第百二話
シーリスとエミリーは必要な食料品の調達を終えた。一部の手に入らなかった食材や調味料は代わりの品物で間に合わせた。
「さすがにこれだけ離れりゃ、帝国の影響も無かったようだな」
ゴンドラへと帰る道、エミリーは疲れを感じさせる声で言った。無い食材を探し歩いた分だけ余計に疲れを感じている。
「そうね」
疲れているのはシーリスも同じで、口を動かすのも億劫で、それが声音にも現れていた。
二人はそれ以上声を出すこともなく、停泊場まで歩く。停泊場に入った時、シーリスは一つ思い出した。
「わたしは確かめることがあるから、荷物の積み込みは頼んでいいかしら?」
「おう」
エミリーは何を確かめるのか尋ねることもなく了承した。気疲れが酷く、シーリスの用事に首を突っ込む気分ではない。早々に食料品の入ったコンテナを引っ張ってゴンドラへ向かった。
シーリスもまた直ぐに動く。用事と言うのは何のことはない。この町に置きっぱなしの、元々サーシャが乗っていたゴンドラが無事かを確認することだ。探査を使えば外からでも中が荒らされていないかくらいは判別できるので、ゴンドラの周りをぐるっと一回りするだけで事足りる。勿論、問題が無ければの話だ。
ただ、そちらへと向かってみれば、用事がもう一つ待っている様子だった。ゴンドラの傍に誰かが佇んでいる。魔力の強さから大方の予想は付く。できれば会いたくないと思っていた相手だが、目の前に居るなら仕方がない。ここまで来ておいてゴンドラの確認をしないのも心残りになる。
顔形まではっきり見える辺りまで近付くと、相手が振り向いた。予想通りのドレッドだ。再会した時がサーシャの旅の終わりとの暗黙の了解をしたつもりだったので少々気まずく感じられる。しかし、ここにはサーシャが居ないので、ぎりぎりセーフの筈だとも考える。
『シーリス殿? サーシャ様はご一緒ではないのか?』
ドレッド自身はサーシャの旅立ちを見送ってはいないが、シーリスの中型ゴンドラに移乗して旅立ったことは状況から判り切っていた。シーリスならサーシャの身の安全を確保してくれる筈だ。だからあまり心配していなかったのだが、どうしたことかここにはシーリスだけが居る。
『左様。ここには来ておらぬ』
『それでは今、どこに?』
『遺跡、ログリア帝国の帝都也』
『魔の森の中に置いて来たと言うのか!?』
ドレッドは目を見開いた。サーシャの身の安全を確保するなら、シーリスはいつも近くに居て然るべきではないか。そんな思いが顔にも声音にも出てしまう。
それをぶつけられるシーリスは内心で「やれやれ」と呆れるばかりだ。サーシャを心配するのは良いが、安易に周りに攻撃的になっては、却って災いを呼ぶと思える。いや、既に呼んでいるのだろう。ノルトとの確執からの経緯はわざわざ呼び込んだ災いと言って良い。いくら見た目も実際も頼りないからと言って、叩いてどうにかなるものではない。
『心配無用也。護る者は居れり』
『む……』
護る者と聞いてドレッドの脳裏に真っ先に思い浮かぶのはクインクトだ。サーシャの望んでいたことから鑑みても、他はちょっと考えられない。クインクトなら大丈夫だとも思う。それでも少々声が低くなる。
『ご健勝でいらっしゃるのだな?』
『左様』
『ところでシーリス殿はどうしてここに? ゴンドラが見当たらないようだが……』
ドレッドは停泊場をざっと見回しながら言った。中型や大型のゴンドラは商人も使っているが、それらは総じて貨物船型で、見た目で貨物運搬に特化していると判る。一方、シーリスが乗るのは客船型だ。そして客船型で停泊しているのは小型ゴンドラばかり。
シーリスは指で指し示す。
『かのゴンドラ也』
『む……』
広い停泊場の殆ど反対側だ。ややもすればちらほら停泊しているゴンドラに紛れそうだが、ドレッドには伝わった。見覚えのあるゴンドラが有ったのだ。ゴンドラの塗装にはそれぞれ特徴が有り、大抵の所有者は塗り直す時にも前と同じにする。ノルトもまた大抵の所有者の一人だ。そもそも最後に見てから塗り直すほどの日数は過ぎていない。
見方を変えれば、そのゴンドラの存在はサーシャが無事にノルトと合流したことの証明だ。しかしそれを目の当たりにすると、少しばかり不快感が湧き起こるのを禁じ得ないドレッドである。サーシャの傍に居るのがシーリスなら気にならないのに、ノルトだと奇妙なほど気になってしまうのだ。それが顔にも出てしまう。
一方のシーリスは内心で溜め息を吐く。恐らくはドレッド本人が気付いていない嫉妬心。きっと気付いてないからそれを表に出してしまうのだ。だが、向けられる側はいい迷惑だ。第一印象の、純情なだけなら微笑ましかったのにと思う。この調子のままならこの青年の恋心が成就する日は来ないに違いない。
『あれにて食料を買い求めに来し也』
少々失礼なことをを考えているとはおくびにも出さずに、尋ねられたことだけを答えた。
『むう……』
ドレッドは小さく唸った。クインクトを信頼しない訳ではないが、先日垣間見たシーリスの実力から来る信頼感に比べれば格段に落ちる。サーシャの身の安全を考えればシーリスが近くに居て欲しい。
『なるべく早く戻られたい』
『うむ』
ドレッドが一転して真剣な面持ちで言うので、シーリスは素直に頷いた。言われなくともそうするつもりだ。今日ばかりは少々疲れている。しかしその前に確かめるものは確かめておかなければ落ち着かない。ゴンドラの様子を見たら帰るとドレッドに言い置いてから、ゴンドラを一周する。探査で判別できる範囲では内部にも異常は無かった。そして「それじゃ、またね」と軽く声を掛けてその場を後にしようとしたが、この町に来た原因をふと思い出して足を止める。
『神聖ログリア帝国の第三皇子が魔王討伐に乗り出したる理由を知らぬや?』
『第三皇子の魔王討伐?』
ドレッドは暫し記憶を辿るように視線を彷徨わせる。
『それは確か、ナペーラ王国が魔王討伐に軍を動かしたからの筈だ』
ログリア帝国の後継を標榜して形だけでも勇者召喚の儀を続けている都合、ナペーラ王国に先を越されるのは沽券に関わると言うことらしい。何とも馬鹿馬鹿しい話ではないか。しかしあの話を聞かなそうな第三皇子ならやらかしそうだ。
『左様か……』
シーリスはこれまた呆れるばかりだ。そもそも魔王の居場所を掴んでいるかも怪しい。もしもそうならどれ程滑稽か。
『何処を目指しておるか、知りたるや?』
『そこまでは報告が入ってない』
『左様か』
判らないならしょうがない。軽く挨拶を投げ、今度こそこの場を後にした。
「遅かったな」
「ちょっと予定外に知り合いに会っちゃってね」
「ふうん」
「それで聞いた話だけど、ナペーラ王国が先に魔王討伐の軍を動かしたそうよ。神聖ログリア帝国の方はその対抗ですって」
「あー、そう言うことか。しかしナペーラ王国もとうとう動いたかぁ」
「知ってるの?」
「ああ。あたしらは魔王討伐に駆り出されそうだったから、報酬も無いのにノルトの旦那に付き合ってるんだ」
「どう言うこと?」
「国から逃げだそうにもゴンドラを持ってなかったからな」
国からおかしな脅しを掛けられたことで、ナペーラ王国からの逃亡を考えたエミリー達だが、どうやって逃げるかが懸案事項だった。ゴンドラは余程大きな町でなければ受注生産をする。納品されるのは早くても数十日後で、あまりに遠い。それにそんな動きを見せれば何らかの手を回される虞がある。乗り合いゴンドラを利用するのも、一旦は国中心部に向かって移動することになるので行動を把握されやすく、やはり手を回される虞がある。だからノルトに会うまでは、魔物猟師の町から下手に動かず、いよいよの時にダンジョンを徒歩で通り抜けるのが恐らくは最善だった。それも、そうするのは国が具体的な行動に出る前と言う、漠然とした期限付きだ。
「随分必死ね」
「そりゃそうだぜ。魔王と戦ったって勝てる訳ねぇしな」
「やってみなければ判らないとは思わないの?」
「思わねぇな」
「どうして?」
「……勘だよ、勘!」
エミリーは一瞬言い淀んだ後、誤魔化すように叫んだ。実際に試して駄目だったとはさすがに言えない。
「そんなことより早く帰ろうぜ。疲れちまったよ」
「そうね。そうしましょう」
エミリーの様子を少し疑問に思ったシーリスだが、提案には大いに同意した。
シーリスは全速力でゴンドラを飛ばした。帰り着いてマリアンの料理を食べ、入浴したら疲れも吹き飛ぶ筈だ。もしかしたら入浴が先かも知れないが、どっちだっていい。
エミリーも無言でぼんやりと景色を眺めるばかり。
しかし帝都跡を間近にした時。
「ありゃ何だ? 煙か?」
噴き上がる煙に先に気付いたのはエミリーだった。シーリスもエミリーが喋り終わる頃には気付いていた。
「燃えてるわ!」
ちらちらと炎が見える。帝都跡一帯が広範囲に亘って炎上していた。




