治療と反撃
今回は瀬田組に反撃に行くまでの、小休憩です。変な爺が出てきます。
「まぁ、何はともあれちゃんとした治療だ。俺がやったのは簡単な応急処置だからな」
蓮次が、秀二、雅人、恭四郎の三人を見回して言う。蓮次はいつも自分が座っている席に座ると、ポケットからスマホを取り出した。
すると、秀二と雅人が同時に苦い顔をした。恭四郎と愛華は首を傾げる。スマホを握る蓮次を見て、秀二が苦々しく言った。
「……治療って…もしかして、善造ですか」
「それ以外に誰がいるんだよ」
「確かに腕は良いけど…善造かぁ…善造なぁ~…」
雅人も顔を顰めた。蓮次は渋る二人を無視すると、電話帳の『薬師寺善造』を選んでボタンを押す。しばらく鳴らすと、相手が出た。
『何じゃ霧原か。今度はどんな怪我じゃ?』
「俺じゃねーよ。秀二と雅人と恭…あぁ、知らねえか。まぁ、三人だ。今すぐ来れるか」
『医者使いが荒いのう…いくら出す?』
「金なら心配すんな金持ちがいるから」
『ほう。期待しておく』
それきり善造と呼ばれた男は電話を切った。蓮次がため息を吐く。秀二が苦々しい顔で言った。
「で、今から来るんですか」
「たぶんな。腕が良いっつっても表の医者じゃねえんだから忙しくもねえだろ」
そう、薬師寺善造という男は医者だが、れっきとした“元”医者なのだ。元はすこぶる腕が良い医者だったがある理由から免許を剝奪され、こうして大っぴらに医者にかかりづらい患者を扱っている。
蓮次と秀二と雅人は善造の存在を知っているが、恭四郎と愛華は知らない。恭四郎と愛華は目を合わせると、恭四郎が聞いた。
「なぁ、その善造って、どんな奴?」
「…変態、だな」
「あぁ…まぁ、そうだな」
秀二と雅人が珍しく意見を揃える。ますます分からない、と、恭四郎と愛華は首を傾げた。蓮次以外からの評判は悪そうなので不安は残ったが、もう呼んでしまったのだからどうすることもできない。
数十分後、応接室の扉が開き、男が現れた。額から右目を通って顎まで、大きな縫合痕がある。年は蓮次たちと同じくらいに見えた。
その男――善造が、応接室内をくるりと見回して言った。
「良い血の香りじゃな。患者は…瀬田秀二に九条雅人に、そこの金髪のガキか」
善造が恭四郎を指差して言う。まず喋り方と見た目のアンバランスさに驚き、遅れて答えた。
「あぁ、まぁ、俺の怪我が一番軽傷だけど」
「チッ、軽傷か。つまらんの」
それを聞いて、恭四郎は「ほんとにこいつ医者かよ」と思った。善造は次に愛華に目を向けると、ニヤリと笑った。
「えらく若いのがおるな。貴様も怪我人か?」
話しかけられ、愛華はふるふると首を横に振った。この人は少し怖いな、と思った。
「何じゃ健康体か。患者は若いに越したことは無いんじゃが。しかし、霧原」
善造は、自分を呼び出した張本人の蓮次に目を向けた。
「貴様娘なんぞおったか?ならなぜ儂に言わん。摘出してやるというのに」
「産婦人科は担当じゃねえだろうが。それに、愛華は拾ったんだ。俺の子じゃない」
「ほう。母親の顔が見てみたいのう」
愛華は少し俯いた。それを見た蓮次が、話を変えるように善造に話し掛ける。
「で、無駄話しに来たんじゃねえだろ」
「冷たいのう。誰からじゃ」
蓮次は少し迷った挙句、秀二、と言った。秀二はまさかここで自分が指名されるとは思っておらず、少し驚いた顔を見せる。
「え、俺ですか。雅人の方が重傷じゃ…」
「雅人は一応応急処置はしたし、お前の毒が一番わけわかんねえんだから」
「はぁ…」
秀二はまだ納得がいかないような顔だったが、最終的には蓮次の言うことを聞いた。結局、秀二、雅人、恭四郎の順で治療することになり、善造は秀二のところに向かった。
「外傷は頬の切り傷だけのようじゃが。動けんのか」
「あぁ。秀一は…麻痺毒、とか何とか言ってたな」
「秀一…瀬田組じゃな?」
秀二は頷く。善造はどこの組にも属していない医者という立場上、いろんな組の情報が集まりやすい。瀬田組を知っていても不思議ではなかった。
喋りながら、秀二の頬の傷とソファに刺さったままだった毒を塗った針を観察する。
「瀬田組は東北の勢力と聞いたが。それがまた何故関東におる」
秀二が眉間に皺をよせ、床を睨んだ。それを見て、代わりに蓮次が答える。
「関東で何かやらかすらしいぞ。で、関東の情報に詳しい秀二を連れに来たんだと」
「弟じゃからか」
善造がそう言うと、その場にいる全員が軽く目を見開いた。蓮次と秀二しか知らなかった情報を、いくら情報通と言えど、何故善造が知っているのか、と。
「ほう、当たりか?かまをかけたんじゃが」
秀二が、お前なぁ、とため息を吐いた。
「瀬田秀二に瀬田秀一。名前からも十分に推測できるし、あの外見じゃ。これで兄弟と言わん方が、儂には恐ろしいが」
「…秀一も治療したことがあるのか」
「…いや」
善造は持って来ていた鞄の中から注射器のようなものを取り出した。
「瀬田秀一か。あの男は儂のところに来たことはない。部下は来たこともあるがな。というより…」
善造は秀二の袖をめくりながら、言った。
「あの男が医者にかかるほどの怪我をしたという情報は、聞いたことがない」
蓮次と秀二は、やっぱりか、という顔をしたが、雅人は驚いたようで、秀二の治療をしてる善造の背中に向かって言った。
「怪我したことないって…あいつ曲がりなりにも一大勢力の組長だろ⁉無理だろ普通…」
「奴が“普通”の域からはみ出ているだけじゃ。よほど頑丈な体を持っているか、よほど強いか、じゃ。一度解剖してみたいのう」
善造はにやりと笑うと、秀二の腕に躊躇いなく注射針を刺した。秀二が少し顔を歪める。注射針を抜くと、善造はビニール袋に注射器を入れた。
「興味深い毒じゃったが大したものではないな。所詮“麻痺”じゃ。抗体は打っておいたからしばらく安静にしとれば問題ない」
注射を打って少し血が出ているところにガーゼを当てながら、善造は考えた。“天災”と呼ばれたあの男が、こんな生易しい毒を、と。殺す気は無いにしても、もう少し手ひどくやりそうなものなのに。
「……若いのは面白いのう」
「何か言ったか?」
「何でもない。次は九条か?」
そう言うと、善造は雅人が座っている方のソファへと足を運んだ。少しの間雅人を見詰めると、舌打ちをして雅人の腕に巻かれているギプスをはぎ取った。
「いっっっって!!!何すんだこのヤブ医者死ね!怪我人を大事に扱え!!」
「貴様は基本何をしても大丈夫じゃろう。しかし、この包帯を巻いたのは霧原か」
蓮次は苦笑いしながら、頷く。
「全然なっとらんな。巻き方は昔教えてやったろうに」
「何年前だと思ってんだよ…あの時俺まだ小学生だぞ」
「関係ないわ」
その会話を聞いて、恭四郎と愛華は同時に思った。この医者は一体いくつなのだろう、と。それを察したのか、秀二が呆れ顔で言った。
「…善造なら、今年で五十八歳だ」
「「⁉」」
恭四郎と愛華は同時に善造を振り仰いだ。当の善造は何食わぬ顔で、「若いじゃろう」と笑う。若いどころではない。若作りもいいところだ。蓮次たちと同年代にしか見えなかった。
「しかし、九条」
善造は雅人に向き直ると、言った。
「派手にやられたのう。骨が砕けとらんだけマシじゃ。折れているのは…腕だけか。他にも打撲が点々と…霧原組の第三幹部が聞いて呆れるのう」
「うっせ黙れクソジジイ」
雅人の睨みを軽くかわしながら、善造は蓮次に目を向ける。
「で、霧原。この怪我はいつまでに“最低限”まで治せばいいんじゃ?」
「…お見通しだな」
骨折を完全に治すには、もちろん結構な時間がかかる。だが、秀一がもう一度来るというのなら、そうは待てない。更に、蓮次たちは瀬田組の場所を突き止めて攻め入る気でいるのだから、時間は無い。
少し考えた後、蓮次は口を開いた。
「…雅人は今回は不参加だ」
「は⁉」
即座に、雅人が声を上げる。訂正するように、蓮次が付け加えた。
「不参加っつっても、瀬田組に入るのには不参加っつーことだ」
「他に何が―――」
そこで雅人は蓮次が言いたいことを察して、言葉を切った。ちらりと恭四郎を見る。恭四郎は首を傾げたが、雅人は蓮次に向き直ると、言った。
「…今回俺は護衛、ってことッスか」
「そういうことだ。恭四郎は当日家から監視カメラの様子を電話で俺たちに伝えてもらうが、恭四郎の家が知られてる可能性もあるからな。恭四郎、それでいいな?」
突然話を振られ少し驚いた後、恭四郎は少し戸惑い気味に言い返した。
「…護衛って…雅人片手っすよ」
「一本ありゃあ上等だ」
そう言って蓮次は笑った。恭四郎としては“雅人が自分の護衛ができるのか”ということよりも、“もし自分の家に敵が来たとき、雅人は大丈夫なのか”ということが心配だったのだが、雅人自身も不安げではないのを見て、渋々頷く。
「とりあえず、痛み止めじゃな。で、固定じゃ。上手くすれば最低限動けるじゃろう。じゃが、そっちの手で殴ったりはせん方が得策じゃな。下手すれば治らなくなるぞ」
「あー…努力する」
「儂は直らなくなった患者は診ないからのう。できれば、ぎりぎり治る程度まで怪我をしてもう一度儂のところに来れば美味しいんじゃが」
「美味しいじゃねえよ変態死ね」
無視して、善造は治療に取り掛かる。善造の治療は早かった。間に合わせの応急処置ではあったが、素人目にも腕が良いのが分かるほどだった。
雅人の治療を終えると、善造は恭四郎に向き直る。雅人の時と同様に、恭四郎の頭に巻かれている包帯を取ると、恭四郎の後頭部を見詰めた。
「何を使って殴られたんじゃ」
「壁」
「壁?」
この時初めて、善造が少し驚いたような顔を見せた。恭四郎が説明すると、善造は、ふむ、と手を口に当て、しばらく恭四郎を見詰めた。
「貴様、体重は」
「は?えっと…五十六キロだっけ?」
「軽いのう。しかし、片手で…」
善造は恭四郎の頭を触ると、言った。
「頭蓋骨に損傷は無さそうじゃが、瀬田秀一…想像以上に怪力じゃのう。いいか、外傷の後頭部は今治療してやるが、頭痛が続けばすぐに儂でも別の医者でもいいから報告するんじゃぞ」
「…? 分かった」
少し真面目な表情を見せた善造だったが、また元の人を喰ったような表情に戻ると、鞄から薬を取り出しながら恭四郎に話し掛けた。
「名前は?そういえば貴様は初めて見る」
「俺?相楽恭四郎」
「! ほう、相楽…霧原、金持ちがいると言っていたのはこいつじゃな」
「やっぱ知ってたか」
「裏では相楽グループは有名じゃろう」
裏では、という言葉に恭四郎は顔を歪めたが、間違いではないため反論はできない。結局善造の指示に従って、ソファに逆向きに座り、善造に後頭部を向けた。
善造は少し血がしみている恭四郎の髪をめくると、患部を消毒して薬を塗った。善造が自ら作っている薬だ。少し痛かったようで、恭四郎がぴくっと動く。
「痛いか」
「んん、いや、大丈夫」
善造の態度に、雅人が不満そうに声を上げる。
「恭四郎と俺たちの扱いの差が激しいんじゃねえの?随分医者らしいじゃねえか」
「ふん。筋肉の付き方から、このガキの体は頑丈ではなかろう。患者が壊れれば困るのは儂じゃ。それに比べ貴様らはどうじゃ。一昔前の霊長類みたいな筋肉をしおって」
そう言って善造は嘲笑した。言い返せなかった三人は言葉に詰まる。無視して、恭四郎の治療を続けた。髪が傷に触れないように上げてガーゼを当て、包帯を巻いて、終了、と恭四郎の肩を叩いた。
ちらりと愛華を見ると、にやりと笑って「怪我をしたら呼ぶといい」と言った。蓮次と雅人に睨まれ、目を逸らす。
「さて、これで儂の仕事は終わりか?」
元の依頼主である蓮次に目を向けて、聞く。蓮次は、あぁ、と答えようとしたが、口を閉じ、別の言葉を紡いだ。
「善造、お前瀬田組についての情報持ってるか?」
「儂から情報を買うのなら、別料金じゃぞ?瀬田組の情報ともなると、そうじゃな…まぁ貴様らは常連じゃからのう。三十万にまけてやる」
恭四郎はひそかに驚いた。もちろん払える値段ではあるが、情報とはそんなに高いものだったのかと。
恭四郎はそこで、蓮次に目を向けられているのに気づき、軽く頷く。払えますよ、と。
「三十万だな」
「相楽がいると違うのう」
善造は愉快気に笑うと、帰ろうとして立ち上がっていたのを、再びソファに腰を下ろし直した。医療道具が入っている鞄を床に置くと、話し始める。
「まず聞くが、瀬田組のどんな情報が欲しい」
「瀬田組の、関東での拠点は分かるか?まぁこれは分からなくても恭四郎が調べるんだけどな。場所が絞れるとありがたい」
ふむ、と善造は記憶を辿るように天井を見上げる。持っている情報が膨大ゆえに、すぐには出てこないのだ。
「何せ、瀬田組が関東に来たのはごく最近じゃからのう…まぁ、最近怪しい集団が入った、という情報なら無いこともない。数か所あるがの」
善造がそう言ったのを聞いて、今度は恭四郎が口を開いた。
「その数か所の近くって、監視カメラとかあるか?一般のでもいい」
「あるじゃろうな。最近ではどこもかしこも監視されておる。建物内にも古いものはあるんじゃないか?」
それなら、と恭四郎は考える。外の監視カメラのハッキングは簡単だ。管理しているところにハッキングすれば済む。そしてうまくすれば、外のカメラから建物内のカメラの電波を拾ってハッキングするのもできるかもしれない。
「組長、建物内のカメラもハッキングした方がいいよな」
「もちろんだ」
「了解」
それから恭四郎はハッキングの順路を考え、黙り込んだ。
善造が続けて言う。
「で、それだけか?」
「…瀬田組が一般人に手出ししてたりする情報はあるか?そっちの方が、“霧原組”としては動きやすいんだが」
霧原組はやくざの中の秩序のような存在で、私闘はご法度だ。今回の秀一の件は明らかに私闘なため、何か霧原組が瀬田組に攻め入る情報があれば、大っぴらに動ける、ということだ。
善造はまた少し天井を見上げると、言った。
「そうじゃのう…関東でやっているかどうかは分からんが、東北では麻薬の売買もしていたそうじゃ。まぁ何せ瀬田組は大規模じゃからのう。瀬田秀一の指示ではない可能性もあるが」
「いや、瀬田組としての情報があれば十分だ」
これで、霧原組が瀬田組に攻め入るということが周りから見て不自然でないという状況が出来上がった。
蓮次の言葉を聞いて、善造は鞄を持って立ち上がった。
「じゃあ、儂の仕事はここまでじゃ。相楽に儂の口座を教えておけ。三十万プラス医療費、確認するからな」
「分かった」
そうすると、善造は今度こそ出て行った。一人減った応接室は、急に静かになる。
愛華は、少し不安だった。子どもの愛華にも、何か危ないことが起こっているのは分かる。それに蓮次たちが密接にかかわっているのも、分かる。自分が何もできないのも、分かるのだ。
「…れんじ」
「愛華、当日お前は、雅人と恭四郎と一緒に、恭四郎の家にいろ。たぶん、一番安全だ」
「……うん」
そこで秀二が、蓮次の足をがんっと蹴った。いてっ、と声を上げる蓮次に、そういうことじゃないでしょう、と小声で言う。蓮次は一瞬戸惑ったが、愛華をもう一度見ると、はっとして愛華に近寄った。
「愛華、大丈夫だ。お前が心配するようなことは、何も起きないからな。みんな大丈夫だ」
頭を撫でながら言うと、愛華は先程より少しほっとした表情になり、うん、と頷いた。
蓮次は立ち上がると、雅人に言う。
「雅人、恭四郎を家まで送ってけよ」
「は⁉家くらい一人で帰れるんじゃないスか?」
「このタイミングで瀬田組が襲ってくる確率は九十九パー無いが、残りの一パーが心配だからな。一パーくらい、片手でも大丈夫だろ?」
「…はぁ、まぁ」
まだ少し不服そうな雅人だったが、結局は素直に従い、ほら行くぞ、と恭四郎の肩を叩いた。だが恭四郎がずっと何か考え込んだまま動かないので、雅人は不思議に思い、おい!と恭四郎の顔を覗き込む。
「…うぉっ⁉なんだよ急にびっくりするだろハゲ!!」
「ハゲてねえし急でもねえし。聞いてなかったのかよお前ん家行くぞ」
「お、おお、」
雅人が先に玄関に向かうのを、恭四郎が立ち上がって追いかけた。部屋から、二人減る。うるさい二人組がいなくなると、更に静かになった。
「…あとは恭四郎のハッキングを待つだけですね」
秀二が、蓮次に言っているのか独り言なのか、そう呟いた。蓮次はちらりと秀二に目を向けると、言った。
「お前、どうするんだよ」
「どうするってそりゃ、行きますよ」
「そうじゃねえよ。秀一ともう一回会って、どうするんだ」
蓮次にそう言われ、秀二は顔を歪ませた。蓮次は秀二の過去を知っている。秀一が、何をしたのかも知っている。それを踏まえて、聞いているのだ。
秀二は間を開けると、さっきよりも小さい声で言った。
「……解決、します」
秀二のその言葉に、そうか、とだけ返した蓮次は、よしっ、と空気を切り替えるように、愛華を抱き上げた。
「愛華は明日も学校だな!もう風呂入るか?今日は俺が入れてやるよ」
「うん」
そう言って二人は、愛華の部屋に向かった。
秀二は先程の蓮次の言葉を思い出し、一人呟いた。
「秀一と、会ったら…」
秀一の薄ら笑いを思い出し、眉をひそめる。歯を食い縛る。
「……殺すんだろうな」
自分のことなのに、他人事のように言う。
長く息を吐くと、煙草をくわえた。
END