第百四話
シーリスとエミリーが買い出しに出掛けている間、残るメンバーはそれぞれゴンドラでの時間を過ごしていた。発掘もお休みだ。シーリスとエミリーの不在で守りが手薄になるため、リリナとオリエが即応できるようにしている。
戦力にならない人物がノルトだけなら、守るのがクインクトだけでも良い。ゴンドラを失ってもノルト一人を抱えて魔の森を出ることはできるので、命と重要な遺物だけ無事ならそれで良い。しかし今はノルトと同じく戦力にならないサーシャ、ロイエン、ルセアも居る。場合によってはマリアンもだ。この状態でゴンドラを失っては全員無事で魔の森を出るのも厳しい。だからまかり間違ってもゴンドラを失う訳には行かないのである。
ただ、そんな事情が関係するのはリリナとオリエだけで、他のメンバーはほぼいつもと変わらない。ルセアもいつもの通りに自室でライナーダ語の勉強だ。教わる相手はロイエンで、付きっきり。しかしその時間も今日はそろそろ切り上げ時となっている。
『うーん、後は慣れるしかなさそうだ』
『ロイエン様、ありがとうございましただ』
これまでの努力の甲斐もあって、ルセアはライナーダ語での会話ができるようになっていた。しかし、プローゼン語は流暢に話すにも拘わらず、何故かライナーダ語はルセアの母国語―シーリスの言うズンダ語――の訛りが色濃く出てしまう。
『しかし変な風に訛りが出たものだ』
『あはは……』
矯正は試みた。しかし全く改善が見られない。今日も一日頑張ったが駄目だった。そしてとうとうさじを投げてしまった。自分のことながら笑って誤魔化すしかないルセアである。
ただ、さじを投げたのは見込みが無いからではなく、ロイエン共々ナペーラ語を憶える必要性もあるためだ。エミリー達と合流してからナペーラ語の勉強の必要性も生まれたが、ライナーダ語の勉強を中途半端に切り上げたり、ライナーダ語とナペーラ語を平行して勉強したりしたのでは、虻蜂取らずになるだけだと言うことでライナーダ語に集中していた。ただ、リリナ達がライナーダ語を憶えるのが先かも知れない。尤も、その時はその時である。
他方、マリアンはいつものように家事に勤しみ、リビングではノルトが研究の続きをし、サーシャがその資料を覗き込み、クインクトが仮眠を取り、リリナとオリエが寛いでいた。
ノルトがリビングで研究するのは、皆がそうさせているためだ。中型ゴンドラの寝室が六室だけなことと、ノルトの小型ゴンドラを一日中空にするのは不用心だからと言うこととで、ノルトとクインクトは小型ゴンドラに寝泊まりしているのだが、そちらで研究させればずっと引き籠もってしまう。食事の時に中型ゴンドラのリビングまで引っ張り出すのも手間なら、不測の事態の対応にも遅れてしまう。幸いにもノルトが腰を浮かせなければならないような不測の事態は起きていないが、食事については毎日のことなので深刻だった。それで「始めから中型ゴンドラのリビングに居ろ」となったのである。
そして既にほぼ日常になっているそんなこんなで、今日も一日が終わる筈だった。
「シーリス様とエミリーさんは遅いですわね」
いつもと違うのはこのことだけだと皆が思っていた。
最初に察知したのは、やはりリリナだ。突然無数に膨れ上がった魔力が一斉に押し寄せて来る。警告の言葉を発するのももどかしく立ち上がり、防御魔法を展開する。
リリナの突然の行動にオリエが何事かと目を丸くする。
「どうした?」
「て……」
ドゥン。ガタガタタタタ。
リリナが敵襲と答えるよりも早く、耳をつんざくような爆音が轟き、ゴンドラが揺さぶられた。
「な、何だ!?」
「敵襲ですわ! 突然すぎて、一瞬だけ防御が遅れてしまいましたの!」
「今のは被弾した音か!」
オリエは間髪を入れずに走り出す。「被害状況を見に行く」と言い残して音のした方へと走る。寝室だ。
「"ルセアァッ!"」
ロイエンの絶叫が響き渡ったのはちょうどその時だった。
オリエは即座にその声のした部屋のドアレバーに手を掛けるが、嫌な予感がして手を離した。ドアは内開き。内側に何かが有って開かないだけならまだ良い。もしもそれが動かしてはいけないものだったらと考えれば迂闊に開けられない。
「ドアは開けられるか!?」
「"誰か! 早く! ルセアを助けてくれ!"」
オリエは問い掛けたが、そのナペーラ語をロイエンが解さない。返事をするのではなく、ただ叫ぶだけだ。しかしそのプローゼン語の叫びを今度はオリエには理解できない。だから再度ドアレバーに手を掛けて回し、そっと押してみる。案の定何かに当たった。
「くそっ!」
オリエはドアを閉めて踵を返し、甲板へと向かう。
この時にはもうクインクトも飛び起きていて既に甲板の上だ。外ではリリナの防御魔法に何者かによる攻撃魔法が次々に衝突して「ぼぼぼぼぼ」と連続した音を立てている。被害状況を確認しながらも、甲板に上がったオリエに気付く。
「窓が吹き飛ばされた!」
船体に比べて脆弱な窓は敵の攻撃が着弾すれば容易に吹き飛んでしまう。
「部屋の中からドアを開けてくれ! ルセア殿に何かが起きた!」
クインクトに言い置いたオリエは再び踵を返して船内に入り、突然のことにおろおろしているサーシャを言葉を掛ける時間も惜しんで抱え上げ、寝室へと向かう。マリアンが「姫様!」と叫ぶ声も置き去りだ。
一方、寝室内が危急の事態にあることを知ったクインクトは船縁にぶら下がり、窓の下枠だった場所に足を掛け、上枠に手を掛けてしゃがみ込み、船内の様子を確かめる。
小さく息を呑んだ。
ルセアがドアの前に俯せで倒れている。血塗れだ。左腕の肘から先が千切れ、左脇腹に木片が突き刺さり、今も止めどなく血を流し続けている。顔は蹲るロイエンの陰で見えない。そのロイエンも木片に突き刺さされた右腕が動かせない様子で、左手の握力だけでルセアの左腕から流れ出す血を止めようと必死に握り締めている。
一刻の猶予も無い。だが、不用意にドアを開ければ、刺さったままの木片がルセアの脇腹を抉って取り返しが付かなくなる。先にルセアをそっと動かさなければならない。
クインクトは人一人が擦り抜けられる高さしか無い窓を潜り抜け、ベッドからシーツを剥ぎ、その一部を引き破って紐にしてルセアの許へと急ぐ。
『クイン……クト……さん……っ』
物音に振り返ったロイエンが涙に暮れた顔で、絞り出すようにクインクトの名を呼んだ。
『任せろ』
クインクトはルセアの左腕を紐で縛って止血すると、これ以上刺さらないように木片を支えながらゆっくりとルセアの下にシーツを差し込む。刺さった木片はまだ抜かない。下手に抜いてしまうとその瞬間に大出血して致命傷になる虞がある。シーツにルセアを乗せ終わったら、また木片を支えながらゆっくりとシーツを引き摺ってルセアをドアから離す。
ドアを開けると、部屋の前にはオリエ、サーシャ、それにマリアンが居た。ただ少し様子がおかしい。マリアンがしきりにサーシャを放すようにオリエに言い募り、サーシャがオリエに握られた部分の痛みを訴えている。オリエは二人の様子を意に介さず、ただサーシャの腕を掴んでいる。
「オリエ、姫さんが痛がってるから手を緩めてやってくれ」
「ああ、そうか。それで暴れていたのか」
オリエは手を放した。別に痛がらせたい訳じゃない。サーシャがどうして暴れているのか判らないので、逃げられないようにしっかり握っていただけだ。すると余計に暴れるので、益々強く握ることになった。
放されたサーシャは直ぐに逃げようと後退る。しかし今度はクインクトに掴まれる。
『ちょっと待った。姫さんはこっちに来てくれ。緊急だ』
『あの、でも……』
オリエに恐怖を感じ、クインクトにも脅威を感じて尻込みするサーシャ。
『いいから早く!』
『その手を放しなさい!』
マリアンが割り込もうとする。マリアンにとってはサーシャ大事であり、クインクトが何をしようとしているのかは二の次になる。だからここで好き勝手にサーシャに狼藉を働かせては従者の名折れだと意気込みもする。
『喧しい!』
しかし、クインクトの一喝でサーシャもマリアンも硬直した。
『姫さん、頼むから』
一転、クインクトが真摯な口調で言ってその手を引くと、サーシャは引かれるままに部屋へと足を踏み入れた。




