魔女の弟子(5)
――グリルン家までの道中、ネムはずっと数歩下がったところをついてきていた。一言も発することはないが、なぜかずっと視線を感じている。
それについて、尋ねることもせず、ただ気まずいながらも集団眠り病の原因究明をするために何が必要になるのかをずっと頭の中でこねくり回していた。
「ん。あれは……」
目的地の集落の近くに、大きな草原が広がっていた。木々はなく、風が草を凪いで波を作っている。
「あそこが子供たちが遊んでいたってところかな。それにしてもなにもないな。どうやって遊んでるんだろう」
「……」
こちらの言葉は独り言のように空に消えていく。いいさ、無視されることには慣れてる。
///
「ごめんください、マリアです。グリムさん、いらっしゃいませんか?」
グリルン家の扉をノックする。村の中では平均的な作りの平屋の木造住宅ではあるが、敷地だけは少し大きい。手入れはされていないがそれなりの庭と母屋とは別に離れがあるようだ。
「まいりましたね……」
空振りとなると、図鑑からの情報収集が滞ってしまうな。先に子供たちが遊んでいた草原から捜索するほうがいいのだろうか。
「あそこ、誰かいますなのです」
ネムが指差す方向――グリルン家の離れの扉がゆっくりと閉じていく。
「あれ、さっきは閉まっていたような」
「はいなのです。一瞬目を離した間に、誰かが入っていったようなのです」
もしかしたら離れに向かっていただけなのかもしれない。他人の敷地だが、ここで後回しにするのも効率が悪い。
「離れに行ってみましょう」
膝下まで伸びた草を均して離れへと向かう。母屋の側面には多くの空の植木鉢が並び、少し前まで何かを育てていたよう様子だった。
「ごめんください、マリアです。誰かいらっしゃいませんか」
閉じかけの離れの扉を開けて中に声をかける。入り口から見た感じ、どうやら物置として使っているようだ。照明の類はなさそうだが、天窓から光が差していた。
奥からガサガサと音がする。ところ狭しと置かれた荷物の影から、見覚えのある顔が見えた。
「あ、ドルン。よかった」
キョトンとした表情で首を傾げる少女。それはそうだよな。
「急に来てごめんね、ドルン。悪いんだけど、昨日貸した図鑑を見せてほしいんだ。調べたいことがあって」
それだけを言うと、ドルンは物陰に消え、数秒すると昨日貸した図鑑を持ってきた。その中で、驚くことに、ドルンは図鑑のあるページを開いて見せてきた。
「この花、――例のアイブラスなのです」
紙面にびっしりと濃い青色のインクで書かれた図鑑。その中心に、アイブラス――まさにサルビアの花が描かれていた。
文字自体を読めば、書かれている特徴は容易にサルビアを想像できるものであり、赤い花とはっきりと記載されている。夢の赤いアイブラスは間違いなくこれだろう。
「ジャンルは『効能草』、……薬のような効果があるものなのか。肝心の効果は……ダメだ。文字が潰れて読めない」
古い図鑑だからか印刷物という感じでもなく、直書きの書物はインクが滲んでいる。
ドルンは棚の一番上にあるものを取ろうとしている。けど、背の低さから手が届きそうにない。代わりに取るか。
「ドルン、取るよ。どれっ……うっ、届かない……」
袋のようなものが指には届いているけど、うまくつかめない。懸命につま先を伸ばして爪に引っ掛けてゆっくりと引っ張り出す。
「取れたっ! って、ぶっ……ぶえっ、ホコリが……ハクション! 涙が、……クッション!!」
だいぶ長い間放置されていたものなのだろう、玉のようなホコリが顔面に着地した。鼻腔を刺激する微細な粒子に目と鼻がやられた。
「ホコリ臭いなのです……」
ネムめ。一足先に鼻を押さえて退散してやがる。気付いたらドルンもいないし。
「と、とりあえず外に……ハッッッッッックションッ!!」
///
「――これは……」
新鮮な空気を求めて外に避難した。棚の上から引っ張り出したのは古い袋で、その中には小分けにされた小さな種が入っていた。
「どうやら赤いアイブラスの種に似ているようですなのです。これを見てくださいなのです」
図鑑の端の方には種子の特徴が書かれており、黒く光沢のある一ミリ程の小さな楕円形の種とあった。袋から出てきたのものもおおよそそっくりである。
「こんな古い種、よく残っていたね」
『古代種苗図鑑』の銘から、記載されている植物はほぼ絶滅したとみていいだろう。だが、その種が目の前にあるとなると、あの眠り病の手がかりになるかもしれない。
「ドルン、グリムさんはいるかな?」
一度小さくうなずいたが、思い出したかのように首を大きく横に振った。なにか隠しているのか?
「この種について知りたいんだけど、君はなにか知ってる?」
それについては迷うことなくうなずいた。肯定を示すサインに、少しホッとする。
ドルンが手招きをして敷地の外に向かって歩いて行く。付いてこいということだろう。ネムと一緒にドルンが進む先へと追従した。
村の外に向かって進んでいく。その先は確か、広い草原があったはず。そこになにかがあるということなのだろうか。
青々と広がる――緑の海原。遠くから見たときもそうだが、風が草を凪ぐ姿は壮大だ。その中心に立っているような錯覚。それが海でないことはもはや些細な事だろう。
ドルンは振り返ることもなく、海原を割るように足早に進んでいく。その後姿は子供ながら勇敢にも見える。ここが子供たちの遊び場であり、通い慣れているところであると改めて実感した。
「ドルン、どこまでいくの?」
その言葉でようやくドルンが立ち止まり振り返る。そこが目的地だと言わんばかりにただ遠くを指差している。まさか、草原の果てまで行こうとしているのだろうか。
少し進んだ先に岩肌が見えた。少し隆起した地形は、伸びた草の陰に隠れて近付いたことでようやく分かる程度であり、ドルンはその岩場から器用に飛び降りた。
そしてドルンに習うように岩場から降りると、――それは岩の陰の下にあった。
数にして十本ほど。俺にとっては見慣れたそれも、この世界ではやはり異様なものだろう。一緒に確認したネムの表情がそれを物語っている。
「やっぱりあったんだ、赤いアイブラス」
子供たちの夢から切り取った絵本のものとほぼ同型。図鑑の描写ともほぼ同じ。目の前に咲く赤い花。筒状のガクから長い花筒をもつ唇花が伸びる。サルビアなら、そこを引き抜けば甘い蜜がある。
子供の頃はよくそれを舐めたものだ。サルビアの周辺には、他の子供が舐めたであろう唇花が落ちていたこともよく覚えている。
それを思い出したからか、昔のように唇花を引き抜く。やはり唇花の先にはわずかに蜜のようなものが付いている。
「もしかして……。ねぇ、ドルン。君はこれを舐めたことはある?」
甘い香りが鼻を突く。ドルンは唇花の先につく蜜を眺め、小さく、けれどしっかりとうなずいた。
「わかった。なら、確認しよう。ネム、後は頼んだよ」
そこまでわかれば、あとは裏付けだけだ。その裏付けは、肌で感じるに限る。
「……何をするんですかなのです」
「物が見つかれば話は早い。それに、ネムがいるなら解決も早い。だから――」
ネムが俺の手を止めようと手を伸ばす。けど、それよりも先に――
///
そこからの記憶は、不思議となかった。口腔に感じる甘みと一緒に、意識だけが深く沈んでいく感覚。それを認識した頃には、きっと深い眠りに落ちていたのだろう。
///




