第276話 鍵の在り処
「これが昨晩俺が見たすべてだ」
ミシェルの前に座る明羽凌牙がそう締めた。
ミシェルは緋織とリリィに連れられて、【ミラージュ】の入ったマンションの五階にある優希人の部屋へと来ていた。現在凌牙がそこで寝泊まりしているためだ。
部屋の主は現在【ミラージュ】で働いている真っ最中で、内緒話をするにはもってこいの状況だ。
リビングのソファーに凌牙とミシェル、ダイニングテーブルに緋織とリリィが座っている。
「そちらの話も聞いている。たしかにあの場で君の広域魔術を使用しなかったのは賢明だ。あの術式は限りなく禁忌に近い。負の影を殲滅は出来るだろうが、諸共に要石をも破壊してしまうだろう」
「……っ」
ミシェルもそれは良く理解している。それでも、ヤツらを目の前にして引き下がるという選択肢は彼女の中には存在しない。
「それほどの因縁がヤツらにはあるということか」
「───はい」
膝に乗せている手をキツく握りしめているのを見て、それが相当深いモノだと凌牙は見て取れた。
「ヤツらは一体何モノなのだ? 近頃頻繁に見かけるようだが……」
「分かりません。ただ……」
「ただ?」
「黒水晶の仮面と黒い剣を携えた、厄介な連中とだけしか」
悔しいことに彼女自身も未だにヤツらに関する情報を掴めないでいる。
「それに関してですがタスク。思い当たる節があります」
「なに?」
「というかおそらくあなたも、それにルージュも耳にしたことがあるはずです」
「私も?」
緋織は覚えがなさそうな顔をしている。
「〝忘れられし神話〟」
しんと静まりかえる部屋。
「忘れられし……神話?」
いくら記憶を遡ってもミシェルの中にそんな名の神話は見当たらない。
「なんだそれは?」
凌牙の言葉に緋織も頷く。
「やはり覚えていないようですね」
「覚えて……?」
緋織の呟きにリリィは苦笑いを浮かべた。
「かくいう私も、今話題が出て思い出したのですけど」
「どういうことだ? まさか忘却の呪いでもかけられていると?」
「そのようです。私も思い出し、そしてかつて聞いた時もそういう仕組みになっていると聞いていたにも拘わらず忘れてしまっていた」
「かつて聞いた時と言ったな? まさか天界にいる時……なのか?」
「ええ。そしてそれは私達がとてもお世話になったあの方から聞いたものですよ」
「あの方ってまさか───」
「先々代の天界軍総司令官にして私達の大恩人。そしてこの部屋の主の母親である、穂村優羽です」
優希人の部屋で密談が行われている頃、一階の【ミラージュ】では開店準備を終えて開店の時間が来るのを待つばかりだった。
「ねえ、優希人くん」
昨晩のこともありこの日の朝の営業は臨時休業となり、正午からの営業再開となっていた。その時間までまだ一時間以上あり、羽衣と優希人以外のスタッフは十二時からなので、今店内にいるのは二人だけだ。
「なんですか? 何か足りない食材でもありました?」
レジ前からかけられた声に、時間もあるということで窓掃除をしていた優希人がその手を止めて振り向いた。
「あなたから見た姉さん……あなたのお母さんはどんな人だった?」
「そうですね……」
と思い出す素振りをみせる。
「なんというか、もの凄く溺愛されてたように思えます」
「そうなの?」
「よくハグされたりとか頭を撫でられたりとか、テンションが高い時なんかは頬ずりなんかも……」
「こ、子煩悩だったってことかな」
羽衣は苦笑いを浮かべながらそんな感想を述べた。
「友達の前とかでも遠慮なくするんで、恥ずかしかった思い出があります」
「あの頃の優希人くんは可愛かったからね~。無理もないかもしれないわ」
「あれ? オレ、羽衣さんにあったことありましたっけ?」
「ええ。ただしこっちの優希人くんだけれど」
道理でと腑に落ちたような顔をする優希人。
「あとは……とても厳しかったですね」
「ああ……」
羽衣にも覚えがあるようだ。
「とくに剣の稽古中は別人のようでした」
「鬼教官って呼ばれてたわよ、昔は」
「まさにそんな感じでしたね。毎回生きてるのが不思議なくらい」
声のトーンが沈む。
「それでもきちんとあの人の剣を受け継いだのだから、さすがは姉さんの子供ね」
「まだまだ未熟ですよ。母さんがいなくなってから凌牙さんに稽古つけてもらってましたけど、全然追いつけた気がしませんよ。むしろ昔より遠く感じるようになりました」
「それが分かるようになっただけでも成長したんじゃないのかな?」
「そうだといいんですけど。ちなみにオレだけじゃなくて、美那も母さんに師事してましたよ」
「納得ね。【念晶者】にしてはあの強さは異常だもの」
血や家系が影響する【顕現者】は代々受け継がれた術式や格闘術の教育を幼い頃から施される。だから【顕現者】は〝人間〟の域を遥かに超えた人間と言われている。
【念晶者】は普通に生きていた一般人がある日突然発現する。だからたとえ武道や格闘技を習得していたとしても、一般人からすれば十分脅威だが【顕現者】からすれが天と地ほどの差がある。
しかし美那はその差を覆すほどの実力者へと成長した。それは彼女の才能もあったかもしれないが、彼女に手解きをした何者かが極めて異常な存在だったとも言える。
「他にはない? たとえば寝る時に聞かされてたおとぎ話とか」
「……あったとは思うんですけど、さすがに忘れちゃいました」
「そっか。そうだよね」
「おはようございま~す」
店の裏口からスタッフが入ってきた。
「おはよう。お店を開ける準備は終わってるから、優希人くんと手分けしてホールのお掃除しててもらえるかな」
「了解です」
優希人は出勤してきたスタッフに床掃除を頼むと、ハンディワイパーを持つ手を動かして窓掃除を再開した。
つづく




