している。


薄布のヴェールが揺れ、

翡翠の瞳がロザリーナを見下ろす。


階段上のドア近く。

もう一人の見張りは、女の短剣で、静かに片付けられていた。


◆◇◆


「……何者だ?」


立ち上がったロザリーナは短剣を握り直す。


女はゆっくり降り立ち、両手を広げた。

その手には、鞘に収まった双剣が。


「味方。……少なくとも、今は」


声は軽いが、奥の色は深かった。


「私はベル・サフィール――北の地ブルームロアの者。

 抵抗を捨てずに生きている者たちが西にいる――そう聞いて、

 ここまで来たの」


「私はロザリーナ。……どうして私を?」


ベルは壁を指す。


そこには貼られた手配書。


「あなたが酒場に入った瞬間に分かった。

 あの粗い絵でも、瞳の色は誤魔化せないもの」


ベルは歩み寄り、ロザリーナを覗き込む。


「グラ=シャルンに追われているということは、

 ――私の敵じゃない」


彼女は店主の部屋から盗んできた双剣を、ロザリーナへ差し出す。


「それと……眠り薬。

 効果が切れるのが早すぎるわ」


「……?」


「牛でも二晩(ふたばん)は動けなくなるほどの薬。

 数時間で意識が戻るなんて普通じゃないわ」


ベルは肩を竦める。


「あれは強い薬よ。

 たぶん副作用が出る。

 しばらくは嘔吐と眩暈が残るはず」


暗い地下室に、

二人の女の影が並んだ。


ロザリーナは、手渡された自分の双剣を腰に戻した。


そしてベルの瞳を正面から射抜くように見た。


「――目的は?」


ベルは薄笑いを浮かべる。

舞い子のそれであり、獣のそれでもある。


「私の目的はもう達したわ。

 ――あなたを助けること。

 ……まあ、必要なかったみたいだけどね?」


ちょうどその時――

階段の上から別の足音。


ロザリーナとベルは視線を交わし、

静かに気配を沈めた。


「まずは、ここを出るわよ」


ベルが身を翻そうとした瞬間――


「……待って!!」


ロザリーナが背後の細い気配を捉え、振り返った。


「――誰だ!?」


暗がりの隅。

膝を抱え、息を殺してこちらを見ている小さな影。


酒場で料理を運んできた少女――

足首は縄で繋がれ、汚れた薄いゴザの上にしゃがみ込み、震えていた。


ベルは振り返らず吐き捨てる。


「まずは逃げるわよ」


だがロザリーナは応じず、

背を向けて、少女の方へ歩き出した。


「……足手まといになるわよ」


翡翠の瞳が、縛られた少女に冷たく向けられる。


「それに――その子、あなたを罠にかけたんだよ」


ロザリーナは一言も返さない。


少女へ歩み寄る。

怒っているのか、哀れんでいるのか――表情は読み取れない。


少女の緑色の瞳が揺れて、

肩が逃げ場を探すように震え、

やがて耐えきれず――


顔を上げ、大きく口を開けて、


「――うわあああぁぁ!!」


と泣き出した。

涙がボロボロとこぼれ落ちる。


その瞬間、ロザリーナは膝をつき、

そっと左手で少女の口を覆った。


「……見捨てることは、しない」


低い声。

冷たいはずなのに、静かで、不思議と温かい声だった。


ベルは階段で足を止めた。


(……嘘でしょ。

 このルール無用の絶望世界で……

 まだ、そんなことを言える人がいるの?)


ロザリーナは縄を断ち切り、

小さな身体を抱き上げる。


そのやせ細った震える腕が、彼女の胸にしがみついてきた。


「大丈夫。……もう大丈夫だ」


その言葉は、

冷たい地下の空気を真っ二つに裂いた。


ベルは薄布の奥で唇を揺らした。


「……あなたって、本当に……」


何かを言いかけて――飲み込む。


ベルは、酒樽に掛けてある布を引き千切ると、

ロザリーナの胸に少女を包み、切れ端を背へ回して強く結んだ。


「その子を見捨てないなら――ちゃんと落とさないで」


短い言葉。

ベルは微笑み、階段を指した。


「――行くわよ。

 この村は、敵だらけだから」


ロザリーナは少女の頭を片手で添え、

階段へ踏み出した。


二人の女と、一つの小さな命を包んだ布。


そしてそのはるか遠く――


黒い大軍が、

砦へ向けて静かに進軍を始めていた。

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