第二十一話 道家を演じたバカの素顔
涙はとうに枯れ、敗者が吐き出せるのは感情だけ。悲嘆が消えるとなんだかバカらしくなってきて笑みが溢れた。一通り感情が一周するとようやく身体が冷えてきて、思考も視界もはっきりとしてきた。
思えば自分はこの学園を去るつもりだった。長い長い逃亡期間になるからと旅の準備をしてきたのが功を奏し、頬を拭うくらいのタオルは持っていた。その間、他の四人は静かに見守ってくれたものの、わたしが落ち着きを取り戻したと見るや否や間髪入れずに鷺谷が声を上げた。
「そろそろ話に参加してもよろしいですかね」
さて、どうしたものか。責任の所在は兎にも角、真実の秘匿は継続されるべきだろう。無闇矢鱈に世間に広めたところで日常が混乱に陥るだけなのは目に見えていた。
「鷺谷委員長なら問題ないでしょう。友達に迷惑をかけた以上は自分の口で説明しなさい」
えっ。この人は特に友達とかそんなのではない、と、本音を言いかけたのだが、鷺谷からどんよりとした空気を読み取ったので口を閉じた。
胸に手を当てて、これまでわたしにしてきた仕打ちを思い出してほしい。あの逃亡劇で友情を育んだと思うならお門違いである。ま、ここでシロクロはっきりさせるのも面倒だ。ここは寛大な心でギリギリ「友人」判定にしておこう。
「構いませんよ。ならどこから話しましょう。まずは『居眠り姫』と『生真面目委員長』の昔話から——むぎゅ」
リクエストにお答えしてせっかく昔話をしようと思ったのに、俊敏なカナちゃんによって口を塞がれてしまった。
「榎本先生と巴さんとあなたに何の関係が」
「む、むぐぅ」
「『その方が見栄えが良くなるから』、ですって!」
「よく要約できたわね。なら二人がいないところでじっくり教えてもらいましょう。ぜーったいに聞かせてもらうから、今日みたいに逃げないでね」
「ふ、ふぁい」
「『イエッサー』」
「そこは私にも理解できた……で、あなたにも一言言わせてくれない? いくらなんでも逃亡の手助けをしようだなんて無茶しすぎ。結果的にうまくいったからいいものの、簡単に宝物を渡してはいけません」
「はぁい」
「まぁまぁ、今日はもう遅いし明日も早いし、宿舎に戻って休みましょう。お説教は明日、カナちゃんがやってくれるでしょう」
「というか、『居眠り姫』と『生真面目委員長』で言い当てられるのは釈然としませんね」
結局この場は疲れたから休むという単純な理由でお開きになった。わたしたちは『トライアンフ・ロッド』に別れを告げて講堂を離れた。
でも、わたしの計画に穴はなかったはず。警備を掻い潜って講堂まで辿り着いたのが何よりの証拠。どうしてこんなに早く見つかったのか冷静になった今でも不思議だった。
「あなたが部屋にいなくて探そうとしたらメッセージが送られてきたのよ。『赤毛ちゃんが講堂に忍び込もうとしてる』って」
「まさか理事長?」
「明日、直接本人に謝りなさいよ」
どうやら箱庭の主人には全部お見通しだったようだ。そういやあの人、暇な時間は聖峰の防犯カメラを見ている変人だった。現場主義のあの人のことだから学園のことも武器のことも、大切なことは全部部下に託したのだろう。実にあの人らしいし、その選択は正しい。
もしもあの現場に駆けつけたのがカナちゃんではなく理事長だったら、有無を言わさず積年の恨みに則って『トライアンフ・ロッド』を振り下ろしていた。学園への入学を許可してくれた恩があるとはいえ、必死に隠している秘密なのに平気で「赤毛ちゃん」と呼ぶ神経だけは理解できない。昔からずっと苦手だ。
各々が話したいこと訊きたいことがあっただろうに、それから宿舎までの道のりは無言。今日まで引きこもりに徹していたから見慣れないテントやら案内板やら、日常の些細な変化が目についた。明日になれば学園中が賑やかに包まれる。熟睡できる時間はそう残されていないだろう。
「あの」
説教は明日に持ち越されたとはいえ、このままでは心はスッキリしないからもう一度謝ろうとした。いざ沈黙を破ってみたけれど次の言葉に詰まってしまう。言わなきゃいけないことはたくさんある。なのに思考が混戦してしまって言葉が出せなかった。
「話せないなら無理に言わなくていい」
鷺谷の助け舟に頷くことしかできなかった。それから四人に頭を下げてエレベーターに乗り込み、もう二度と戻ってこないと覚悟していた自分の部屋に帰投した。宿舎が騒ぎになってないところを見るに、どうやら他の誰かには見られていないようで安心した。部屋の扉を閉めると同時に自然と安堵のため息が漏れた。
開けっぱなしの窓辺から夏の夜風が吹き荒ぶ。目を閉じれば昂った気持ちも和らぐ心地よい室温。シャワー室からはほんのりとスパイシーな香りが漂ってきて、さらに目を開けば机の抽斗が床に転がり、ぐしゃぐしゃになったベッドがある。見るに耐えない惨状に目を背けたくなるも、これが人を不安にさせた罰だとしたら安いもの。パニックになるのもわかるけど、さすがのわたしでもカレーを放置したまま、どこかに行こうとは思わない。
◇
静かな夜だった。こんな夜は聖峰に来てからは初めて。こう思えるようになったのも心に余裕ができたからかも、なんて。わたしも一応は女子高生で浪漫に焦がれることもある。こう思えたらロマンチストだっただろうが現実は残酷で、ただ単に部屋を留守にしていたから知らなかっただけ。もしかするとこんな夜はいつものことなのかもしれない。
思えばわたしは自分の役割に徹してしまって周りのことはほとんど知らない。まさかマナがあんなことを思ってたなんて知るはずもなく、先ほどのことを反芻しながら鏡面の自分と向き合った。
「これが道化を演じてたバカの素顔か」
明日は式典。早朝から式典があることを、もしくは強制出席を除けば、戦いの終結を祝うめでたい一日になる。早く寝なければならないのだが、どうも今日は眠たくならない。
それもそのはずだ。だってこの一週間、ずっと部屋に篭っていたんだ。休むどころか体力は有り余っている。夜食を済ませたら元気も湧いてくる。部屋の片付けをしたっていいけれど、寝静まった時間に動いては周りの迷惑になる。だから面倒ごとは全部明日に丸投げした。
体力と元気と冴え切った頭脳と相談した結果、今日も今日とて夜の散歩に出かけることに。本日二度目、通算何度目かもわからない脱走にはもう罪悪感なんぞ微塵もなかった。
月が統治する世界にもいよいよ夏がやってきた。こうなると過ぎ去る月日の早さを感じざるえない。この学園で過ごす夏は三度だけ。たった三回、されど三回。きっとひと月後のわたしは連日の猛暑に辟易するのだろう。でも夏はいずれ終わって季節が巡り巡る。三回目の夏が終わる頃にはわたしも大人にならなくちゃいけない。そう思うと子供でいられる猶予は想像以上に少ないのかもしれない。
これからわたしはこの学園でどうやって過ごしていこう。高校生でキャラ変なんて漫画の世界だけだとバカにしていたら、まさか自分に最初で最後のチャンスが来るなんて想定外。普通の女子高生ってどんな生活をしているのだろう。というかどうやってこの魑魅魍魎とした青春の中で呼吸しているのだろう。この複雑乙女模様をもしも解き明かすことができれば、ノーベル生理学医学賞か平和賞くらいは取れそう。ひょっとするとダブル受賞も夢じゃない。
そんな野望を叶える一歩としてまず、話を訊くだけ訊いてみようか。
「悩める子羊に学生生活のいろはを教えてくれませんかね。コソコソ隠れてるそこのお二方」
もう普通を演じる必要はないから遠慮なく魔法を多用していく。まして秘密を共有した二人の前なのだ。へたくそな尾行へのダメ出しも兼ねて炙り出してみた。
すると観念したのかガソゴソと物音を立てながら二人が姿を見せた。気まずそうに笑うマナと口先を尖らせる鷺谷が実に対照的だった。言わんとしてることはわかる。わかるのだけれど追いかける方にも呆れてしまう。
「今日は大人しくしてると思ってたのに、鷺谷委員長の予想どおりになりましたね。未来視してません?」
「行動パターンが単純なだけ。大方、寝付けなくて身体を動かしにきたんでしょう」
「そこまでわかってくれてるなら大目に見てくれません?」
「風紀委員長が規則違反を見逃すと思って?」
「なら、隣のちびっこも捕まえないと不公平ですよね」
水を向けてみると、にへらと愛想笑いで必死に誤魔化そうとするマナ。思わぬ形で増えた敵に思わず同情してしまいそうな重いため息をつく風紀委員長。今回、どちらの監督行き届きなのかと問われたら愛想笑いを教えたわたしだろう。
そのまま足を動かせば後ろの二人は勝手についてくる。今日のところは見逃してあげる、とでも言いたげな風紀委員長の監視のもとで、わたしは今日も今日とて摩天楼へと向かう。
「勘違いしてるかもしれないけど、生まれつき体質がレリックに近いだけ。わたしは魔法少女でもなんでもないから」
これは摩天楼に到着するまでの細やかな弁明だ。
「むぅ、つまんないの」
マナは口先を尖らせる。わたしが魔法少女なんて面倒。真っ平ごめんだ。
「こんな体質だから魔法に長けているだけ。やろうと思えば『透視』だけじゃなく、あなたのその懐中時計で空も飛べる」
「つまりやる気次第であの外套の魔法も引き出せると?」
「……頼まれてもやりませんよ? あの鍵みたいに壊したらどうなることやら」
時計塔の地下にある教室を発見する際、倉庫で見つけた鍵を使って隠し扉を開こうとした。あの時鷺谷はわたしが乱暴に扱ったから壊したと激怒していたが、これで納得してくれただろうか。
かたやもう一人は天下の風紀委員長を真似するがごとく、ジィッとわたしの目を見つめたまま、まーだ誤解しているみたい。まったく、しょうがない。
「何度もでも言うけどわたしは普通の——ちょっとばかり魔法が得意なただの人間。だから魔法少女の弟子と上下の関係はない。だからその……」
うぅ、やっぱり恥ずかしい。心を入れ替えたって素直に感情を吐露するのはまだ慣れてないんだ。一度は言葉が頭に浮かんだものの、自分には似合わないので引っ込めよう。
「ほぉら、いい加減素直になりなさい」
学園の悪事をくじき弱気を助ける風紀委員の長とあろうお方が、積年の恨みといわんばかりにシニカルな笑みを浮かべた。こういう意地の悪さが学園の平和に繋がっているのかもしれない。ぽかんとしていたマナも鷺谷の横槍で目を輝かせる。ぐっ、もう逃げ道はないようだ。
これがわたしに課せられた罪だとしたら、とんでもないっ、罪が重すぎる! こんなの即刻控訴だろうに、不運にも近くに裁判所がなかった。
「わたしたちを隔てる壁はない……から、その、今までどおり友達でいてくれる?」
感情を押し殺したのに声が上擦ってしまった。揶揄われるかもしれないと身構えたが、返事は物理的な重みと体温で返ってきた。これには危うく転びかけた怒りも引っ込んでしまった。
「——ごめん、二人に迷惑かけた」




