第百八話
「ねえさん!」
エミリーは二つの生首をぶら下げて、ぼんやりと佇むシーリスに呼び掛けた。周囲は思わず吐き気を催すような惨状だが、それは見ないことにした。シーリスがしていなければ他の誰かがしていたことだ。
シーリスは虚ろな瞳をエミリーに向ける。
「ねえさん、聞いてくれ! もしかしたらルセアを助けられるかも知れねぇ!」
「えっ……?」
瞬くシーリスの瞳に光が戻る。
「詳しく話しなさい!」
「お、おう」
あまりのシーリスの勢いにエミリーは仰け反りつつ答えた。そして続けて、若干しどろもどろになりながらも魔王との付き合い、自分達が半分人間を辞めていること、そして魔王の瘴気を浴びれば自分達の、リリナの能力が最大限に上がることを話す。
聞き終わったシーリスは小さく頷く。
「そう。それは幸運だわ」
「え?」
軽く返したシーリスに、エミリーの方が驚いた。
「ねえさんは魔王と因縁が有ったんじゃないのか?」
「有るわね」
「だったらあたしらが魔王の手下同然になってるのが不愉快じゃないのか?」
今度はシーリスが小首を傾げた。
「貴女は少し勘違いをしているわ」
「何をだ?」
「魔王のこの魔力は瘴気なんかじゃないのよ」
シーリスが魔の森に仄かに漂う魔王の魔力に気付かない筈もなかったのだ。
「瘴気じゃないなら何なんだ?」
「そうね。それはきっと愛ね」
「ねえさんまでどっかの変態と同じことを……」
エミリーは少しばかり眉間に皺を寄せた。
「そんなことより急ぎましょう」
「おう」
二人はゴンドラへ向けて飛ぶ。
「リリナの魔力はどのくらい保つのかしら?」
「今のままなら夜明け前には尽きるだろうな。でもダンジョンに入っちまえばどうとでもなる」
「余裕を見たら夜半には着きたいところね。手伝ってくれるかしら?」
「勿論だぜ!」
記憶にある限りにおいて初めてシーリスに頼られたエミリーは心の底からの喜びを答えに載せた。
時間は若干遡り、エミリーがシーリスを捜しに出た直後のこと。
「ノルト殿、悪いがゴンドラを諦めてくれ」
オリエは言った。
ルセアを不用意に動かせない以上、必然的に移動に使うのは現在乗船中の中型ゴンドラになる。そして急ぐのだから牽引する訳にも行かず、否応なしにノルトの小型ゴンドラは置いて行かれる。そして小型ゴンドラを無人で放置するとして、空に浮かばせたままならどこに流れて行くか判らず、墜落する可能性もある。地上に停泊させれば、魔物に壊される可能性が高く、それ以上に神聖ログリア帝国軍敗残兵に荒らされる可能性が高い。結果的に捨てるのに等しくなるのである。
「それは……」
ノルトに今直ぐ捨てる決心ができるかと言うと、そうでもない。ゴンドラには愛着が有る。
だが、誰が残るかと考えた場合に選択肢が有るようで無い。少なくともダンジョンの道中は極めて危険なのだから、ルセアとリリナの他、シーリス、オリエ、エミリーの三人は行く方で決まりだろう。残るロイエン、サーシャ、マリアン、そしてノルト自身は戦闘力が無いか、魔の森で通用するようなものではない。クインクトは地上でなら魔物に後れを取らないが、空中では分が悪い。そもそも空中で分が悪いからエミリー達の同行を願ったのだ。空中でも魔物に後れを取らないシーリスとエミリーの二人共が行ってしまう以上、小型ゴンドラに移乗して残ることは命に関わることになる。
「……仕方有りませんね」
ノルトは溜め息を吐くように答えた。ノルトにとってどうしても失くしてはいけないものはカバンに詰めていて、そのカバンは中型ゴンドラに有る。だから後は失くさずに済むなら済ませたい資料や私物、当面必要な身の回りの品を中型ゴンドラに載せ換えれば事が済む。それも然程多くないから直ぐに済むだろう。それでも浮かないのは失くさずに済む私物の筆頭がゴンドラだからである。
だが、ぼやぼやしていては捨てなくても良いものまで捨てなくてはならなくなる。直ぐに甲板に上がり、未だ操縦台で待機しているクインクトにそのことを伝えて荷物の移動を急ぐ。
一方、オリエは最初に持ち込み、今は中型ゴンドラの甲板に下ろして固定している大型のコンテナを切り離す。中には予備の装備や衣類などが残されているが、当面必要なものや買い直しにくいものは中型ゴンドラで寝泊まりするようになった時に移している。残るのは買い直せないものではないのでキッパリと諦める。
コンテナに付けている浮遊器を起動して宙に浮かせ、風下に向かって軽く押す。コンテナは徐々に遠ざかる。オリエは少しばかりの寂寥感の中で見送った。
エミリーがシーリスを連れて戻ったのはノルトとクインクトが荷物をほぼ運び終えた頃だ。
「おい! 準備は済んでるか!?」
「これをそちらに移して、ゴンドラを切り離したら終わりです!」
ノルトが小型ゴンドラの甲板で、抱えた木箱を軽く揺すりながら答えた。
「じゃあ、直ぐに出るぞ!」
「判りました!」
ノルトは中型ゴンドラから身を乗り出しているクインクトに箱を渡し、クインクトが木箱を後ろに置く間にオリエに支えられながらゴンドラを乗り移る。木箱を置いたクインクトはノルトが甲板に座り込むのを横目にしながら舫い綱を解く。
「放すぞ」
「は、はい!」
ノルトが再度立ち上がるのを待って、クインクトは舫い綱を放す。
小型ゴンドラは風に流されて徐々に離れて行く。地上に停泊させることも考えた二人だが、そんな猶予が無いのは明らかだった。それにこのゴンドラは旅をするために在ったのだから最期まで旅をさせるのも良いと考えた。そしてもしかしたら、ゴンドラが飛び続けることができるのなら、再会することもあるのかも知れない。二人はその後、小型ゴンドラが見えなくなるまで見詰め続けた。
二人がそうする間にもシーリスはぶら下げていた生首を甲板に打ち捨てて操縦台に上がり、エミリーは船首付近に待機する。
一人、手の空いたオリエが何気なく周囲を見回して、打ち捨てられた生首を視界に入れた。そして顔を引き攣らせながら尋ねる。
「そ、それは……?」
「今回の元凶よ」
「何者だ?」
「神聖ログリア帝国の第三皇子だったかしらね」
「え……」
「そうだ。それをロイエンに届けてくれるかしら?」
後の扱いはロイエンに任せると言い添える。
「ええっ……」
益々顔を引き攣らせるオリエである。
シーリスとオリエが話す間に、小型ゴンドラは中型ゴンドラから十分に離れていた。
それを見て、シーリスはゴンドラをゆっくり回して向きを変え、目的の方向にピタリと止める。
エミリーは目を瞬かせた。その向きは正しくエミリーが指示しようとした方向だ。
「ねえさんは魔王の居場所を知ってるのか!?」
少し距離が有るので会話するには叫ぶ必要がある。
「いいえ! でも想像はできるわ! ロマノでしょう!?」
シーリスとその仲間達が魔王を屠った時、生前の魔王の居城はロマノの外れに在った。そこだった理由は宮廷魔法士ヘライトスが遺し、ノルトが見付けた記録から明らかに思えた。魔王に成る前のハヤトがアルルと共に、恐らくは最も平穏に、最も幸せに暮らした場所だ。魔王のアルルへの思いが今も変わらないなら、そこしか考えられない。
「なら、話ははえぇな! ねえさん! いつでもいいぞ!」
「ええ! 行くわ!」
シーリスが魔力を高め、合わせるようにエミリーも魔力を高める。エミリーがゴンドラ前方の左右に光球を浮かべる。光球が安定したらまたその前方に新たに光球を浮かべる。それが安定したらまたその先だ。夕闇が迫りつつある中、次々に浮かぶ光球が遥か彼方まで道を示すように続く。シーリスもまたゴンドラを発進させる。
シーリスはその光球で出来た道を進むようにゴンドラをゆっくりと加速させる。焦る気持ちは有るが、努めてゆっくりとだ。急加速させたのではルセアの身体に障る。それでも最終的には音の速さを超えた。
届けられたロイエンはその生首を見て、暫くの間絶句した後、オリエに捨ててしまうよう願った。生首に対してこれ以上何かする気にもなれず、幽閉されている筈の二人がどうして解放されているのか、どうしてログリア帝国帝都跡に来ていたのか、そしてそれを為し得る人物が誰なのかを考えると、皇帝に二人の首を届けると言う義理も感じなかったのだ。
そしてオリエはその願いを聞き届け、空を駆けるゴンドラから投げ捨てた。




