29話
「正五位下、瀬戸内守ですと?!」
今まででは聞いたこともない役職であった。
一体、これは。
「足利殿の影響力が弱まっておるでのう。国司としてではのうて、我等が配下の近衛府として任ずる」
その言葉に左右に並ぶ公家衆たちはニタニタと笑みを浮かべた。
つまるところこれは朝廷による幕府への嫌がらせ。
体よく安吉は利用された形になる。
「我等の権限はいかほどにございまするか」
そう尋ねた安吉に近衛はくすりと笑った。
「瀬戸内すべてをお主に任じよう」
えらく曖昧な言葉に安吉は引っかかった。
そもそも、瀬戸内海は四国、九州、中国地方の間に広がる海であり、そこには明確な境界線など存在しない。
「安宅氏や多賀谷。能美はいかがすればよいでしょうか」
その言葉を聞いた近衛は「もっともな問いだ」と満足そうに言うと、扇をパシリと畳んだ。
「お主に任せる。瀬戸内はお主の物だ」
近衛との利害が一致した瞬間であった。
近衛ら朝廷としては足利に嫌がらせをしながら観光地である大三島に安全に行けるようになればそれで十分。
安吉としては瀬戸内を大祝家が治めるという許可を得ることによって自由にすることができる。
「文句を言うものがおれば我等が黙らせてくれようぞ」
そういて公家笑いをする近衛。
頼もしい、とは思えなかった。
従一位関白近衛前久が味方になろうが三好は敵対するし河野だってそうだろう。
だが、重要なことがある。
それは大義名分が非常に作りやすくなることであった。
「朝廷の指図であるから」や「我等が治めるべき土地であるから」と言って如何様にもすることができる。
「加えて、瀬戸内介以下同様の官位はお主に任命権をあたえよう」
予想以上の大盤振る舞いであった。
これも公家衆に媚びを売った成果だろう。
「ありがたき幸せ。つきましては、朝廷の再建をさせていただきたく。いささか見栄が悪うございます故」
安吉の言葉に近衛の眉がピクリと動いた。
媚びを売り、その御礼を受ければさらに媚を売りつける。
そうすればいつかもっと大きくなって返って来るはずだ。
「よきにはからえ」
近衛はそう微笑みながら言った。
「大成功じゃねえか」
帰路につく海鳴丸の上で紀忠は満足そうに笑った。
「予想以上だ。精々、近衛門佐程度だと思っていたが……」
安吉の言葉に紀忠はにやりとと笑った。
普段は厳しい顔をすることが多い紀忠だが、今日ばかりは上機嫌であった。
「で、この官位を使って何をするんで?」
紀忠の目は輝いていた。
これから起きるであろうことを予感している。
「瀬戸内に律令を敷き、全てを我が手中に収めてやるわ」
そう笑った安吉に紀忠は怯んだ。
いとも簡単に瀬戸内を手中に収めると宣言するものだ。
だが、安吉ならばやってしまいかねない。
「それが破滅への道だとしても、行かれるのですか?」
紀忠は安吉を試すようにそう尋ねた。
紀忠の問いに安吉は溜息を吐いて、こう答えた。
「我等の進む先に道などない」
「ほっほっほ。今頃、大祝は有頂天であろう」
朝廷の一角、関白近衛前久は自室でそう笑っていた。
彼の前には簾の奥に隠れた男が一人。
「これで、よいのだろうか」
簾の奥の男はそういって頭を抱えた。
「陛下のお望みであったではございませんか。『民を救いたい』と」
近衛の言葉に男は「う、うむ」と声を漏らす。
あまりにも心優しすぎる。
近衛はそう感じていた。
この時代、上にいるものとして民に優しく、心根がまっすぐなのは確かに素晴らしいことだ。
だが、それは時に弱点となる。
「宮司の家である大祝なら我等の力となってくれましょうぞ」
近衛がそういうと簾の奥から溜息が聞こえた。
「朕は戦がしとうない。戦がなくなればよいと思っておる……」
朕。簾の奥にいる男は時の天皇。
後奈良天皇その人であった。
賄賂などの汚い手段を嫌う、まさしく名君と呼ばれる天皇であった。
「各地に呼び掛けております。お任せくださいませ」
水面下で、不穏な動きがひとつ。
「この書状は一体何なのだ!」
能島城評定の間にて、武吉は受け取った書状を床にたたきつけた。
今にも使者を叩き切らんと言った迫力に使者はガタガタと震えている。
「拙者はこれを……。関白殿下から」
使者の声を聞きながら貞道は武吉のたたきつけた書状を広げると中身を精査した。
「『大祝安吉を瀬戸内守に任ずる。瀬戸内の領主は大祝に服属するか同盟を結ぶように』なんともふざけた内容ですな」
貞道はそう吐き捨てると使者の頭に投げつけた。
彼らからすれば安吉はあくまで一門衆であり、やや格下という扱いであった。
しかし気が付けば瀬戸内一帯の領主に任じられている。
「だが、関白殿下の印。それに――」
「菊の御紋まで」
貞道の言葉を遮ったのは武吉であった。
関白から来た書状には関白が認可したことをしめす印と、同様に皇族が認可したことをしめす印があった。
「これは何処の親王殿下ですかな? それとも、どこかの宮家か……」
貞道の問いに使者は声を震わせながら口を開いた。
「ッ! 主上御自ら、にございまする」
その言葉を聞いた武吉は呆然とした。
本来、国主とは天皇に任じられた征夷大将軍によって任じられる。
それを飛ばして自ら任じるとなれば、朝廷が幕府に喧嘩を売ったという意味に他ならない。
加えて、安吉は何処の大国の守護よりも高い位階を得たことになる。
「……承知、仕った」
武吉はワナワナと震えながらそう声を絞り出した。
その言葉を聞いた使者は「これにて、御免!」と声を上げるとそそくさと去っていった。
残されたのは武吉と、彼の家臣たちであった。
皆一様に口をかみしめている。
「安吉! よくも! よくもぉ!!」
武吉はそう声を荒げて立ち上がった。
彼の眼前には瀬戸内海が広がっていた。
「諸君、これで大祝は名実ともに瀬戸内の守護となった」
同日、安吉は大山祇神社にて評定を開いていた。
「……武吉様が納得されますか?」
貞時がそう言った。
彼は安吉の傅役であると同時に、武吉の面倒を見ていた時期もある。
彼の気性は知り尽くしている。
「兄上はさぞかし喜んでいるに違いないさ」
安吉はそう愉快そうに笑った。
それに貞時は眉をひそめた。
あまりにも楽観的過ぎる。
未来のことに気を取られ、足元が危うくなっている。
「その官位、何に使われるのですか?」
越智隆実が安吉にそう尋ねた。
隆実の問いに安吉はにやりと笑うと、こう宣言した。
「毛利と連携し、河野を切り崩す」
みなさまこんばんわ。
雪楽党です。
やや無理のある内容になってきましたかね……?
ここから先は史実5割、オリジナル5割ぐらいの割合になっていきます。
霧中を突き進んでいく安吉と小春をどうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。




