第二部 第13話 煤煙の裏側と、歯車たちの反乱
繁栄の影は、光が強いほど濃くなる。
王都ルンデルの東側、通称「煤街区」。
かつて小麦畑だったこの土地は、今や無数のレンガ造りの工場と、そこから排出される黒い煙に覆われ、昼間でも太陽の光が遮られていた。
道端には、石炭の粉塵で黒ずんだ咳をする子供たちと、一日十四時間の過酷な労働で手足を失った労働者たちが座り込んでいる。
「……これが、私の『設計図』の結末か」
粗末な外套で顔を隠したアルデンは、路地裏の光景を見つめ、拳を握りしめた。
彼が大陸を屈服させるために生み出した「規格」と「大量生産」。
そのしわ寄せは、最も弱い「生身の部品(労働者)」たちに集中していた。
「アルデン様。おやめください。これ以上奥へは」
護衛のモリッツが諫めるが、アルデンは首を横に振った。
「見なければならない、モリッツ。
私が作った怪物が、どれほどの血を啜っているのかを。
……これが、オルヴァーネを倒した『正義』の代償だというなら、私はとんだ詐欺師だ」
***
翌日。王宮の大会議室。
ヴェラム王国の新たな支配者たち——石炭王、鉄鋼王、そして紡績工場を束ねる「産業ギルド」の代表たちが、円卓を囲んでいた。
彼らは、かつての貴族たちよりも傲慢で、そして貪欲だった。
「——陛下、そして王配殿下。断じて反対いたします!」
工場主連合の代表であるグロスター男爵が、机を叩いて立ち上がった。
彼は平民出身だが、アルデンの技術とセラフィナの庇護のもとで巨万の富を築いた新興資本家だ。
「『工場法』の制定? 児童労働の禁止と、一日十時間労働の義務化だと?
ふざけるな! 大陸諸国が我々の『規格品』を必死に模倣しようとしている今、生産コストが上がれば、我々の優位性は失われますぞ!
それに、あの労働者どもは我々が拾ってやらねば道端で餓死していた身。文句があるなら、工場を辞めて野垂れ死にすればいいのです!」
他の工場主たちも、口々に賛同した。
彼らにとって、アルデンは「富をもたらしてくれた神」であると同時に、もはや「自分たちの利益を邪魔する厄介な王族」へと変わっていた。
セラフィナは玉座から、冷徹な瞳で彼らを見下ろしていた。
「……グロスター。貴様らは勘違いをしているようだな。
私がここへ呼んだのは、貴様らの『許可』を得るためではない。『通告』するためだ」
「なっ……陛下! 我々がいなければ、ヴェラムの産業ポンドなどただの紙切れですぞ! 我々が工場を止めれば、国は——」
「止めてみろ」
静かな、しかし氷のように鋭い声が、会議室に響き渡った。
アルデンが、机の上に一枚の書類を滑らせた。
「それは……!?」
「これは、来月から王立特許庁が施行する『新・技術ライセンス契約』の改定案だ」
アルデンは椅子から立ち上がり、ゆっくりと資本家たちの間を歩いた。
「あなた方の工場は、私の設計した『蒸気ボイラー』と『施条加工機』の特許なしには、一日たりとも動かせない。
その更新条件に、私は一つの項目を追加しました。
『王立工場法を遵守し、労働環境基準をクリアした工場にのみ、特許の継続と、次世代技術のライセンスを与える』と」
グロスターの顔から血の気が引いていく。
「つ、次世代技術……だと?」
「ええ。例えば……これだ」
アルデンが壁の幕を開けると、そこには奇妙な銅線の塊と、磁石を組み合わせた図面が掲げられていた。
「『電気モーター』。
石炭を焚く必要がなく、煙も出さず、そして蒸気機関の三倍の効率で織機を回すことができる『新しい動力』の概念図です。
現在、王都の地下でプロトタイプが稼働しています。
……さあ、選びなさい。
古い蒸気機関と、病気持ちの労働者を抱えて破産するか。それとも、法に従い、労働者を『良質な部品』としてメンテナンスし、この『電気』の時代へ乗るか」
会議室は、墓場のような静寂に包まれた。
彼らは気づいたのだ。
アルデン・ヴェラムという男は、道徳や慈悲で語っているのではない。
「疲弊した労働者は不良品を生む。不良品はヴェラムの規格の信用を毀損する。ゆえに、労働者の健康と教育は、国家の『インフラ投資』である」
という、冷酷なまでの合理主義と経済論で、彼らを追い詰めていることを。
「……悪魔だ。お前は、我々の魂まで『規格』にする気か……」
グロスターは震える手で、工場法への同意書に署名した。
他の資本家たちも、敗北感と恐怖の中で、次々とペンを走らせた。
***
その夜。
王宮のバルコニー。
王都の夜景は、いつもと同じように石炭の煙に覆われている。だが、その煙の中には、明日から少しずつ変わっていく「法」と「希望」が混じり始めていた。
「……ありがとう、アルデン」
セラフィナが、バルコニーの石の手すりに寄りかかりながら呟いた。
「私が王として民を救いたいと願っても、資本の壁に阻まれていた。
だが、貴方は『技術』という鞭で、あの貪欲な怪物たちを跪かせた。
……私たちは、自分たちが作った怪物を、自分たちの手で手懐けなければならないのね」
「ええ。陛下」
アルデンは、自分の煤で汚れた手を広げ、そしてセラフィナの手をそっと包み込んだ。
かつて「契約」として結ばれた二人の手は、今や同じ罪と、同じ理想を共有する「真の伴侶」のものとなっていた。
「煙を吐く時代は、まだ終わります。
ですが、私は約束します。
この国の煙が、誰かの肺を壊すのではなく、誰かの明日を照らす『光(電気)』に変わる日まで、私は歯車を回し続けます」
セラフィナは微笑み、アルデンの肩に頭を預けた。
「……ええ。回しなさい、私の共犯者。
貴方が世界を壊すなら、私がその上で新しい世界を建ててみせる。
……私たちなら、できるわ」
夜空に、遠く工場の汽笛が響く。
それはもはや、搾取の音ではない。
古い時代が終わり、人間が人間らしく生きるための「新しい規格」が動き始める、産声だった。




