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○ハレルヤ○

賛美の音色が奏でる春暄(しゅんけん)のような、柔らかで、清らかな音色は、ウサギの魂の隅々まで染み渡り、健やかに穏やかに至上の癒やしを与えていた。


「ああ、なんて心地良いのでしょう。暖かで、どこか懐かしくて、まるで誰かの胸に抱かれているようだわ。なんだかとても眠いわ… まさか天の河に浸ってるのではないでしょうね? それでしたら、しっかり眠れて、よい夢がみられるでしょうね――……」


うっとりと、眠るように目を閉じたウサギを包み込む空間は、深い情愛である。


まるでうららかな春の日に、季節に関係なく、あらゆる美しい花が咲き乱れる高原で、千年は経つであろう桜木の下で、絡み合う太い根の上に座り込み、舞い散る桜の花びらを薄目で見上げながら、遠くで奏でられる、小刻みに震えるマンドリンの心地よい演奏に浸り、上等なシルクにくるまり、うたた寝をしているような、そんな穏やかな気分であった。


だが束の間。そんな穏やかな一時は唐突に奪われた。突如目映い光がまるで空間を切り裂いたように放たれ、ウサギを夢の世界から叩き起こしたのだ。


穏やかな空気を一変させたのは、目映く白光(はっこう)する、威容を誇る十字架の塔だった。


その存在を有耶無耶(うやむや)にするように、全体を覆い隠す薄い霧は、まるで細小波(さざれこなみ)のように波打ち、静かに広がっている。永久に晴れることは無いであろう霧の中で、うっすらとその輪郭をぼかし、十文字に光を放ちつつ、幻の如く、白く、純白に揺らめいている。


ウサギは唖然として、ぽかりとだらしなく口を開け放ち、時がとまったかのように固まってしまった。人智を超えた、真なる偉大なるものを目にしたものは、しばしば、このように魂を奪われるものだ。


瞬きも忘れ、開け放たれた眼球に、焼印を押すように刻まれた十字架は、瞳に写しているというより、魂に刻まれたような感覚だった。


しかし意外なことに、白光する十字架を目の当たりにしたウサギに、恐れと思われる感情は湧いてこなった。むしろ安穏(あんのん)とした空気に包まれ、先程と変わらず、いやそれ以上に、情愛に包まれる感覚に溺れ、幻の如く揺らめく十字架を崇拝し、陶酔していった。


するとそれまで憂鬱(ゆううつ)だった(おも)(わずら)いはどこかへと消し飛び、形容し難い、底知ぬ深い感動に心奮わせ、自然と涙が溢れてきた。


眼にしただけ、それだけの事象である。なのに、次から次へと止めどなく涙が溢れ出す。


止めようにも止められない、いや、止めたくない。何故なら心地よいのだ。何者にも(さえぎ)られるもなく、許すがままに涙を流すの事が、真底心地よいのだ。


(むせ)び泣きながら、涙を拭い去ると、両手を胸の前に組み、全能たる支配者に祈りを捧げるように、ウサギは唯々(ただただ)一心に白く(かがや)く十字架を見つめて深々と頭を垂れた。


「ああ、ハレー、南十字星が見えるわ。そうでしょ? 違いないわけないわ。十文字に美しく輝いているもの――…… 美しい、ああ、本当に美しいわ。近くで見ると見勝(みまさ)りして、そう、本当に。本当に清い、清らしいものなのね。


ああ、あの白光は何処までも白い。幾久(いくひさ)しく消えることのない、永遠にして永久に不滅だわ」


「そうですね。全くですね。魂が洗われるとは、やっぱり信じられます。何でも大昔、南十字星で魂が清められていたときは、「ハレルヤ」やら「アーメン」と言った声が、賛美の音色に混ざって聞こえたそうですよ」


「ハレルヤ、アーメンですか? その意味はなにかしら?」


「どうやらユシカノホシの善言(ぜんげん)でしてね。何でも「素晴らしい」とか「その通りです」とか、そのような意味らしいです。でも(まこと)はよく分からいのです」


「そう、よくは分からないのね。でもきっとそのような意味だと思うわ。何故って、この十文字の白光は(しん)に素晴らしく、その通りなんですもの――…」

 

十字架の塔から発せられる白光、そして白光が揺らめくたびに奏でられる賛美の音色は、ウサギの思い煩いを、焼き払うかのようにキレイに消し去り、また、魂の奥底に無理矢理仕舞い込み隠していた、傷心までもで()やし、更に(なぐさ)めをも与えるているようだった。


そう、まるで()()()()かのように――――


「ところでウサギさん。あれね、あの白光ですけどね。何の変哲も無い、光のように見えますが、実はあれ、白い炎なのですよ」


「白い炎?」


「そうです。それは(すさ)まじい灼熱(しやくねつ)の白い炎ですよ。魂を洗うと言ってもユシカの魂を洗うには、普通のやり方ではとてもキレイになるものではなくてね。


全く始まりは賛美の音色だけで洗われたらしいですが、時が経つにつれそれでは間に合わなくなりましてね。それでいつしか白光は白い炎に変貌した。


つまりはあの白光は、とてつもない熱さで光る白熱。綺麗にするには、もう焼くしかないのです。幾度も幾度も、白い炎の中を行ったり来たりして、それはもう気が遠くなるほど焼かれたそうですよ」


「え? 何度も何度も焼かれるの?」

 

ウサギは驚愕した。何故ならウサギも、細かな悩みや不安と共に、魂をも十字架の白光に焼かれた気がしたからだ。


しかしその思いをハレーに打ち明けようとは思えず、(だんま)りを決め込むために、口を真一文字にきつく結んだ。


もしハレーがウサギの気持ちを()()く熟慮した上で、思慮深く観察し、考慮したのなら、その繊細で、きめ細やかな心の内を理解していたかもしれない。


だが愚かかな、ハレーにはそれを知ろうとする頓着が足りなかった。


「ウサギさん、貴方、もう程程(ほどほど)解釈(かいしやく)なさって、全く(わきま)えているのでしょう? 貴方が知りたがるヒカリノタマが何であるか?を」


ウサギは大きく目を開け放ち、涙を潤ませるながら暗黙(あんもく)し、より一層きつく口をつぐんだ。自身が最も嫌うであろう、愚かなる沈黙者と成り下がったのだ。


そう、何故ならウサギは、もう、総て余さず承知していたからだ。


遠い昔、朽ち果てた依り代たる器から解放された、黒い魂の終着点である南十字星で、白熱の炎で焼かれた、ユシカの穢れた黒い魂。そして行方知れずの純白の清まる魂。それほど深く考慮しなくとも、ヒカリノタマが何であるかは、自ずと答えがでている。


「それともまだ気づかないのですか? 無垢で無知で愚かなユシカの小童のように? いえいえ、貴方はそのような愚か者ではありません。もう(つぶさ)にご存じなんでしょう?

 

ヒカリノタマが、()()()()()()()()()()()()()であると。


そう、私にもヒカリノタマは見えますよ。銀河に導かれ、星の稚児(ちご)となる姿までそっくりとね。これは私の愚考かもしれませんが、私なりに答えに辿り着いているのです。違いなくあれはユシカの黒ではない、


()()()()()()()だとね」


違いなく、真実であろうヒカリノタマの有態(ありてい)を聞いても、ウサギに動揺は見られない。それどころか、愚かなる沈黙者になり下がったウサギに、ハレーの言葉は全く響いていない。


今この瞬間(とき)だけは、心静かに沈黙し、真実は魂の奥底に押し込めておきたい。


その心根と同じく、ヒカリノタマの悲しむべき真実は、その、正体は、遠くで(かす)かにそよぐ微風(そよかぜ)の様に、ウサギの頭の中を素通りし吹き抜けていった。


今のウサギは愚かなる沈黙者と合わせ、愚かなる盲目の旅人でもある。真実を語ることも、見ることも拒絶する、普遍的な愚か者なのだ。


唯々(ただただ)他人事のように、白熱に(きら)めく、十文字に燃えさかる白い炎を黄金色の目に焼き付けて、何処か心も上の空に(ほう)けながら遠くに思う。


『ああ、私は私がユシカでなくて良かった――…… 私の魂は何遍(なんべん)も何遍も焼かれることないもの。でもそれでよいのかしら? 私ではなくてよかったと、そう思ってよいのかしら――…』するとその様に思い巡らせる自分が、どうしようもなく厭で、悲しくなり、

『ああ、私はとんでもない愚か者だわ。真実に沈黙し眼を背ける愚か者よ! きっと心からの懺悔(ざんげ)も信じてもらえなくてよ。そう、であれば、消えてしましたい――… それは微細(びさい)(しずく)となって銀河に()け込み、全くキレイに消えてしまいたい』そう思った。


そして徐々(じょじょ)に小さくなる、十字架の白熱の炎に手招きされているように思われ、ぼそりと呟いた。


「何故かしら? 何か、白熱の炎に呼ばれてるような気がする。いつか、もっと近くで、とても間近で、白く白光する十字架を見るような、そんな気がするわ――…」

 

そして遠ざかる思いと一緒に、十文字の白熱も、賛美の音色も小さくなり、全てが全く消えて無くなると、また小さな星が光る真空の銀河の中を、ハレー彗星と共に飛び続けるのであった。


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