○忌むべき真実…○
少女は穢れなき真っ白な魂を持つ、愛しい我が子の遺品を抱いて静かに佇む。目の前に広がるのは、地を埋め尽くす、無数の青い炎の墓標。それは地に広がる地獄絵図。しかし、少女は思う。私もかつでこれ以上の地獄をこの地に見たのだと。
「私は幾度となく穢れた魂、そして穢れなき魂を見送ってきたのでしょう。愛しい穢れなき我が子の魂を、見送り続けるのでしょう――……」
その時、風が吹いた。目にすることを許された、特別な風。風は少女の前で微細な糸のようになり、宙に楽譜を描いて見せた。
少女は戸惑った。この旋律は、私の旋律では無い。
そして風は音符を刻み、激しく叫ぶ。それは最後に残された者の、悲痛な魂に叫び。少女にはこう、聞こえた。
お父さん、魔王のささやきが聞こえないの? 魔王が僕を苦しめる――……
それは、シューベルト『魔王』。
熱を出した息子を医者に連れて行くため、息子を腕に抱いて夜の闇を馬で駆け抜ける父親。息子は高熱にうなされ、幻聴に襲われる。風に吹かれた枯れた葉や木々が、まるで魔王の囁きに聴こえるのだ。息子は結局途中で息絶えてしまう。
最後に残された者が、幼き時に、父親が聞くメロディーから流れるその歌詞を、『魔王』を聞き、恐れていたことを思い出したのだ。
何故に風は最後に残された者を震え上がらせるのか。
震え、怯える、最後に残された者をあざ笑うかのように、風は轟音を響かせ、目に映る総ての青い炎の墓標を吹き飛ばした。一変に景色は変わり、その地は紅い絨毯が敷き詰められた。
それは、あの、カラスの王の地、『真実の森』だった。
足下には、無数の罪亡き人の亡骸が横たわっている。この紅い絨毯は彼らの血によって、鮮やかに染められているのだ。紅く染まった空では、冷たい鉄の塊が鳥のように自由に飛び回り、腹を開け、炎を生み出す鉄の玉を無数に落とす。
紅い地では、鉄の塊が轟音を轟かせ、細長い筒から、魂を刈り取る、死と呼ばれる狩り人を送り出す。
少女と最後に残された者は見た。それは遙か遠い昔、自らがその目に焼き付けた光景だった。
すると目の前に、子供の背丈ほどの黒い影が現れた。影には眼球があった。黄金色に輝いている。両の耳は細長く、上へと伸び、七色に輝くブローチを付けた、フード付きの美しい天鷲絨のコートを纏っている。
少女ははたと気づき、手元を確認した。愛した穢れなき我が子の遺品は、いつの間にかどこかへと消え去っていた。
影は少しづつ薄くなる。それは消えかけているのではない。別の色へと、否、別の生き物へと変化しているのだ。本来持つべき、真なる姿へと――……
目は小さく、さらに可愛らしくなり、愛くるしいその瞳は青色に変わっている。耳は小さく顔の横へと短く移動した。頭には、美しいさざ波のように流れる、金色の髪が肩にかけてふわりと伸びている。
そこには透き通るような肌をした、美しく可愛らしい、まるで天使のような、清らかな幼子が立っていた。年で云うなら、そう、十くらいの年頃だろうか。
少女と最後に残された者は、その幼子を真きつく抱きしめ、大粒の涙を止めどなく流した。幼子を抱きしめる少女は、もう、少女ではなかった。
姿形は少女であれど、其の魂は大人であり、総ての母であった。
その時、残された者と、総ての母らの背中で、ギギギギギっと、錆びた重厚な扉を開けるような、悍ましい音がした。
それは違いなく、最後に残された者にとって、幼子にとって、総ての母にとっての地獄の門であった。最後に残された者と、総ての母は恐る恐る振り向いた。
そこに立っていたのは、6匹の子鬼と、赤い目をしたカラスだった。
子鬼を引き連れた紅い目のカラスは、緑色の軍服に身を包み、将軍のように威風堂々と、まるで人のように二本の足で、ゆっくりと、最後に残された者と、総ての母と幼子に向かって歩いていくる。
否、カラスは顔はカラスだが、体躯は人のそれである。
頭には汚れて、ボコボコに変形したヘルメットを、今にも落ちそうになりながら、斜めに被っている。
最後に残された者と、総ての母にはそれが、錆びて古びた王冠のように見えた。
手には瞬時に魂を狩ることができる、銃を携えている。その銃は、古びたメットや、汚れ破れかけた服装と違い、やけに綺麗に光を放っていた。
狩り人の大鎌にも引けを取らない、魂を刈るべき手綱だ。
よく見ると後ろの子鬼らも、よれよれの薄汚れた緑色の軍服を纏、同じように光る銃を持っている。子鬼らは自慢げに銃口を母らに向けると、嫌らしい笑みを浮かべながら近づいて来た。一歩足を踏み出すたびに、小さな子鬼らは大きくなっていく。
最後に残された者はたじろき、幼子の手を引くと咄嗟に駆け出した。
後に残された総ての母は、共に駆け出そうとはしなかった。只只成り行きを見守った。
最後に残された者は、ふと、隣に気配を感じた。横にはお同じように子供の手を引き、必死に走る男の姿があった。
それは違いなく、最後に残された者の夫であり、幼子の父であり、父が手を引く子供は幼子の姉であった。
彼らは災厄から逃れるべく、紅い地を必死に走った。
まるで裁き人から逃れる、罪人のように――――――……
だが子鬼らは容赦ない。その姿形と同じく、魂もまた穢れ醜い忌むべき子らだ。子鬼らは、改めて最後に残された者らに向かい銃を構え、まるで嗜好で狩猟を楽しむ狩り人のように、嘲笑しながら引き金を引いた。
何発かの甲高い音が響くと同時に、最後に残された者はその場に倒れ込んだ。




