12話
「さんざんにやられたな」
命からがら生き延びてきた守忠を見て元久はニヤニヤと小ばかにするように笑った。
「それが策でございましょうに……」
守忠はそう呆れながら答えた。
彼の言葉に元久はケラケラと笑うとこう尋ねた。
「では、策でなければ勝っていたか?」
その問いに守忠は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
彼にとって撤退は策のうちであった。
だが、混乱に陥ったのは予想外だった。
てっきり村上家は炮烙や火矢を用いて時間稼ぎをするものばかりだと思っていた。
それが裏切られた形となった。
「敵将が若いだけだ」
元久は自戒の念に囚われる守忠にそう言った。
守忠は30ほどの歳ながらすでに参加した戦は10を軽く超える。
まさしく老練、狡猾なのだ。
だからこそ初戦には敗北した。
「なるほど、若さですか」
「貴様も若さを思い出してみろ」
元久はそういうと口角を吊り上げた。
そして、守忠は諦めるように溜息を吐き、「それでは殿をおとめできませぬ」と笑った。
「それもそうだな」
元久はケラケラと笑った。
この二人の会話によって毛利家の陣中には些か穏やかな空気が流れ始めていた。
先手衆の撤退を見て陰鬱とした空気が蔓延していたが、元久と守忠がこれは策だと言えばそうなのだと思わせる迫力がある。
兵士たちは彼に心酔していたのだ。
「全軍、前進用意。同胞の仇討だ」
元久の命令に全軍が「オォッ!」と応じた。
そして、守忠の肩に手をのせこういった。
「では、あとは任せた」
その言葉に守忠は跪き「承知」と応じた。
「伝令! 敵の本隊が突入してきました!」
安吉の元に矢を受けた伝令が走ってきたのはそれから30分後のことであった。
「先手衆はどうなっている!」
安吉がそう必死になって問いただすと、伝令の兵は息を絶え絶えにしながらこう答えた。
「先手衆壊乱! 堀田紀久様お討ち死に!!」
堀田紀久が死んだ。
その事実を安吉は受け止めきれずにいた。
こんなに簡単に死ぬのか。
そしてハッとした。
「紀忠! 紀忠はどうだ!」
今まで共に過ごしてきた紀忠の所在は――。
そう尋ねたが、伝令の兵は口を開かない。
何やら混乱しているようだったが、すぐに慌てて口を開いた。
「不明でございます。拙者は紀忠様の配下にいましたが、見ておりませぬ……」
よく見ればその兵が身に着けている甲冑は堀田家の物であった。
それを理解した瞬間、安吉は背筋が凍った。
彼の心中はどうなっているのだろうか。
彼にとって最重要人物とは主家の当主である紀久のはず。
それを差し置いて子の心配をするとは。
「すまぬ。休んでおれ」
安吉はそう答えると立ち上がった。
そして、隣に控える貞時に宣言した。
「俺が出る」
その言葉を聞いた貞時は目を見開いて反論した。
「安吉様はここでお待ちくだされ!!」
貞時は必死になって安吉を抑えようとした。
だが、安吉は聞く耳を持たない。
「部下の仇を討たずして何が将か! 全軍前進!!」
そう命じた安吉に兵たちは「応!!」と応じると漕ぎ出した。
もはや、誰も安吉を止めることはできなかった。
「敵本陣! 動きます!!」
その伝令が元久のもとに届けられた瞬間、彼は勝利を確信した。
実をいうとあの伝令は元久の出した欺瞞であった。
先手大将の紀久は戦死すらしていないし、さらに言えば村上家の先手衆は粘り強く抵抗を続けている。
そんな中で白兵戦になり、敵の甲冑を入手したことによりこの策に出た。
だが、思ったより簡単に引っかかった。
「若さか、怒りか、部下を思う気持ちか」
そう呟いた元久。
向う見ずに前に突っ走る性格は彼にとって嫌いなものではない。
むしろ好ましくあった。
「少しずつ後ろに下がりながら受け止めろ。時間を稼ぐぞ」
そう命じた元久に兵たちは「応!」と応じた。
「殿! 援軍でございまする!!」
紀久のもとに待望の援軍が来た。
敵の先手衆を打ち破ったのはよかったものの、敵の援軍により逆に劣勢になっていた。
だが、援軍が来れば――。
「誰が来たのか?!」
そう声を上げた紀久に伝令の兵は歓喜と共に応えた。
「村上安吉様自ら本陣を率いてこられました!!」
その声に紀久は動揺した。
なぜわざわざ総大将が?
焦った紀久の耳に信じられない言葉が続々とくる。
「紀久の仇討ちじゃ!!! 皆の衆掛かれぇぃ!!」
その言葉に紀久はハッとした。
敵の流言。
何らかの形で虚報を本陣へと届けたのだろう。
「ッ! 全軍掛かれ!! 掛かれぇぃ!!!」
もはやここまで本陣が出張ってきた以上、後に引くことはできない。
幸いにもこちらは体勢を立て直し敵を押し返しつつある。
このままいけば勝機が見える。
「殿! 紀久さまの船が!」
対して安吉は混乱していた。
討ち死にしたと伝えられた紀久の船がいまだ健在であり、それどころか先手衆は壊乱すらしていない。
「何があった?!」
この時点で安吉は自分が騙されたことなど考えもしていなかった。
だが、貞時が口をはさむ。
「敵の流言のようですなぁ」
そう静かに言った貞時に安吉は激昂する。
「一体どうすればいい?!」
そう怒鳴った安吉に貞時はどこか微笑ましくなった。
元服してからの数か月。
ここまで安吉は貞時が教えてもいないことを軽くこなしていた。
そんな彼の姿を見て貞時はどこか常人離れした不気味さを感じていた。
だが、そんな彼が敵の策にいとも簡単に嵌り動揺している。
やはりまだ、若い。
貞時は自らの主君をそう思った。
そして、安吉の肩を掴むと静かに答えた。
「よろしいですか。先手衆は整っていて、我等の援軍が来ました。そしてこちらが優勢です。どうすべきですかな?」
その質問に安吉は「押し切る?」と答えた。
「そうですね」
安吉の返答にニコリと笑うと貞時はそう言った。
「敵の策に嵌ってしまった以上、力業で押し切るしかありません」
そう言った貞時に安吉は「ふむ」と頷く。
彼は一息吐くと心を落ち着かせた。
そして采配を振り上げる。
「全軍――!!」
勢いよく振り下ろすと同時に叫ぶ。
「敵を押しつぶせ!!」
「殿ォッ! 敵の勢い凄まじく!!」
元久の部下が悲痛な叫び声を上げる。
敵の援軍が来てからドンドン押されている。
「無理をせず下がれ!! とにかく時間を稼げ!」
そう声を上げた元久に兵たちは「応!」と応じる。
だが、それでも敵の勢いが激しい。
「ぬぅ……」
元久はそう声を漏らす。
今、潮は停まっている。
「まだ、まだだ」
元久はそう零す。
今か今かと潮が変わるのを待つ。
そして、数分としないうちにその瞬間は訪れた。
潮が、外から内側へと流れ始めのだ。
「我に続け! 一撃を穿つ!」
元久は背後に控える自らが育て上げた精兵たちに雄たけびを上げた。
「潮が変わったか?!」
潮の向きが変わったのは安吉も感じていた。
攻めあがる方向とは逆向きに潮が流れていて勢いが減衰させられるが、それ以上にこちらの勢いがある。
加えて敵の陣は乱れに乱れている。
「貞時この場の指揮は任せる!」
安吉はそういうと、自らは隣を並走していた関船へと飛び乗った。
唖然とする貞時を尻目に安吉はなおも言葉をつづけた。
「今こそ忠義を見せるとき! 関船5艘は後につづけぃ!!」
そう声を上げた安吉のもとに船を変えた紀忠も続いた。
安吉と元久。
目指す海域は同じであった。
「「北沖に向かうぞ!!」」
場所は違えど、二人の声が重なった。
昨日ぶりですね。
雪楽党です。
合戦シーンは筆が乗るのでこうして更新頻度を早くすることができました。
数話はこの戦役が続きますのでほぼ毎日投稿できると思います。
また、感想、レビューお待ちしております。
皆様の温かい声が日々に励みになりますのでどうぞお時間があればご一筆お願いいたします。




