第189話 凛④
「……だれ?」
先程とは打って変わり、話し方が少し幼く感じられた。
「え?」
レイン(?)はきょとんとした顔で叢丞を見つめている。その瞳がとても澄んでいたので、叢丞は気恥ずかしくなった。
「僕は叢丞。八澄叢丞って言うんだけど……」
「やすみ、そうすけ……?」
「あの、レイン……じゃないの?」
「れ…ぃ……ん?」
噛み締めるかのように言葉を紡ぐ。
「……まもって……あげる?」
「え……?」
先程叢丞がレインに言った事を口にした。
「……そーすけ」
「うん?」
「そーすけだっ!」
大きな声で叢丞の名前を呼ぶとレイン(?)は、親にしがみつく子供のように彼に抱きついた。
「なっ?!」
「そーすけ、〝りん〟をまもるっていった。だから〝りん〟もそーすけをまもる!」
叢丞がレインに言った言葉を再び口にする〝りん〟。人格はまったく別物だが意識は共有しているらしいということだけは叢丞にも分かった。
「え~っと……、君は〝りん〟って言うのかな?」
「さっき、そーすけがそうよんだ」
「僕が? 確かレインと言ったはずだけど。もしかして〝レイン〟が〝りん〟に聞こえたのかな」
ぶつぶつと独り言のように呟く叢丞を〝りん〟が覗き込む。
「どうした、そーすけ?」
「なんでもない。それじゃあ今日から君は〝凛〟だ」
レインの方の雰囲気が凛々しかったから〝凛〟。そういうことで叢丞の中で決着させた。
「うん! 〝りん〟は〝凛〟」
「ところで凛?」
「なに?」
叢丞が辺りをキョロキョロ見回す。出口を探していた。
「そーすけ、こっち」
まるで叢丞の心を読んだかのように、凛がその手を引いた。
「でもそっちは行き止まり……え?」
再び鳥居を潜った瞬間、辺りが光に包まれた。その眩しさに目を瞑る叢丞。そして───、
「兄様……?」
「え?」
それ程時間は経っていない筈なのに、その声が叢丞を懐かしい気持ちにさせた。
目を開けるとそこは、清九郎が涼香に暴力を振るっていた場所だった。
「あ、あれ?」
振り返り確かめるがそこに階段は無く、ただの壁でしかなかった。
「夢、だったのかな……?」
時間はあまり経っていないようだった。その証拠に目を開けた瞬間、ちらっと清九郎が廊下の角を曲がるのを叢丞は視界の端に捉えていた。
(そっか……。多分壁に激突して夢でも見ていたのかもな)
あんな派手な格好した少女と一緒に居たら涼香はきっと卒倒してしまうかもしれないと叢丞は微かに笑った。
「あかるいっ!」
「え?!」
今しがたまで夢の中(?)で聞いていた声がして叢丞は振り返る。すると、
「……?」
一度叢丞の顔を見て満面の笑みを浮かべると、凛はまた辺りをキョロキョロし始めた。その様子から外が珍しいように見える。
「……夢じゃなかったのか」
「に、兄様……?! こここ、こちらの方は?!」
珍しく涼香が慌てていた。
「え……っと、なんて説明したらいいのかな……」
「どうしたのです? 騒々しい……」
騒ぎを聞きつけてきた二人の母・『八澄 颯季』が、少し不機嫌そうな表情でやってきた。
「母上……」
颯季の目が叢丞を捉えると、居心地の悪いようなしかし申し訳ないような、それらがない交ぜになったような顔に変わった。
「母上?」
「その子は……?」
そして凛を目にした颯季が訊いた。
「実は……」
今起きたことを叢丞が話そうとしたが、何かを察したのか颯季はそれを制止した。
「私の部屋に行きましょう。話が長くなりそうですから」
「……はい」
そして叢丞は涼香と凛を連れて、颯季の部屋へと赴いた。
「そうでしたか……」
叢丞の話を聞き終え、颯季はじっと目を閉じていた。
「そんな、あそこはただの〝壁〟でしかありませんでしたよ?」
叢丞が消えた後に涼香は〝壁〟の辺りを調べた。しかし〝壁〟はやはり壁でしかなかった。
「結界なのかもしれません」
やがて閉じていた目を開き、颯季がそう言った。
「結界、ですか……?」
「条件を満たしている者にのみ潜り抜けることが出来る仕組みにでもなっているのかもしれません」
「でも僕にはその……〝力〟が無いのに、条件なんて満たせる筈がない」
叢丞には〝力〟がない。だから叢丞は母である颯季に嫌われているのだと思っていた。
「叢丞……」
しかし叢丞の名を口にした颯季の顔は、叢丞でも見たことがないくらい悲哀に満ちていた。
その颯季の表情を見た瞬間、叢丞は胸の辺りがズキリと痛んだ。
「叢丞?」
「なんでもありませんよ、母上。それよりも続きを」
「分かりました。条件の一つに考えられるのは確かに〝霊能〟の力かもしれません。しかし他に考えられるモノがあります」
「それは?」
「それは、八澄の〝真なる力〟と呼ばれるモノです」
「八澄の〝真なる力〟!?」
レインもそんなようなことを言っていたのを叢丞は思い出す。
「陰陽道の基本は【陰陽五行】であることは二人とも知っていますね」
「はい」
叢丞の返事と一緒に涼香も頷く。
「八澄の家系は陰陽道の家系の中でも結界術に長けた一族。それ故〝封印守〟と呼ばれています。その長い歴史の中で発展し、独自の進化を遂げた八澄家の陰陽道を【陰陽八道】と言います」
「【陰陽八道】……」
「八道とは元々儒教における教えの中の最も重要な概念である〝八徳〟の事を言います。〝仁〟、〝義〟、〝礼〟、〝智〟、〝忠〟、〝信〟、〝孝〟、〝悌〟がそれに当たります」
「全部で八つ……」
涼香がその数を数えていた。
「それらは人の最も純粋な、澄んだ部分の象徴」
「だから〝八澄〟?」
「その通りです」
ただ谷曇の分家だから似た名前が与えられていたのだと叢丞は思っていた。
「中でも〝仁〟は八つの徳目の内でも最高位として扱われます。そして八澄の当主はその〝仁〟を会得することを一つの条件としています」
「会得と言われても、それはしようと思って出来るものなのですか?」
「そうですよ、母様」
ふっと笑い颯季は続ける。
「そうですね、しようと思っても出来ないでしょう」
「ではどうやって?」
「八澄の人間は生まれた時から既に会得しているのです」
「生まれた時から……」
「母様、私もですか?」
涼香が興味津々に訊く。
「ええ。あなたは〝悌〟でしょう」
「〝悌〟とはどんな徳なのですか?」
「兄や姉などの年長者を敬う心のことです」
颯季は苦笑しながらそう教えた。
「それは実に私にぴったりですね」
涼香は満面の笑みで叢丞を見た。
「僕は敬われるような人間なのかな」
「兄様は少しご自分を卑下し過ぎです!」
涼香が少し怒ったように言ったのに叢丞は驚いた。
「それは私も思いますよ、叢丞」
「母上……」
「〝仁〟の心を持つ貴方は例え霊能の〝力〟が無くても、立派な八澄の当主候補なのですから」
「僕が最高位の徳である〝仁〟の心の持ち主……?」
「他者を慈しみ、思いやる心。あなたにとてもお似合いだと思いますよ、叢丞」
「涼香もそう思います」
涼香はまるで疑うことなく言い切った。
「兄様はいつも涼香に優しいです」
「そうですね。もっとも叢丞の場合は人に限らず動物達をも慈しむ大きな心を持っているようですから」
「母上まで……」
そこまで言われ叢丞は少し面映かった。
「そうして〝仁〟の心を持つ者の周りに、徳を持った者が自然と集まってくる」
「僕の周りに?」
「そして八人が揃うと乱が起こるとも言われています」
颯季の表情が剣呑なものへと変わる。
つづく




