第215話 忍び寄る影
はぁ……と、織村由梨は深く溜め息を吐いた。
「何やってんだろ、私……」
授業で当てられては前の授業の教科書のままだし、休み時間にトイレに行くのも忘れ、掃除の時間には水の入ったバケツを倒して床にぶち撒け……。
挙げ句の果てに学校を休んだ木ノ花風花の為に授業のノートを取ろうと思っていたのだが、まったくと言っていいほど授業に集中していなかった為に自分の分すらロクに取れていなかった。
「早くウチもタブレットを使った授業になればいいのに」
そうボヤきながら、彼女は購買に向かっていた。
小さい頃からの友人に頼み込んで貸してもらったノートをコピーする為だ。交渉は新発売のコンビニスイーツで成立した。
コピー自体も大した量ではなかったが、小遣いでやり繰りしている高校一年生にはわずかな出費でも時には厳しい。
「バイトでも探そうかな」
やがて購買に着くと先客がいた。
「遼子先輩」
一台しかないコピー機を使用していたのは生徒会長である谷曇遼子だった。
「こんな時間に購買なんて珍しいわね、織村さん」
生徒会長は親しげな笑顔を由梨に向けた。
生徒会長と一般生徒が接点を持ったのは体育祭の時。
それは谷曇遼子がまだ生徒会長ではなく、体育祭実行委員長に就いていた時だった。
GW明けに開催される霧浜学園の体育祭。
入学間もない新入生のクラスが一致団結する高校生活初めてのイベントだ。
とは言え、さほど大きくない学校な上にほとんど地元の人間が進学してくる高校だ。
一致団結など容易なものだった。
そして大抵の人間の人柄もそれなりに把握されている。
そう言ったわけで織村由梨は体育祭実行委員に推薦され、それを仕方ないわねとばかりに引き受けた。
そこで彼女は地元の名士である谷曇家の人間と出会う。
それが谷曇遼子だ。
中学時代も有能な生徒会長で憧れていたが、ついに接点を持つことなく遼子は卒業していった。そして高校でついにそれが叶った。
想像していた通り人柄もよく、それ以来仲良くさせてもらっていた。
「ノートなんて持って、まさかあなたが授業中居眠りなんてするわけないし」
「私こう見えても授業中は居眠りなんてしたことないんですよ」
自分が少々活発なところがあるのは由梨も自覚している。
「でもぼぉっとすることはあるんでしょ?」
ずばり言い当てられて由梨はどきっとした。
「あら? 適当に言ったのに当たってたのかしら?」
遼子はいたずらっぽく笑った。
「も、もう、やだな先輩ったら」
「そうよね。ノートはきっと今日お休みだった友達の分かしら」
「生徒会長って休んだ子の事も把握してるんですか?」
「そんなわけないじゃない。たまたま体育の時間に用具を用意していたらあなたの教室が目に入っただけ」
「なぁんだ、びっくりした」
「生徒会長っていってもそんな万能じゃないわよ」
「そんな。遼子先輩はいい生徒会長だってみんな言ってますよ」
「ふふ。ありがとう」
浮かべた笑みがどことなく寂しげに由梨には見えた。
「ごめんね。もうすぐ終わるから。生徒会室のコピー機が調子悪いみたいで、会議の資料をこっちでコピーしてたのよ」
「そうだったんですか」
そう言っている間に資料のコピーが終わった。
「さあ、どうぞ」
遼子が場所を空けた。
「ありがとうございます」
コピー機のカバーを上げてノートをセットする。
「ねえ、織村さん?」
「はい、なんですか?」
二枚で設定してスタートボタンを押した。
「よかったら途中まで一緒に帰らない?」
「え? いいんですか?」
「これを纏めたら今日の仕事は終わりだから」
「じゃあそれお手伝いします!」
「いいの?」
「はい。これ終わったら荷物持って生徒会室行きますね」
「ありがとう。じゃあ先に生徒会室で始めてるから」
「わかりました」
背を向けて歩きだす谷曇遼子。
その口元は歪に釣りあがっていた。
「……なるほど」
慧太郎が唐突にそう呟いた。
「兄様?」
『何が「なるほど」なんだ、慧太郎?』
「咲夜がちょっと強引に僕の記憶を呼び起こしたものだから少し状況を整理してみたんだ」
『状況が状況だからな』
「うん。そこは理解しているよ。今のこの状況だったら咲夜ならそうするだろうってね」
「だから「なるほど」なのですね、兄様」
「まあ、そうなんだけど……」
言い淀む慧太郎。
『けど、なんだ?』
「八十年前と現在が繋がらないんだ」
「どういうことです、先輩?」
「どうして凛は龍神祭の晩に空から降ってきたのかとか」
『そうか。お前、完全に記憶が戻ったわけではないな?』
「完全にっていうのがどこまでを指すのかは分からないけど、僕が思い出したのは涼香と二度目のお別れをしたときまでだよ」
「……っ」
風花がわずかに俯いたのを慧太郎は見逃さなかった。
「せっかくお前の願いが叶ったんだから、そんな哀しい顔をしないでおくれ」
「兄様……っ」
涼香の瞳から再び涙が零れた。
「とは言え、お別れのそもそもの原因が僕にあったわけだけど……」
「兄様。そのことは私は気にしていないとあの時にも言ったはずです」
慧太郎の言葉を遮って風花がぴしゃりと言った。
「あの時にも?」
「あ……。まだ記憶が完全ではないのでしたね」
涼香が涙を袖口で拭いてからまた申し訳なさそうな顔をしたので、叢丞はその頭にぽんと優しく手を置いた。
「あの時って一体いつのことなんだい?」
『私達二人で涼香を見送った数日後、〝応龍〟との決戦があった』
「〝応龍〟との決戦───!」
『どうにか奴を再び封印することに成功したが、我々もお前を喪うという痛手を負った』
「なるほど。そこで僕は死んだわけだ」
『その間際にお前が何らかの術を凛に施した結果があの晩に繋がったのだと思う』
「つまり死期を悟った僕は未来に託す為にその術を使ったってところかな」
『おそらくはな』
「でもそんな高度な術なんて僕は知らないんだけど」
『火事場の馬鹿力というやつか?』
「意外とそうかもしれないね。ところで」
『なんだ、まだ何かあるのか?』
「そりゃあね、最大の謎と言ってもいい」
「最大の謎……? それは一体何なのですか、兄様?」
そこで慧太郎は浅陽の方を向いた。
「何で君はそんな姿になってるの、咲夜?」
正確には慧太郎は浅陽ではなく、彼女の傍らに置いてある顕現したままの〈焔結〉を見ていた。
『こちらにも色々と事情があってだな……』
「言いにくいんだったらあたしから言おうか?」
『今はまだいい』
そうきっぱりと咲夜は言った。
『(余計な心配はかけたくない)』
そう念話で付け加えた。
それで浅陽は察した。
あの状況を伝えれば恐らく慧太郎は少なからず動揺するだろうことを。
実際、慧太郎の胸の内はモヤモヤしていた。
(なんだろう? この嫌な感じは……?)
『一部でも記憶を取り戻したんだ。残りも近いうちに思い出すだろうさ』
「……今はちょっと無理そうかな」
『焦ることはない。だが、時間もそんなに無いかもしれん』
「そんなに切羽詰まってる?」
『現在確認されているだけで、我々を含めて当時の関係者が九人揃っている』
「それはたしかに偶然ってレベルじゃないし、決戦も近そうな感じだね。ちなみにその九人って?」
『まずお前のように転生しているのが他に四人。そこにいる涼香、それに咲乃、沙耶、そしてあのいけ好かない坊ちゃんだ』
「坊ちゃんって、もしかして清九郎?」
傍らの風花の身体に緊張が走ったのが分かった。
『ああ。ただお前達二人以外の三人は誰が誰だかはまだ分からん』
「なんでも星明さんの占いで出たらしいです」
「そうか、星明の占いに出たのなら確実だ」
つづく




