第二部 プロローグ 灰の記憶と、煙の王国
あの「嘆きの平野」が紅蓮の炎に包まれてから、四年の歳月が流れていた。
エルムフォードの空は、もはや麦の匂いだけではなかった。
石炭が燃える刺鼻な硫黄の匂いと、鉄を叩く耳鳴りのするような轟音が、この辺境の新たな「朝の挨拶」となっている。
「——圧力を上げろ! バルブが悲鳴を上げるまで回せ! あの蒸気の塊を『動力』に変えるんだ!」
工場——いや、かつての領主館の焼け跡に建てられた「第一蒸気鍛造所」の中で、俺は職人たちに怒鳴り散らしていた。
アルデン・ヴェラム。十六歳。
背丈は伸び、顎の線も少しばかり鋭くなったが、相変わらず泥と煤にまみれている。俺は領主であり、そしてこの国で初めての「技師」でもあった。
「アルデン様! 圧力計が赤いゾーンに!」
「構わん! 爆発する寸前が、最も効率がよいんだ!」
シュウウウウウウッ!!
鋼鉄のピストンが唸りを上げ、巨大なハンマーが赤熱した鉄塊を叩き潰す。
ドォン、ドォン、ドォン。
そのリズムは、まるで巨大な心臓の鼓動のようだ。
四年前、帝国の五万の兵士を焼き尽くした「粉塵」と「石炭」。俺たちはその恐怖を、今度は「力」へと変えたのだ。
***
工場の外に出て、煤けた手拭いで顔を拭う。
眼下には、かつて焼き払われたはずの大地が、新しい姿で広がっていた。
黒く焼け焦げた土壌には、四年分の堆肥と領民たちの汗が染み込み、今では大陸屈指の「耐寒性麦」と「亜麻」の産地となっている。
だが、それだけではない。
街道に沿って並ぶのは、帝国兵の兜を溶かして作った「鉄骨」の倉庫群。そして、炭鉱から王都へと伸びる、未完成の「鉄の道」だ。
「……相変わらず、無茶をするな、お前は」
背後から、聞き慣れた、しかし以前より重みを増した声がした。
振り向くと、そこにはカイル・ヴェラムが立っていた。
彼はもう、ただの辺境騎士ではない。ヴェラム王国の「北方方面軍司令官」であり、俺の義兄であり、そしてこの工場の「警備責任者」だ。
「兄上。お忍びで視察ですか? 王都の警備をほっぽり出して」
「セラフィナ……いや、『女王陛下』がな。『辺境の煙が薄くなっている。行って叱ってこい』と」
カイルは苦笑し、そして俺の隣に並んで、工場から立ち昇る煙を見つめた。
「四年か……。早かったような、長かったような」
「ええ。長かったですよ」
俺は手元のメモ帳を閉じ、遠い目をしていた。
***
——この四年間、世界は激変した。
第一年:『灰の再生』
焦土と化した辺境で、俺たちは帝国の残した数十万の「鉄の死骸」を回収した。それを溶かし、農具ではなく「工作機械」の部品を作った。食料支援が途絶える中、領民たちは草根木皮を啜りながら、俺の描いた設計図通り、水車と歯車を組み上げた。
第二年:『王都の粛清と即位』
王都では、国王オズワルド三世が崩御。セラフィナが反対派の貴族を武力と経済的な証拠でねじ伏せ、弱冠十八歳で女王として即位した。
彼女は貴族院を解体し、「能力主義」の官僚機構を設立。俺たちが送る「石炭」と「鉄」を資本に、王都を商業都市へと作り変え始めた。
第三年:『オルヴァーネの牙』
大陸の経済を牛耳るオルヴァーネ商業連合は、ヴェラム王国の「自立」を許さなかった。
彼らは露骨な軍事侵攻を避け、代わりに「関税障壁」と「海上封鎖」を開始した。
ヴェラムの主要輸出品である亜麻や鉄鋼に対する不当な高関税。そして、塩や香辛料、そして「薬」の輸出停止。
王都では疫病が流行りかけ、俺たちは森のハーブと、俺が合成した粗製の「消毒用アルコール」でなんとか凌いだ。
第四年:『煙の時代』
そして今。
俺たちは「農業国家」からの脱却を図っている。
オルヴァーネが商品を売ってくれないなら、自分たちで作ればいい。
蒸気機関による織機、高炉による製鉄、そして火薬を使った鉱山開発。
ヴェラム王国は、大陸で唯一「煙を吐く国」になろうとしていた。
***
「……だが、アルデン。風向きが変わりつつある」
カイルの声が、低く響いた。
彼は懐から、一通の封筒を取り出した。
黒い封蝋。セラフィナからの「極秘」の印だ。
「オルヴァーネが、ついに『直接的な手段』に出たらしい」
俺は封筒を受け取り、その中身を一瞥した。
『南の自由都市群が、オルヴァーネの融資により「対ヴェラム義勇軍」を結成。
その正体は、四年前に国外逃亡した旧ヴェラム貴族たちの私兵と、大陸最強の傭兵団「黄金の獅子」だ。
兵力、三万。大砲五十門。
彼らは来月、南の港「サン・テルモ」に上陸し、王都へ進軍する。
……アルデン。貴方の「鉄の馬車」は、間に合う? ——女王セラフィナ』
俺はため息をつき、そしてニヤリと笑った。
「旧貴族どもが、オルヴァーネの金で雇った傭兵で、自分たちの『特権』を取り戻しに来ると。
四年前の『泥』の戦争では足りず、今度は『金』の戦争を仕掛けてくるとは。懲りない連中だ」
「三万の精鋭と大砲だ。俺たちの民兵と、できたばかりの蒸気機関で勝てるのか?」
カイルの問いに、俺は工場の奥、巨大な布で覆われた「ある物体」を指差した。
「兄上。四年前、俺たちは『地形』を利用して勝ちました。
ですが、これからの戦争は『地形』を『蹂躙』する側が勝つんです」
俺は布を引っ張り、その下の怪物を露わにした。
それは、鉄の装甲で覆われ、煙突から黒煙を上げ、キャタピラではなく巨大な鉄の車輪で地面を噛む「陸上戦艦」——プロトタイプの蒸気駆動装甲車だった。
「オルヴァーネは、『金』で兵士を買った。
だが、俺たちは『技術』で未来を買う。
……兄上、全軍に動員令を。
そして、王都のセラフィナ殿下に伝えてください。
『南の港へ、新しい時代を迎えに行きます』と」
カイルは呆れ、そしてかつてないほど誇らしげに笑って、俺の肩を叩いた。
「……本当に、お前は怪物だ。
いいだろう。その『鉄の馬』の手綱、俺が持ってやろうじゃないか」
風が、煤煙を南へと運んでいく。
泥と血の時代は終わった。
今は、歯車と蒸気、そして煙が空を覆う「産業の戦争」の夜明けだ。
(第二部 開始)




