魔女の弟子(4)
がっつりホールドのネムを支えながら自室に戻る。
いくら重くないといっても、マリアの体型からすれば少女ほどの大きさのネムといえど腰に響くものがある。二階に続く階段の下につく頃には息が上がり、登り終えると汗が吹き出し、自室のベッドに座る頃にはヘトヘトになった。
「ネム。ベッドに着いた。そろそろ離して」
「むにゃむにゃ……んぴー、なのです」
ゆっくりとネムの力が緩み、再び掴まれる前にとベッドに降ろす。ぐっすりとして起きる様子もないし、そのまま布団を被せておこう。
部屋の隅で放置されていたロッキングチェアに腰掛ける。木製だけあって趣のある肌触りだが、クッション性はないためこれで寝るのは無理っぽいな。
「けど、妙に落ち着くんだよなぁ」
深く座り、高さのある背もたれに背中を預けた。ゆりかごのようにゆっくりと前後に揺れる様に疲労した心にもやすらぎが訪れる。
「ん……ふぁぁぁ」
緩いあくびが出る。ネムのおかげで大事は過ぎたかもしれない。そう思うと、ほつれた緊張感とともに眠気が顔を出した。
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微睡みの中で――やさしく頭に触れられている気がする。額に感じる温もり。緩やかに、けど、安心するような感覚。暗い夢の中で、その存在を頼りに明るい方へと歩みを進めた。
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「……ん」
朝を告げる陽光が瞼にかかる。ぼんやりとした意識が急速に再起動をすると、寝起きの視界はいつもとは少し違っていた。
「あ、座ったまま寝ちゃったか」
深く座っていたロッキングチェアがゆっくりと揺れる。ギィ、ギィと心地いい音が耳に届く。昨晩、何となく座ってみただけだが、思いの外深い眠りで朝まで目を覚まさなかった。
体には薄手のブランケットが掛けられている。ベッドの上にはネムはおらず、どうやら椅子で眠っているのに気付いてかけてくれたらしい。
「――あ。起きたのですねなのです。おはようございますなのです」
部屋の扉が開き、二冊の本を手にしているネムが入ってきた。
「おはよう、ネム。これ、掛けてくれてありがとう」
「いえ。気にしないでくださいなのです」
ん。なんか喋り方が硬いな。独特な語尾なだけに違和感を覚える。
「ニャーちゃんが呼んでいましたなのです。子供たちが起きて大変困っていますなのです」
「げ、子供は早起きだな。ありがとう、ネム。マタタビの手伝いをしなくちゃ」
ロッキングチェアから立ち上がり、すこしコリの残る体を伸ばして血流も気持ちも整える。親たちに連絡をして迎えに来てもらわなくては。
入り口の傍に立つネムの傍を通り抜けて廊下に出る。
「あ。あの……」
「ん。何、ネム?」
「あ……いえ。なんでもありませんなのです」
なんだ? 一瞬だけ視線が合うとすぐにそらされた。人見知りみたいなリアクションだな。
「ンニャー!」
下の階からマタタビの雄叫び(悲鳴)が聞こえる。これは早めに助けてやらないといけないな。
「ごめんネム。先にマタタビの手伝いをしてくる。待っててね」
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「ねえねえ。なんで頭に耳が付いてるの?」
「ニャーニャー言ってる! 猫みてー! しっぽだしっぽ! ひっぱれー!」
「お姉ちゃんはお姉ちゃんなの? 小さいね―」
「ママー! ママどこ―!?」
「おなかすいたー。ねえなにか食べるのないー?」
「離すニャ! ニャーの尻尾と耳をつかむニャー! あ! ゴシュジン、助けてニャ!」
絵に描いたようなてんやわんやだ。マタタビが自分と同じくらいの背格好の子供に囲まれて振り回されている。
「はははっ」
「何笑っているニャ! いいから助ける、イダダダ! だから尻尾を引っ張るニャー!」
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「フニャ~。やっと帰ったニャ……」
今日一日の仕事を全部キャンセルにし、目を覚ました子供たちを親に迎えに来てもらって、午後になる前にようやく最後の娘が帰宅した。お迎えがくるまでの間、子供たちのおもちゃになっていたマタタビも力尽きたかのようにぐったりとしている。
医師であるリベン=マックイーンが来た際に赤いアイブラスに似た花について確認したが、どうやら彼にも知見はない様子だった。他の親も同様だった。地域周辺に自生している事実も確認できていない。
「さて、と。調査しますか」
玄関先に花を発見した際の採取用の道具を用意する。夢の花が現実になるとすれば、それが何かしらの原因になることは間違いない。
実在するかどうかさえ不明なものを探す行為自体は失われた埋蔵品を捜索するようなワクワク感はあるが、なんせ時間がない。
明日からは今日キャンセルした分の仕事が積み上がって待っている。何日も捜索自体に時間は避けず、かといってこれ以上また患者が増えることになれば色々と支障が出てしまう。今日という一日できっちり解決しなければ。
「今回はニャーは待機しとくニャ」
そういうマタタビだが、どうやら今朝の子供たちに遭遇したくないらしい。あれだけおもちゃにされていれば仕方ないかもしれないが、人手が少なくなるのは困るな。
「あれ。そういえばネムは?」
考えたら朝会ったきりネムを見かけていない。手伝ってくれるとありがたいが、どこに行ったんだろうか。
「ちょっとネムを探してくる。マタタビは休んでおいてくれ。人が来たら適当に帰してな」
「そうするニャ。もう今日はニャーはネコになるニャ」
ぐでーんと寝台で横になった。このまま眠りそうだな。
「ごろごろ」
喉を鳴らしながら秒で寝てしまった。そういうところはやっぱり猫なんだなと感心する。
「っと。ネムを探さなければ」
///
「あ、みつけた。探したよ、ネム」
下の階から順番に周り、ネムの部屋にもいなかったことからもしかしてと思って自室に向かうと、ネムは窓際に移動したロッキングチェアに座って本を読んでいた。
「はいなのです。なので、ネムはここにいましたなのです」
ネムは読んでいた本を閉じて立ち上がる。まるで、ずっと待っていたかのように。
「もしかして、……朝からずっとここに?」
待っていたのか?
「はいなのです。あなたが待っていてと言いましたのでなのです」
あの去り際の何気ないあいさつのような言葉を素直に聞いて待っていたって、それは行き過ぎて愚直なほどだ。
「ご、ごめんなさい。そういう意味で言ったわけじゃなかったのに」
「大丈夫ですなのです。ネムが勝手に待っていただけなのです。おかげで、ゆっくりと読むことができましたのです」
手にした分厚い本をテーブルに置く。隣にはもう一冊。朝からの時間、この二冊を読んで待っていたのか。
「何を読んでいたの?」
どちらの本のタイトルも、メガネ越しに見ても文字が読めない。メガネの効力外の言語なのだろうか。
「これは、――『アイラム=マ=ドーナ叙事詩』なのです。この世界の古いお話なのです。もう一冊は、……今はいいのです。それより、赤いアイブラスを探しに行くのですかなのです」
「あ、うん。今日でできることはしておこうと思って。悪いんだけれど、ネムも一緒に手伝ってもらえないかな?」
「わかりましたなのです。あなたのためになるのなら、なのです」
相変わらず昨日とは違う態度に違和感を覚えるが、人手は多い方がいい。
「ありがとう。子供たちの夢の絵本も持っておいてほしい。花の手がかりになるかもしれないから」
夢の内容に整合性があるかは甚だ疑問だし、第一見ていた本人が覚えているのかも定かではない。けど、ドルンを含めて六人とも同じ赤い花を見ている。なら、どこかで接点があるのかもしれない。
それに、昨日ドルンに貸した図鑑も確認しなくてはいけない。先にグリルン家に向かうことにしよう。