最終話 終着駅の灯(あか)りと、永劫の規格
十年の歳月は、石炭の黒い煤を、電気の白く澄んだ光へと洗い流した。
王都ルンデルの中心にそびえ立つ「ルンデル中央駅」。
かつてアルデンが設計した煉瓦と鉄の駅舎は改装され、巨大なガラス張りのドームの中には、大陸中から集まった数万人の旅客が行き交っている。
そして、その天井を照らしているのは、煤气ランプでも、煤を吐く松明でもない。
フィラメントが橙色に輝く、「白熱電球」の灯りだった。
「——次発、大陸横断特急『黎明号』、西の終着駅・オスティアへ向けて発車いたします」
構内に響くアナウンス。
ホームには、流線型の鋼鉄で覆われた巨大な電気機関車が、静かな、しかし力強い唸りを上げて停まっている。
もはや石炭を焚く必要はない。大陸を縦断する送電網と、規格化されたレールが、この怪物に無限の命を与えているのだ。
***
駅舎の二階、貴賓室のバルコニー。
二十七歳になったアルデン・ヴェラムは、仕立ての良いダークスーツに身を包み、窓の外を行き交う人々を見下ろしていた。
彼の左肩には、十年前のトンネル内で受けた剣傷の跡が、服の上からでも微かに分かるほどに残っている。
かつての「泥にまみれた辺境の少年」の面影は薄れ、今や彼は、大陸の「規格」と「光」を握る帝国の王配として、世界中から畏敬と嫉妬の眼差しを向けられていた。
「……相変わらず、貴方は人の顔より『時刻表』や『配電図』を見ている時の方が楽しそうね」
背後から、優雅な、しかしどこか呆れを含んだ声が掛かった。
三十一歳になったセラフィナ女王が、絹のドレスを揺らしてバルコニーへと出てくる。
彼女の美貌は、二十歳の頃の鋭いだけのそれとは違い、大陸の頂点に立つ者特有の、深く、そして温かい威厳を湛えていた。
「陛下。時刻表は嘘をつきませんから。
人間は感情で約束を破りますが、齿轮とダイヤグラムは、私が設計した通りにしか動きませんので」
アルデンが振り返り、小さく微笑んだ。
セラフィナは彼の隣に立ち、電気の光で輝く王都の夜景を見渡した。
「見てちょうだい、アルデン。
十年前、貴方が『いつかこの煤煙を光に変える』と言った時、議会のだれもが貴方を狂人だと思ったわ。
でも……貴方は本当に、夜空の星を地上に引きずり降ろしてみせたのね」
「私一人の力ではありません。
バルタザールは三年前に亡くなりましたが、彼が残した『タービン』の設計図が、今の発電所を支えています。
モリッツは鉄道公社の総裁になり、カイル兄上は元帥として、国境ではなく『治安』を守っている。
そしてリラは……おそらく今頃、この駅の電信室で、大陸中のスパイたちの交信を盗聴して笑っているでしょう」
アルデンは、自分の手のひらを広げた。
かつてインクと泥で汚れていた手は、今やペンを執り、王配としての印章を押す、滑らかな手になっている。
「私はただ、彼らの『情熱』という名の燃料を、正しい『規格』のエンジンに注ぎ込んだだけです」
***
「パパ! ママ!」
貴賓室の扉が開き、五歳になる皇子が、乳母の手を振り払ってバルコニーへと駆け寄ってきた。
彼は、アルデンが自作したという「電池で動くミニチュアの電車」を手に持っている。
「パパ、見て! 車輪が回るよ! でも、どうして見えない線で繋がっているの?」
アルデンは片膝をつき、息子と同じ目線に合わせて、優しく諭した。
「これは『回路』と言うんだよ。
目には見えないけれど、銅線の中を『電子』という小さな粒たちが、リレー走者のようにバトンを渡しながら走っているんだ。
彼らが協力して走るから、この大きな駅も、そして大陸の夜も、明るく照らすことができる。
……いいかい。世界を動かしているのは、魔法でも、神様でもない。
目に見えない『繋がり』と、誰かが引いた『正しい道』なんだよ」
皇子はきょとんと首を傾げ、そして嬉しそうに電車を走らせた。
セラフィナはその光景を優しく見守り、そしてアルデンの肩にそっと手を置いた。
「……貴方、子育てまで『物理法則』と『インフラ』で説明するのね。
あの子が将来、王として恋に落ちた時、どんな求婚をするのか、今から心配だわ」
「心配いりませんよ、陛下。
あの子は、私よりもずっと良い『規格』を見つけるでしょう。
なにせ、あの子の母親は、泥沼の中で私に『世界を変えろ』と命じた、大陸で最も素晴らしい女性ですから」
セラフィナの頬が、微かに赤らんだ。
彼女は咳払いをし、そしてアルデンの腕をしっかりと組んだ。
「……本当に、愛想のない男。
でも、それが貴方の『規格』だから、私は一生付き合ってあげるわ」
***
やがて、発車のベルが鳴り響いた。
大陸横断特急「黎明号」が、静かに、しかし確実にホームを滑り出し始める。
かつて、馬と剣で数ヶ月かかった大陸の端から端までを、この列車はわずか三日で結ぶ。
国境にはもはや関税の壁はなく、ただ「ヴェラム標準」のレールと、電信の铜線が、大陸を一つの「巨大な工場兼市場」として縫い合わせていた。
戦争はなくなった。
なぜなら、戦争をするよりも、互いの「規格」に組み込まれ、富を分け合う方が、遥かに合理的だからだ。
アルデンが生み出した「資本と産業の怪物」は、セラフィナの「法と倫理」という鎖によって手懐けられ、今や人々に「夜を照らす光」と「飢えない明日」を運び続けていた。
「……アルデン」
列車が遠ざかっていくのを見ながら、セラフィナが静かに呟いた。
「私たちは、正しかったのかしら。
古い世界を壊し、神を帳簿に閉じ込め、人々を歯車にした。
歴史は、私たちを『救世主』と呼ぶのか、それとも『独裁者』と呼ぶのか」
アルデンは、夜空を見上げた。
かつて煤煙で隠されていた星々が、今は澄んだ空に瞬いている。
「歴史家が何と書こうと構いませんよ、陛下。
大切なのは、あの列車に乗っている平民たちが、明日の朝、温かいパンを食べ、電気の下で本を読み、そして誰も飢え死にしないということ。
……それが、私が十六歳の時、泥の中であなたと交わした『契約』の、唯一の証明ですから」
セラフィナは微笑み、アルデンの頬にそっと口づけを落とした。
「ええ。契約は有効よ、私の共犯者。
——更新料は、貴方の残りの一生で払ってもらうわ」
「承知しました。利息込みで、お支払いしましょう」
白熱電球の光が、二人の影を長く、そして温かく床に落とす。
泥と血の時代は遠い昔に過ぎ去り、黄金の呪縛も解き放たれた。
今はただ、銅線の中を走る光と、鉄のレールを叩く車輪の音が、永遠に続く明日を奏でている。
少年と少女が泥の中で夢見た「誰も飢えない世界」は、今や大陸の隅々までを照らす、消えることのない「規格」として刻み込まれていた。
(全編 完)
こういう話を書くのは苦手なので、諦めてしまいました。最後に、おそらく私が選んだであろう結末を書きました。これからは、もっと自分のスタイルに合った作品を書いていこうと思います。ありがとうございました!




