巫女と護衛後日談~そして、花が降る日~
白い花が降っている。
ひらり、ひらりと、雪のように。
あとからあとから舞い降りるそれは、すべてを白く覆い尽くすかのようで。
花が降っている。
うちは、まあどこにでもあるような普通の家族だと思う。
両親と弟、妹、そして一番上になる長男である自分。
年のちかい三人兄弟ともなれば、まあ賑やかなこと煩いこと。
特に下の弟妹たちは気が付けば喧嘩ばかりで喧しいことこの上ない。仲裁に入るのは長男の自分の役目で、弟妹たちの泣き声を聞くと、条件反射でああまたかとうんざりもした。
それでも泣き声を聞けば放ってはおけず、泣いている方を宥めすかし、泣くもんかと口を引き結んでいる、あるいは不満を一杯溜めた目で唇を尖らせている方の話を聞いてやる。
弟妹たちがある程度大きくなって、喧嘩をしないでいられる距離を身につけるまで……それは自分の日常茶飯事だった。
けれど、いくら日常の事だと言っても、日々繰り返されるそれに心底うんざりする時だって、ある。
ちょっと疲れていたり、嫌な事があったりなど、色んな事が積み重なっていた時。
いつもなら気にせず流してしまえることでも、妙に苛々してどうしても駄目な時はある。コップになみなみと注がれた水が、ほんの一滴、滴が落ちたことで、容易く限界を超え、溢れだしてしまうように。
そんな時、決まって母は笑って自分を抱きしめた。
いつもありがとうね、でも、いつも“お兄ちゃん”をしなくてもいいのよ、と。
悪戯をした時なんかは、そりゃあ怖い顔で叱る母だったけど、そんな時抱きしめてくれる腕は優しかった。
ただ。
その時強い視線を感じて顔をあげると、そこには必ず眉間に皺を寄せてこちらを見ている父がいた。
泣く子がさらに泣きだすような、いわゆる強面で威圧感がものすごい父だが、母いわく“顔が怖いだけ”の父は特段乱暴でもなければ言葉が荒いわけでもなかった。ただひたすら顔が怖い。
流石に家族である自分たちは慣れていたけど、ご近所さんもつきあいを続けていくうちに慣れてくれたけど、初めのうちやあまりよく知らない人からは、父は遠巻きにされていた。
またあんたの母さんがこれまた若く見えるし、実際父さんとは年が離れているだろう?
おまけに小柄だしねえ、この街へ来るのには関所を抜けるんだけど、そこで騒ぎになったって今でも語り草だわよ。
ある時、近所のおばさんが笑いながら教えてくれた。
関所で騒ぎってなんだろうと嫌な予感はしたものの、好奇心には勝てず続きを聞いて……聞くんじゃなかったと後悔した。
あんたの父さん、ここへ来るまでは用心棒みたいな事してたらしいんだよね。
体格はいいわ目つきは 鋭いわ、そんな男がだよ、ほんの娘みたいな子連れてちゃ、関所の連中も不審に思うだろう?どういう関係かを聞いたらしいんだよ。そしたらあんたの母さん、このひと、わたしのご主人さまですって答えたそうだよ。
旦那さまとか夫とかって答えてたら、ちょっとは違ったのかねえ……いやどのみち驚かれたろうけど。まあ、すわひとさらいか人買いかって大騒ぎになるところだったらしいよ。
光景が目に浮かぶようだった。
父は、まあ今もあの通りで、昔もあの通り。そして母も、今も昔も変わらないのだろう。笑いながら無邪気に、時として驚くことを言ってのける。聞く方は唖然とするか度肝を抜かれるか、驚いて力なく項垂れるか、だ。
もちろん、それは間違いじゃないんだけどねえ、あの場じゃあんたの父さん、人買いに間違われても無理ないわねえ。
人ごとだからって笑いながら言わないでほしい。
がくりと肩を落としていると、おばさんは更に追い打ちをかけてきた。
この街に来たら来たで、うちの息子があんたの母さんに一目ぼれしてねえ……ま、すぐあんたの父さんに追い払われてたけどね、あれも莫迦なんだか、しばらくあんたの父さんたちが夫婦っての、理解出来なかったみたいだよ……ま、神経が太いのかなんなのか、あんたの父さんに睨まれても結構長い間あんたの母さんにまとわりついていたっけねえ。
へえ、とおばさんの息子……年の離れた幼馴染の顔を思い浮かべた。
そういえばと思い当たる。何のかんのと母の気を引くような事をしていたし、いつだったか母によく似た自分の顔をしみじみと眺めて、残念だと呟いていたっけ。
お前が女だったらなあとか言っていたような覚えも、ある。
呆れるような何とも言えない気分になった。そうして思い出す。
幼馴染が母にまとわりつくたびに、父が威嚇というか……気の弱い人間なら、その威圧感で泣くのではと思うくらいの……で、追い払っていたなあと。
うわおじさん怒ってるねと言いながらも、おばさんのいうとおり神経の太い幼馴染はたいして怖がりもせずに笑って逃げ出していた。
その幼馴染の父親は、父の仕事を手伝ってくれているので、結局は家族ぐるみでの付き合いがある。
父の仕事、というか、父の実家から引き継いだ仕事というべきだろうか。
父の実家というのは古くから続く家柄で、任されている領地も広いのだという。そして父は母と結婚したのを機に、今自分たちが住む土地を治める事を任されたらしい。
けれど、もともとこの土地は父の実家が信頼できる人を遣って治めていた土地だったという。父としてはうまくいっているものを、自分が口を挟めば上手く回らなくなるだろうと、何かあった時の責任を取る立場にはいるものの、実際の仕事は今までどおり人に任せている。
この、実際に土地を治めているのが、幼馴染の父親なのだ。
そして幼馴染の父親と父は、昔からの知り合いだそうだ。
ここで会うとは思わなかったよと、幼馴染の父親は笑っていた。
笑うと目が線のように細くなるおじさんは、見た目は頼りなさそうなのだが実際はとんでもない遣り手だと思う。
父の威圧感たっぷりの視線もどこ吹く風と受け流し、この仕事はお前に任せたはずだとか文句を言う父親には、一応でもご領主さまの仕事でしょうがと仕事を振り、父の威圧感が役に立つ場面……たとえば下らない言いがかりをつける輩が出た時など……には容赦なく父を駆り出していた。
父の事が怖くないのかと聞いたことがある。
自分たち(母をのぞく)でさえ、本当に不機嫌になって眉間に深い皺を刻んでいる父は怖いことがあるのだ。
するとおじさんは細い目をさらに細くして答えた。
前よりわかりやすいし、なんで不機嫌になるのかも分かっているから、怖くはないねえ、と。
わからなくて首を傾げていると、おじさんはそのうち分かるとまた笑った。
ああいう奴だとは思わなかったけどな、お前もそのうち分かるかもしれないよ。ああでも、顔だけでなく中身も母さん似だったら、分からないかもなあ。
ふうんと自分はますます首を傾げる。
おじさんが何を言いたいのかさっぱり分からない。それに確かに顔や体格は母さん譲りだけど、中身は違う……と思いたい。
おじさんは何かを思い出すように喉の奥で笑った。
お前の父さんにさ、奥さんだってお前の母さん紹介された時、驚いたのなんのって。思わず叫んだもんさ。お前、幼女趣味だったのかって……って、 何するんだっ、痛いじゃないか。
おじさんは叩かれた頭を押さえて後ろを振り返る。
そこには拳を作ったおばさんが、呆れた顔をして立っていた。
子どもに下らないこと言ってるんじゃないわよ。まったく。
だってさ……とおじさんは唇を尖らせておばさんに抗議しかけるが、おばさんは容赦なくおじさんの顔を手のひらでべちりと叩く。
あれは痛いだろうなあと、内心で手のひらを合わせておいた。
だが、しかし。ばっちり聞こえてしまった。
……幼女趣味、って。いや、それはおじさんの誇張だと思いたい。
思うに、父は母の関心がこれ以上他に向けられるのが嫌だったのではなかろうか。
父には領主としての役割と、この地の神殿の責任者としての役割があった。神官でもない父に何故その役目が振られたのかは、当時は分からなかった。
ご神体を祀るものとしては規模の小さい神殿で、仕える巫女や神官も殆ど居ない、異例と言えるものだった。訪れる人のために体裁を整えたり、雑務をしたりするための人は雇っていたし、自分たち兄弟にとって、そこは遊び場みたいなものだったから、当時は疑問にも思わなかった。
自分たちが知る神殿とは、そういうものだったから。
その神殿で、母は唯一の巫女だった。
多くの場合、巫女をつとめられるのは未婚の間だけなのだが、母は例外だったらしい。時折請われて魔封じや魔除けのためにも出かけていた。
その時は必ず父が母について行っていた。
今でも思い出す。
ご神体が納められた大きな箱の前で、佇む母の横顔。
ぬくもりのある木の箱を撫で、何かを小さく呟いていた。
そのご神体のある部屋には、母と……自分以外は入ることが出来なかった。
兄さん、ずるい。わたしだってそこに入りたいのに。
いつだったか妹が不満げに口にした。
どうやっても、妹と弟は、その部屋に入ることは出来なかった。
見えない壁ではじかれる様に、母と自分以外を拒んでいた。その理由を、二人は長く知ることが無かった。理由を知っていたのは、母と父だけ。
理由を知らなくても、自分は何故入ることが出来ていたか、気付いていた。
“目”を凝らせばすぐに気付く。母には“徴”があった。その“徴”から感じる光は、ご神体から感じ取れるものと、同じだった。
だからこそ、母はご神体の傍に行けるのだろう。そしてそれは、自分にもあったのだ。
何故兄弟たちには“徴”がなく、母と自分だけにあるのか。
理由を知らされた時は戸惑い、途方に暮れ、そしてとんでもない約束をした母に怒りさえ感じた。衝動的に家を飛び出してしまった。
それでも、他に行くあてなどなく、家に戻った自分を待っていたのは、父だった。
あの話を聞いたのか。
そう尋ねた父に、頷くことで答えた。
すると父は、約束はあれがしたものだ、お前が縛られることはない、好きにすればいいと言う。驚く自分に、父は続けた。
約束を果たす前に、あれの血が絶える結果になるかもしれない。先の事はわからないのだから、と。
それに対して、自分は答える言葉を持てなかった。
母とろくに話もせず、前から行くことが決まっていた、中央神殿へと出発した。
神官としての修行のためだった。そこで、父や母を知っていた人にも会い、一人前になるころには、数年が過ぎていた。
そうして家に戻ってきて、自分がまず行ったのは神殿だった。
母がかつて約束をした、末神さまが眠る神殿。
そのご神体を祀る部屋に、母はひとり佇んでいた。
目を伏せて、指先で大きな箱を撫でている。
ほんとうにね、わたしが待てたなら、よかったのに。
呟く母の体を包み込むように、ぼうっと淡い光が立ち上る。
末神様は長い眠りについておられるという。けれど、時折眠りが浅くなるのか、もしくは夢を見ているのか……かすかに気配を感じることが、ある。
この時もそれを感じた。それと同時に、今まで感じることの出来なかった微かな揺らぎさえも。
それを読み取ってしまった瞬間、ため息をつきたくなった。仕方ないなあと諦めてしまった。
あんな寂しそうな気配を感じたら、もう仕様がない。
もしかすると、母もそう思ってあんなとんでもない約束をしてしまったのだろうか。
ただいま、と母に声をかける。母ははじかれたように顔をあげて、そして変わらない笑顔を自分に向けた。
おかえりなさい、そう言って。
神殿の脇に立つ鐘楼は、街を眼下に見下ろせる。
その鐘楼の天辺に登り、けれど自分がしたのは眼下を見下ろすことではなく、空を見上げることだった。
青い、どこまでも晴れた空が頭上に広がっている。
その空の遥かな高みから……白い花が降っていた。
街中を覆いつくすように降るそれは、けれど人の目には触れない。
手で触れることも出来ない。
それを目にし、触れることが出来るのは……自分と父だけだった。
母の心の大きい部分を占め、それゆえに父が厭うた存在は、母を送るにあたって地を覆い尽くせと言わんばかりの花を降らせた。
あとからあとから絶え間なく降るそれは、雪のようにも見えた。
しかし、それを目に出来るものは自分と父だけだ。
父は降る花を見て、これでもう、手の届かないところへ行ってしまったなと寂しそうであり、どこか満足げにも見える顔で呟いていた。
そうして花の降る中、自分に背を向けてどこかへ歩いて行った。
その背にいつも揺れていた、綺麗に編まれた髪の毛は、ない。
首の後ろの辺りで、断ち切られていた。
自分はこうして鐘楼へと昇っている。
花は降りやまない。
自分たち以外には、見えない花。
それは分かりやすい奇跡などでなく……手向けのようでもあり、涙のようでもあった。
仕方がないなと心の中で呟く。そして、これから生まれるだろう、自分から繋がる者たちへ、済まないとも。
約束はいつ果されるのか、どのような形であれば、それは果たされた事になるのか、そもそも、約束が果たされるまで、母の、そして自分の血筋が続いて行くのか、分からないけれど。
いつか見た“夢”が、本当に起こる事かも、わからないけれど。
母のした約束を、自分は引き継ぐことにする。
その約束を破るも続けるも、決断するのは自分の子であり孫であり……子孫であると、すべてを後の世代に委ねる事にしたのだった。
花が降っていた。
しろい白い花は、どこまでも真白く。
花が降っていた。
END
【後書き】
ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。
考えていた話の、前日譚として思いついたのが「巫女と護衛」第一話でした。
第一話部分のみで終わるはずが、気がつけば五話まで書いていました。
そうして更には後日談まで。
後日談は、子孫話に繋がる部分を書いておきたいと思ったので、それまでと少し雰囲気が違うかもしれません。
他にも書こうと考えていた話はあるのですが、このあたりで一区切りにします。
今回書けなかった部分……末神様のほのぐらい呟きは、子孫話へ回すことが決まっているのですが、旅をしている二人の話や、エルさんが怒る話など、いつかひょっこり書いているかもしれません。
もし見かけたら、その時はまたおつきあいいただけると嬉しいです。
お読みいただき、ありがとうございました。




