第214話 僕は……
「……すず……………………か…………」
ぼんやりとした意識の中、慧太郎はふと妹の名を呟いた。
八澄叢丞の妹の涼香が旅立つ場面を見た。
知らない光景の筈なのに、とても胸が痛んだ。
自分の中に自分の物じゃない感情が渦巻いているような、変な気分。
それが少しずつ、まるで経験してきたかのように記憶に刻まれていくのが、なんとなく理解わかった。
『──────ッ!!』
不意に、遠くから掛け声のようなものが聞こえてきた。
同時に何か硬い、金属同士を打ち合わせたような、いや、撃ち合わせたような音がする。
決してリズミカルな音ではない。
だが、その不規則な甲高い音は、互いのリズムをぶつけ合っているような、そんな風にも聞こえる。
そしてそれは、慧太郎にとっては覚えがない筈なのに、とても懐かしく感じられた。
「剣戟……」
ふとそんな言葉が漏れた。
慧太郎は小さい頃に時代劇の再放送を観たことがあった。
その中で繰り広げられていた殺陣は真に迫っていて、本当に斬り合いをしているかのようだった。
しかし聞こえてくる音は、昔聞いたものよりもリアルに生々しく彼の耳に入ってくる。
───殺し合いをしている。
正にそう思えた。
しかし殺し合いをしているような殺伐とした空気は伝わってこない。
真剣を振るっているけれど、殺し合いをしているわけではない。それはつまり、
「稽古、なのか……?」
暗い水底から浮かんできた泡のように、そんな言葉が口を衝いて出た。
やがてその泡が水面へと浮かんで行くように、慧太郎の意識が浮上していく。
「ああ、僕は…………」
木ノ花風花が薄雲慧太郎の傍から一向に離れない為、浅陽も【龍宮神社】から離れるわけにはいかない。
そんな浅陽は縁側で坐禅を組んでいた。
正確に言えば坐禅ではない。
何しろ彼女はジッと一つの場所に留まっているのが苦手なのだ。
では、彼女は一体何をしているのか?
その時彼女の眉間に皺が寄った。
そしてツツツと冷や汗が額を伝って落ちていく。
「……ぷはぁッ!」
ずっと止めていた息を吐き出したかのようにして、浅陽はその場に倒れた。
「はぁっ、はぁっ……!」
『ふふ、まだまだだな』
「くっ、なんて太刀筋───」
イメージトレーニングと思いがちだが、彼女達の場合は少し違う。
『だがさすがに筋はいい。お前ならそのうち私と肩を並べられるだろう』
「そのうちなんて遅すぎるよ」
『ほう』
「近いうちに越えてみせる」
彼女達は心の中、いわゆる〝心象世界〟で稽古をしていた。
『それなら先入観を捨てることだな』
「先入観?」
『お前は私の事をどんな風に聞いていた?』
「咲夜のこと? ん〜……」
虚空を見つめて思い返す。
「曾祖母咲乃の双子の姉で、剣の腕も、術の冴えも天才だって」
『(天才、ね……)』
「あとは、男勝りだったとか、自分の事を俺って言ってたり、それから……」
『ちょ、ちょっと待て。誰からそんなことを……』
そんな慌てたような声が返ってきた。
「え? 茉莉様からだけど」
『昨夜そんなことまで話していたか?』
「ううん、小さい頃。まだ悠陽と一緒だった頃に」
その当人と稽古出来たりするなんて誰が想像出来ただろうか。
(これも縁ってやつなのかな)
不思議な縁に浅陽は少し頰を緩ませた。
『と、兎も角だ、その〝天才〟というのが先入観というやつだ。まあこちらに関しては然程問題にはならんようだな』
「そうね。確かに咲夜は強いけど、圧倒的ってほどでもないし」
『ほう。言うではないか』
「良くも悪くも言い伝えがアテにならない事って、水薙家みたいな家だと結構あると思うんだけど?」
水薙家のように妖魔退治を生業としている家では、ある程度妖魔の言い伝えや伝承の類が存在する。
それは実際に遭遇接近した伝聞や噂レベルのものまで様々だった。
そしてそういった妖魔と対峙した時に、その言い伝えが大袈裟であったり、稀に過小評価だったりで、アテにならないことなどザラであった。
『そうだったな』
「それで、こちらじゃない先入観ももしかしてあるの?」
『ああ。それは……』
咲夜が先入観それを口にしようとしたその時───、
「兄様っ!」
背後の部屋からそう声が上がった。
慧太郎はゆっくりと瞼を開いた。
そこには、淡い赤に染まった古民家のような木の天井があった。
「ここは……」
彼がよく知っている部屋の天井であることは一目で分かった。
「〝僕〟は……」
ふと、傍らで眠っている人物がいた。
「木ノ花……?」
木ノ花風花は畳に直に横になってスヤスヤと寝息を立てている。
慧太郎とは別に布団が掛けられているのは、彼女が風邪を引いてしまわない為だろう。
「なぜこんな所で眠ってるんだ……?」
彼女が一晩中つきっきりでその場に居たことなど、慧太郎が知る由もない。
しかし、何処と無く懐かしく感じている自分がいる事に、慧太郎は気づいた。
「そうか」
そして慧太郎は手を伸ばして、木ノ花風花の頭を優しく撫でた。
「数日前に再会であった時からずっと呼んでくれてたのに、気づけてあげられなくてごめんな」
木ノ花風花は霧浜学園に編入した日に慧太郎と逢ってから、ほぼ「兄様」呼びを通してきた
だが、慧太郎に八澄叢丞としての記憶が無いのだから気づけないのは当たり前のこと。
「生まれ変わっても髪はサラサラだな」
器としては別物だが、まるで生まれ変わる前の彼女の頭を撫でているように慧太郎は錯覚していた。
「ん…………」
風花がわずかに身じろぎした。そして、
「───ッ!?」
突然カッと目を開いた。
「しまった。兄様が目を覚ますまで起きているつもりだったのに……」
風花はもぞもぞと起き上がる。だが慧太郎に背を向けていた為、彼が起きていることに気づかない。
「せっかく兄様に頭を撫でてもらっている夢を見ていたのに」
「言ってくれればいつでも撫でてあげるのに」
「本当ですか。じゃあ…………え?」
風花がガバッと振り返る。
その拍子に布団がめくれた。
「兄……さま?」
「うん。おはよう、涼香。といってももう夕方かな」
「……今何と?」
「もう夕方だよね?」
「その前」
「夕方におはようはさすがにおかしかったかな」
「そうではなくて」
風花が頰を膨らませながら言う。
その仕草が懐かしくて、込み上げてくるものを抑えきれなくなった慧太郎は一筋の涙と優しい笑みを漏らした。
「涼香」
「あ……」
風花の頰を涙が伝う。
「兄様っ!!」
風花は慧太郎の胸に飛び込んだ。
慧太郎はもう一度優しくその頭を撫でた。
「涼香は相変わらず甘えん坊だな」
「だって、ようやく兄様に逢えたんですもの。少しくらいはいいじゃありませんか」
そこで縁側の障子が開いた。
『どうやら記憶を取り戻したようだ……な……』
「お、お邪魔しましたぁ〜」
絶句する咲夜とそそくさとその場を去ろうとする浅陽。
「ちょ、ちょっと二人とも」
「二人とも……?」
障子を閉めようとした浅陽の手がピタッと止まった。
『まさか聞こえるのか、私の声が?』
「うん。はっきりと聞こえるよ、懐かしい声がね」
慧太郎は優しい笑みを浮かべてそう言った。
つづく




