真相
何もかもが急展開すぎる。
真っ白にリセットされた空間で、わたしは呆けていた。
周囲には何もない。
星空も海岸も繁華街も屋上も教室もテニスコートも、何もない。
黒い円卓が、ぽつりと置いてあるだけ。
鹿島さん、羽生さん、大介君、わたし、横山さん、鹿島さん――全員が、所定の位置についている。
鹿島さんは、ついに真相が分かったのだと言う。
にわかには信じられない話だ。
第一、確証を得るためにわたしの首を絞めたって話だったけど――人の首を絞めて得られる確証って、何だろう。多分、わたしが殺された状況を再現しようとしたんだろうけど、それにしたって、本当に首を絞めることはないと思う。
当の本人は、蒼白な顔のまま視線を伏せている。
「……そろそろ、本題に入ってもらいたいんだけど」
円卓について数分、痺れを切らした羽生さんが口火を切る。
「分かったのなら、教えてよ。あたしたちは、誰に、どんな理由があって殺された訳?」
「その前に一つ、いいですか?」
神妙な顔をして挙手しているのは、横山さんだ。
「さっきのって、何なんですか?」
「さっきの、とは」
「原田さんの首を絞めたことです」
見た目はだいぶ落ち着いたように見えるけど、やはりまだ怒っているらしい。それでも、年下の鹿島さん相手に丁寧語を使う辺りがこの人らしい。
「俺の考えが合っているかどうか、確かめたかったんです」
「女の子の首絞めないと確かめられないことって、何ですか。どう考えてもおかしいでしょ」
「……それは、確かに俺も、悪かったと思ってます。でも、これではっきりしました。原田さんを殺した実行犯が、分かったんです」
一ミリも表情を変えず、あくまで淡々と話す。だけど、その内容は衝撃的だ。
「わたしを殺した、犯人が……?」
「それは誰なのか、今、教えてもらえるのかな?」落ち着いた口調で尾崎さんが口を挟む。「もちろん、謎解きの段取りなどは鹿島君に任せるが」
「いや、構いませんよ」
勿体ぶる素振りなど微塵も見せず、鹿島さんはあっさり頷く。
「原田さんを殺したのは――アンタですよ」
彼が指差す、その先。
前髪を伸ばした猫背の青年が、驚愕の表情を浮かべていた。
「……僕!?」
全く予想していなかったんだろう。その場で固まっている。
それはそうだ。
わたしだって信じられない。と言うか、理解できない。
まさか、横山さんが。
「そんな……だって、僕、原田さんとは全然接点もないし……」
「実行犯との接点は関係ありません。横山さんは、指示に従って殺しただけですから」
鹿島さんの目が横山さんを真っ直ぐに捉える。しかし、横山さんは視線をそらさない。
「根拠を、理由を聞かせてください。何で僕が、原田さんを殺したってことになるんですか。僕、被害者なんですよ」
「アンタは加害者ですよ」
強い口調で言われ、横山さんは思わず怯んでしまう。
「現に、原田さんを殺している」
「だ、だから、その根拠を――」
「死体を見れば一目瞭然でしょう」
そう言い、空中に二枚の写真を浮かび上がらせる。
一枚は、グズグズに潰された指先の写真。
一枚は、グズグズに切られた両腕の写真。
かなりグロテスクなのだけど、さすがここまで来ると誰も何とも思わないようで、鹿島さんの言葉に黙って耳を傾けている。
「知っての通り、原田さんは指を潰されていて、横山さんの腕には無数の切り傷がついていた。この二つは、深く関わっていたんです。二つで対になっていた、と言うべきか」
対の、傷。
「俺が何故、原田さんを襲ったのか。その答えがここにあります。背後から突然首を絞められた彼女は、当然のことながら必死の抵抗を見せた。ロープを外そうと、俺に蹴りを食らわせようと、必死にもがいた。それが通じないと分かると、俺の腕を強く引っ掻いた。肉が抉れるほど、強くね。結果、どうなったか。被害者である原田さんの爪には俺の肉片が残り、襲撃者である俺の腕には、深い引っかき傷が残った」
右腕の袖をまくると、そこには痛々しい四本の傷。わたしが親指以外の指で残した、抵抗の痕だ。
「実際の事件でも、これと同じことが起きたんです。原田さんは必死に抵抗し、犯人の腕を強く引っ掻いた。そして、被害者の爪には犯人の肉片が残った――犯人としては、そのままにしておく訳にはいかなかったんでしょう。かと言って、爪に入った肉や皮膚を全てその場で取り除くのは、現実的に不可能です。そこで、犯人は多少乱暴な手段に出た。手近にあったコンクリ片で原田さんの指先を原形がなくなるほどに潰し、肉片の採取を不可能にしたんです」
潰された指に、そんな意味があったなんて。
「犯人の腕に残った引っ掻き傷も同様です。腕にそんな傷が残っていたら、警察に必ず目をつけられる。それを恐れた犯人は、引っかき傷の上から刃物で滅茶苦茶に切りつけ、その傷が引っかき傷だと――抵抗の痕だと分からないよう、カモフラージュしたんです」
引っ掻いた爪と、引っ掻かれた腕――二つは対の関係にあって、その両方を破壊することで、犯人は抵抗の痕跡を消去したのだ。
「でも、それだけじゃ、僕が犯人だとは――」
「まだあります」
手を掲げると、先程提示した二枚の写真は消え、代わりに現場を写した写真が浮かび上がる。
土の部分に乱雑に残された犯人の足跡だ。
「警察は、この靴が某有名メイカーから販売されているスニーカーであることまでは調べました。しかし広く流通しているため、その持ち主の特定までは至らなかった――ちなみに、この場にこれと全く同じ靴を履いている人間がいます。横山さん、アンタだ」
指差す先には、白いスニーカー。
「これは、さっき横山さんが俺を殴った時についた足跡です」
もう一枚、足跡の画像を提示する。
二枚の足跡画像は、角度を変えて近づき、重なって――
「この通り、完全に一致します。横山さんが履いているその靴は、原田さん殺害時に犯人が履いていたモノと同一の靴なんですよ」
「そ、そんなの、僕がたまたま同じ靴を持ってただけじゃ……」
「そう。偶然の可能性はある。犯人と同じ靴を持っていただけでは、犯人扱いなんてできません。でも、靴を持っていなかったとしたら、どうですか?」
その言葉が脳に届くまでにしばらく時間がかかった。脳に届いたところで、結局意味は分からないのだけれど。
「鹿島クン、ゴメン、頭の悪いお姉さんにも分かるように説明してもらってもいいかな?」
こめかみを押さえながら羽生さんが尋ねる。
「今のは俺の言い方が悪かったです。警察は、横山さんの部屋も調べたんです。私物もある程度把握している。俺はそのデータを見て、不思議に思ったんです。ファッションに興味のない横山さんは持っている靴も少なくて、サンダルや革靴、黒のスニーカーと、仕事で使っていた安全靴くらいしか持っていませんでした。警察が調べた限り、白のスニーカーは、アパートの靴箱にはなかったんですよ」
皆の視線が、一斉に横山さんの足元に注がれる。
「俺、確認しましたよね。持っている靴はこれで全部かって。横山さんは、スニーカーがなくなっていると証言してくれました。だけど、この場にいる横山さんは、白いスニーカーを履いている。死亡時と同じ格好でこの場に連れてこられた横山さんは、如月さんのアドバイスで、今の服装に着替えたんですよね。その時、『こういう服しか持ってない』みたいなことを言った筈です。つまり、今履いているそのスニーカーは、横山さんの所持品ということだ。なのに、アパートを調べると、その靴はなかった。横山さん、その靴、どこに消えたんですか?」
「そんなこと、僕に聞かれても……」
「なら俺の口から言います。処分したんですよ。捨てるか埋めるか燃やすかして、ね。犯行現場に足跡を残したことを気付いていたアンタは、その靴を持っていては危険だと判断したんです。だから、アパートにその白スニーカーは置いてなかった。しかし、犯行に関する記憶を全て失っていたアンタは、イメージしたものが全て出現するこの特殊空間で、記憶の中だけにしか存在しない靴を出現させてしまった。結果、矛盾が生じてしまった――そういうことです」
無表情のまま、あくまで論理的に自説を展開していく。
でも、そんな。
本当に、横山さんがわたしを殺したんだろうか……。
「あ、アリバイはどうなるんですか。僕にはアリバイがある」
「ないでしょう。第五の事件、バツになってるじゃないですか」
例のアリバイ表に視線を落とす鹿島さん。
「そうじゃなくて、他の事件で――」
「他の事件は関係ありません。横山さんが殺したのは、あくまで原田さん一人だけなんです。一連の事件は、被害者一人に実行犯一人という、非連続殺人だったんですよ」
確か、その説を言い出したのは、横山さん自身だった気がする。
まさか、自分に跳ね返ってくるなんて。
「一つ、いいかな」
黙って聞いていた尾崎さんが口を挟む。鹿島さんの無感情な目が、彼を捉える。
「原田さんを殺したのが横山君ならば、私はどうなる。他の皆は、一体どこの誰に殺されたっていうんだい?」
「尾崎さんを殺したのは俺ですよ」
場の空気が、止まった。
皆、思考停止したかのような呆けた表情で、鹿島さんの能面を見つめている。だけど当の鹿島さんはマイペースだ。無機質な態度で機械的に話を進めていく。
「俺を殺したのは如月さんです。その如月さんは、桐山に殺されました。前の事件の加害者が、次の事件の被害者になっていたんです。図に表すと、こうなります」
足跡の画像に代わり、一枚の図が空中に浮かび上がる。
一から六まで丸で囲まれた数字が横一列に並び、六から五へ、五から四へと矢印が伸びている。
「非常にシンプルなドミノ倒しです。元々、警察は一連の事件を同一犯人による連続殺人だと見なしています。それに加え、前の事件の犯人は次の事件の犯人に殺害されることにより、表舞台から姿を消す。容疑者圏内からも外れる。かくして、警察はいつまで経っても容疑者を特定できない――という事態に陥った訳です」
鹿島さんが言葉を区切ると、たちまちこの空間は静寂に包まれる。皆が皆、必死になって考えを整理しているのだろう。反論の糸口を探し出そうとしているのだ。
「――ちょっと待ってよ」
沈黙を破ったのは、羽生さんだった。
「あのさ、適当なことばっか言わないでよ。黙って聞いてれば、何? 鹿島クンを殺したのが、あたし? そんな訳ないでしょうが」
「そんな訳ありますよ」
「ないわよ。思い出してみてよ。あたしはネカフェで、犯人を特定する何かを拾ったために、口封じで殺されたんでしょう?」
「それは原田さんの推理ですね。残念ながら、それは間違いだったんです」
以前の推理をあっさり否定されてしまう。色々なことに辻褄を合わせることのできる、会心の推理だと思ったのに――なんて、そんなことはどうでもよくて。
「如月さんは、当初の予定通り、殺されるべくして殺されたんです。如月さんが俺を殺したのも、当初の予定通りです」
「だから、そこがおかしいんだってば。百歩譲って、瑞穂ちゃんの推理が間違いだったとしましょう。でも、あたしがその時間ずっとネカフェにいたのは、客観的事実な訳でしょう!? 死亡推定時刻に建物内にいたあたしが、どうやったら建物の外にいる鹿島クンを殺せるって言うのよ?」
「殺すことは、可能でしょう」
眼鏡の奥の怜悧な瞳が、今度は尾崎さんにスライドする。
「尾崎さん――あの時、検証してくれましたよね? 建物内から、路地裏にいる俺を絞殺する方法」
「……トイレ個室の換気窓から、ロープを垂らすってやつかい? いや、あれは現実的に不可能だということで、却下された筈だが」
「どう、不可能なんですか?」
「あのトリックを成立させるためには、被害者自らが窓の下へと移動しなくてはならない。携帯などを使って誘導するのも無理がある。頭上からロープが降りてきたら手で払いのけると言ったのは、君自身だよ?」
その遣り取りは覚えている。鹿島さんに意識があって自由意思で動いている以上、頭上の小窓を使った方法は不可能――そう結論が出た筈だ。
「払いのけなかったんですよ」
シンプルな否定文で、鹿島さんはここまでの全てを引っ繰り返す。
「如月さんが個室の小窓から垂らした殺意のロープを、俺は払いのけなかった。大人しく、そのまま、受け入れたんです。かくして、如月さんは建物から一歩も出ずして、完全犯罪を成し終えることができたという訳です」
「な、だって、でも、それじゃ……」
「文字はどうなるんスか!?」
動揺する羽生さんに代わり、大介君が発言する。
「鹿島サンの時に残された『V』って文字、建物の外壁に書かれてたんスよ!? 室内からじゃ、どうやったって書けないッスよね!?」
「それは、俺が自分で書いたんだ」
興奮する大介君とは対照的に、鹿島さんはどこまでも冷静だ。
「書くのに使ったマジックは、小窓に投げて如月さんに渡したんだろう。携帯も同様だ。どうということはないよ」
「ありまくりでしょ! そんなの、ありえねェし――」
「有り得るよ。有り得るから、俺たちは今ここにいるんだ」
凪の精神で、凪の瞳で、鹿島さんは表情筋を一ミリも動かさない。こっちはもう、随分前からついていけなくなってると言うのに。
「話を一旦、原田さん殺害の事件に戻そう。九月二十日、横山さんは指示通りにテニスコートに向かい、指示通りに殺害を敢行しようとした。本当なら、遺留品も目撃証言も残さず、スマートに任務をこなす筈だった。だけど、原田さんの激しい抵抗に遭い、それが叶わなくなってしまう。腕を引っ掻かれ、コンクリ部分から足を踏み外したために足跡を残す羽目になってしまう。さらには、ある理由から原田さんの携帯を回収しなければならなかったのに、それが鞄の奥にあったせいで、中身を全部ぶちまけてしまう」
話を聞きながら、横山さんが小さくなっている。仕事の出来ない無能人間だと、責められているように感じているんだろう。
「一見、この事件の実行犯だけが、ひどく粗忽でそそっかしい人間であるかのような印象を受ける。だけど、違う。逆なんだ。襲われた人間が抵抗するのは自然なことで、むしろ、他の事件で一切抵抗の跡が見られないことの方が不自然なんだ。他の事件の被害者たちは、一切抵抗することなく、むしろ実行犯に協力する形で、死に至った。遺留品も目撃証言もなかったのは、それが原因だ」
「鹿島君」
重々しい口調で尾崎さんが口を開く。わたしを含む他のメンバーと比べると、ひどく落ち着き払っている。
「そろそろ、いいだろう。一連の事件がどういう類のものなのか、ズバリと核心をついてくれないか?」
そう言う尾崎さんは、きっともう、察しがついているんだろう。他の人たちもそうだ。
ただ、認めたくないだけだ。
「自殺――だったんです」
どこかで誰かが深い溜息を吐く。
「正確に言えば、自殺幇助です。強い希死念慮を持つ人間が、別の人間に自分を殺させたんです」
希死念慮。
死を希う、気持ち。
「そして、手を汚した人間は次の被害者になる。その事件における加害者は、次の事件の被害者に――そうやってドミノ形式に繋げていくことで、ありもしない連続殺人を演出したんです。現場に残されたアルファベットが、さらにそれを強調する。警察は、いもしない連続殺人鬼を必死になって追っていたんです」
グッと、場の重力が増した気がする。
ここにいるメンバーは、自殺者だったのだ。
「被害者でも何でもなかったのね」寂しそうに、羽生さんが呟く。「全部、自作自演のマッチポンプ。そのこと全部忘れて、被害者面して、いもしない殺人犯を追ってたなんて、笑える」
「被害者面と言うなら、究極の被害者面かもしれないねえ……」
尾崎さんが後を引き継ぐ。歪んだ口元に自虐が滲んでいる。
「さらに情けないのは、未だに自分が何故そんな真似に加担したか、思い出せないことだ。真相を詳らかにすれば、自然と記憶が戻るモノだと思っていたんだが……」
問題は、そこだった。
皆、鹿島さんの説を受け入れている。だけど、完全に記憶が戻った人は皆無で、まだ分からないことだらけ。
死にたい気持ちを忘れてしまう。
果たしてそれは、僥倖なのか、凶報なのか。
「ここにいるメンバーがどこでどう知り合ったかとか、何故原田さんだけ抵抗の痕があったかなどは、取り敢えず後回しです。まずは、事件の流れを含めて、一人ずつ個別に話していくことにしましょう」
フレームを指で押し上げ、鹿島さんは次の段階へ移る。
「まずは、尾崎さんからです」




