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確率論

続く時は続くものなのかもしれないね……」

 コーヒーを片手に穏やかな声を出すコンビニ店長。

「みんな、ちょっとずつですけど、何かを思い出しつつあるみたいなんですよ」

「いいことじゃないか」

「そんな都合よく、同時期に記憶が蘇ったりします?」

「駄目かな」

「駄目ではないですけど……」

 駄目なのはわたし自身だ。

「何か、すごい確率ですよね……」

 首を傾げながら、わたしはカフェオレを口に運ぶ。

 三人が立て続けに戦線離脱した今、わたしはこうして、尾崎さんの向かいに座っている。一人でいるのが不安だったからだ。

 大きな何かが、進展しつつある気がする。朗報といえば、朗報なんだろう。なのに、胸がざわつくのは何故だろう。追い求めていた真相は、思いのほかにグロテスクな形をしているのかもしれない。そんな気が、してしまうのだ。

「確率ねえ……」

 コーヒーをスプーンでかき混ぜながら、尾崎さんは思案気だ。

「じゃあさ、一つクイズを出そうか」

 姿勢を正し、こちらの目を覗き込んでくる。

「クイズ、ですか?」

「そうだ――とある学校に、三十人のクラスがあったとしよう。この中で、任意の二人が同じ誕生日である確率は、どれだけのものだと思う?」

 (かし)げていた首を逆方向に傾け、少し考える。

 一年が三百六十五日として、それで三十人を割るとすれば、三十割る三百六十五で……

「えっと、八パーセントくらい、ですか?」

「七十一パーセントだ」

「えぇ!?」耳を疑った「それは嘘でしょ!?」

「本当さ。『誕生日のパラドックス』と言ってね――感覚的に感じる確率と、計算で求められるそれとの間には大きな隔たりがあるという、割と有名な話だ」

「そういうものですか……」

「まだある。この広い宇宙の中で、二人の人間――例えば、君と私がここでこうして顔を合わせる確率と言うのはね――」

 言いながら、尾崎さんは左手首につけていた腕時計を外し、いきなり床に叩きつける。安物らしい時計は床に衝突した瞬間、様々なパーツに解体され、バウンドした勢いそのままに各種パーツが左手首の位置にまで跳ね上がる。そしてそのまま、解体された部品は再構築を始め、数秒後には何事もなかったかのように尾崎さんの左手首に巻きついている。何だか逆回しを見ているみたいだ。この空間では、こういう芸当も可能らしい。

「床に叩きつけられてバラバラに解体された腕時計が、偶然組み立てられて偶然腕に巻き付く確率とほぼ同じらしいんだ」

「天文学的数字ってことですか……」

「奇跡とも言うね」

 袖を直しながら柔和な笑みを見せる尾崎さん。

「要するに、確率なんて言葉は信頼ができないってことですか?」

「信頼できないのは主観的な感覚だよ。有り得ない偶然に思えても、科学的論理的合理的に突き詰めれば、必ずそこには必然性がある。我々に求められているのは、そこだと思う。鹿島君と如月さん、大介君の三人が徐々に何かを思い出しつつあるのなら、それはそれだけ核心に近づきつつあるということだろう。気を病むことはないんじゃないかな?」

 別に、三人の記憶復活を憂えている訳ではない。思い出すこと自体ではなく、思い出した記憶そのものが、怖いのだ。

「……どうも、原田さんは過度に怯えてしまっているようだねえ。一連の事件の真相がどうであれ、我々は必ずそれを直視しなければならないんだよ? ぼちぼち、覚悟を決めなければならないんだ」

 覚悟、か。

 わたしに決定的に欠けてるモノがあるとすれば、多分、それだ。

「話題を変えようか」

 カップを口元に運ぶが、空だったらしい。即座に新しいコーヒーを出現させ、尾崎さんは先を続ける。

「前の会議から今まで、皆の過去を重点的に調べていたんだ。その結果、なかなか興味深いことが分かってきた。聞くかい?」

 断る選択肢などある筈もなく、わたしは無言で首肯する。

「うん。まずは私の件だ。原田さんは、畑中繁という男のことを覚えているかな」

「はい」忘れる訳がない。「悪質なクレーマーでしたよね。尾崎さんの店も狙われてたって……」

「そうだ。そしてその時期と言うのが、去年の七月から十二月の間らしい。私自身は記憶にないんだが、パートさんたちがそう証言している」

「四ヶ月の間、ですか」

「粘着と言うか、陰湿と言うか――ちょっとしたストーカーだよね。そんなにも長い間、ほぼ毎日のように店を訪れては、あれこれ難癖つけて揚げ足とって悦に浸っていたという訳だ。被害者面した負け犬ルサンチマンってのは、本当に性質(たち)が悪い」

「そう、ですね」

 他に言葉が出てこない。この話は以前にも聞いているし、今ひとつ話の着地点が見えてこないのだ。

「次、如月さんの件。知っての通り、彼女は漫画雑誌に連載していた作品を短期で打ち切られている。そういうことは何度かあったらしいが――一番最近のは、例の『アカルイアシタ』という作品だ。これは、去年の六月から十二月の、半年の間に連載されていた」

「……はい」

「次、横山君。彼は以前、川崎市の自動車部品工場で、派遣社員として働いていた。しかし、それも去年の十月で契約を切られている。おかげで殺害直前は無職だった……」

 何だか、だんだんと読めてきた。

「そして原田さん。君自身に直接関わることではないが――」

「何ですか」

「奥寺舞さんと鍋島圭介君、いるだろう。二人が交際を始めたのが夏すぎで、破局を迎えたのが今年の初めだ。いや、決定的になったのがその時期というだけで、恐らくはもっと前から予兆はあったんだろう。そもそも、最初からして――いや、これは、今はいいか」

「いやいやいやいや、よくないですよ。何ですか。何を言いかけてるんですか。何か分かってるんなら、はっきり言ってくださいよ」

「これは原田さん自身が気付かないと、意味のないことだからねぇ」

 柔らかく微笑む尾崎さん。

「……羽生さんと同じことを言うんですね」

「二人の人間が言っているのなら、きっと正しいんじゃないかな? 本題に戻ろう」コーヒーで喉を潤しながら、先を進めてしまう。

「さて、ここまで聞いて、聡明な原田さんならピンときたかもしれないが――今言った四人の周囲では、去年の下半期に集中して何かしらが起きている。これは偶然ではなく、必然だ。ここを突き詰めていけば、必ず何かがある。私はそう思うんだ」

「でも、それは四人だけですよね? 大介君はどうなんですか?」

「さっき、写真がどうとか言っていただろう。思い出したばかりのおぼろげな記憶だから今は無理だが――きっと、それも去年の秋、冬頃の話ではないのかな?」

「鹿島さんは……?」

「彼はなかなかにミステリアスだねえ。調べた限り、その時期に何かがあったという事実はない」

「だったら――」

「しかし、それは単に私が見つけられなかったというだけの話だ。彼にも、必ず何かはある。そう思って更に深く調べてみたよ。結果、面白いことが分かったんだ」

「鹿島さんの過去に、ですか」

「そうだ。彼の父親が病院の院長であることは、すでに知っていると思う。埼玉県川越市にある総合病院だ。深く調べていくと、過去にとある悲劇が起きていることが分かった。八年前のことだ」

「鹿島さん、まだ十二歳ですね」

「実は、彼には礼美(れみ)さんという姉がいたらしい。当時十五歳だね。弟と同じく聡明な美人で、所属していたテニス部でも人気があったらしいんだが――彼女は八年前の冬に、実家である病院の屋上から飛び降り、帰らぬ人となってしまう」

「……なんで……」

「確かなことは今でも分かっていない。彼女の人気に嫉妬した先輩から陰湿なイジメに遭っていただとか、男子部員複数人に乱暴されただとか、もっともらしい噂はいくらでもあるがね。しかし、問題なのはそこではなく、鹿島君の姉が飛び降り自殺をしていたという事実にこそある。屋上から飛び降り自殺だよ? つまりは、墜落死だ。妙な符合を感じないかい?」

「……横山さんと死因が同じ、ってことを言っているんですか?」

「そう。横山君と、鹿島君の姉は同じ死に方をしている。ちなみに、八年前に高校三年だった人間は、現在二十六歳になる」

「横山さんが、お姉さんの自殺に関わっている、ってことですか?」

「それなら分かりやすかったんだがね。鹿島君の実家は埼玉県川越市で、横山君の住所は神奈川県川崎市だ。高校も地元だし――そもそも、横山君はテニス部ではなく帰宅部で、全く接点がない。彼がお姉さんの自殺に関わっていたということはないよ」

「じゃあ……どういうことですか」

「さあねえ。しかし、この二つは無関係とは言い難い。如月さんを除き、他の人間が絞殺だった中、横山君だけは屋上から突き落とされるという殺害方法をとられている。そこには必ず何らかの意味がある筈なんだよ。少なくとも、私はそう思っている」

「でも、今はそれが何か分かってないんですよね……」

「今はね。それが、これからの課題となる」

 尾崎さんの目は本気だ。口にはしないけれど、何かをつかんでいるのかもしれない。

 この人もか。

 この人も、僅かながら真相に近づきつつあるのだ。

「未だ全体像は見えてこないが、各々が何かしらの核心に近づいているのは確かだ。個々の調査・考察はもう少し続けてもらうが、次の会議の時は、今度こそ――結論を、出そう」

 真っ直ぐにわたしを見据え、そう言う。

 本当に、全てが分かるんだろうか。

 全部分かって全部思い出して、それで、それで――

 わたしたちは、終わりになることができるのか。

 正直、不安しかない。

 窓の奥、沈まない太陽がニセモノの夕明かりを教室に運んでいる。

 仮想密閉空間では、何もかもが嘘くさい。

 いや、嘘なのか。

 境界が曖昧だ。嘘と真。生と死。表と裏。善と悪。秩序と混沌。加害者と被害者。ここでは、境界線までもがボヤけている。

 尾崎さんの所から離れて、少し歩く。もう一度、整理し直した方がいいのかもしれない。何か、根本的な部分で勘違いしている気がしてならない。

 どうしようか――と、自分のつま先に視線を落とした、その刹那。

 世界が、闇に包まれた。


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