準々決勝 第一ダブルス「ない駄目まみれ」
スコア上は追い詰めたはず。だというのに降り注ぐ妙里南側の応援は勢いを増すばかり。それどころか仁田さんと中之矢さんの集中力がより増したように見えて、さながら気分は最終形態の魔王を目の前にした勇者である。
県外の強い学校と練習試合させてもらう中で、上手いことかみ合ってこっちが先にマッチポイントを握ることは何度かあった。でも、今思い返してみると大抵の選手はそれに動じることはなく、むしろこっちが本当にマッチポイントなのか疑いたくなるくらいに通常運転な人が多かったっけ。
てっきりあれは練習試合という負けても次がある試合だからなのだと思い込んでいたけれど、そうではなかったのかもしれない。前提として自分たちとは踏んできた場数が違って、あれくらい彼らにとってはきっと日常の延長線上程度のものなんじゃないか。
疲労感漂う頭をよぎったそのぼんやりとした考察は、目の前の二人を見ていると妙に信憑性があるような気さえしてくる。
「妙里南の相手んとこ、松下居るなら下剋上ありえるんじゃねって思ってたけどさ。なーんか、肝心の本人がパッとしなくね?前見たときはもっとこう、やべー!勝てる気がしねー!みたいなカンジだった気ぃするけど」
「あーね、それわかる。むしろ他の面子の方が案外いい線行くじゃんって思ったわ。特にあのシングルスの一年!デカいし何かすげえスマッシュ打つし」
「それな!あんな激ヤバルーキーいんなら来年以降もしかすると超強くなったりして」
声のする方へと視線を向ければ、見慣れないユニフォームの二人組が壁際でこちらを眺めていた。多分先ほどまでどこかのコートで審判でもしていたんだろう。
頭の中はありとあらゆることがブンブン駆け巡っててんやわんやなはずなのに、どうしてかそういうときに限って余分な情報を仕入れてくる自分の体が嫌になる。こんな時に必要無いお客様の声をお届けしないでほしい。
この無駄に研ぎ澄まされた視覚と聴覚を、試合に役立てたいものだ。
いけない。今そんなこと考えている場合じゃないだろ。慌てて頭を振って、物理的に思考を引き戻す。しょうもない現実逃避はここまでにして、次の得点が間違いなく分かれ道だから集中しないと。
ここを取れば勝ちが決まるからかって?
違う。そんな当たり前のことじゃなく極端な話、この一点を取られたら多分負けまで一直線なのである。
だって幹人先輩が復活する気配は相変わらずないし、相方の自分といえばそこまで体力に自信があるわけではない。そんでもって、相手のパフォーマンスのクオリティが落ちる気配もこれまた無い。こちらにとってはよろしくない「ない」が揃いすぎているのだ。
今回の場合は長期戦に百害あって一利なし!
てなわけで、ここはもう安全な選択肢を選び続けていても駄目だしかといってリスクが高い選択肢で冒険しすぎてミスで相手に点を渡すのも駄目という中々面倒くさい状況が訪れてしまった。
が、しかし。制約が多いからこそいかにして自分のやりたいこと、やるべきことを通すのかが腕の見せ所。ここで勝って晴風の窮地を救うヒーローになるのだ。
レシーバーは中之矢さん。こうなった以上、今相手にとって狙うべきは幹人先輩。とっさの機転が利かないのをわかっているだろうから、得点のチャンスには間違いなく自分ではなくそちらに打ってくるだろう。だから、その「ここぞ」を作らないように立ち回る。
具体的には?と聞かれると正直明確な答えがあるわけではない。が、ほんの少しだけでも幹人先輩の方へ返しにくい返球を心がけることならできるはず。何も考えず無防備にラリーをするよりは念頭に置いておくだけで多少はマシ。
そう自分に言い聞かせて、一度深く息を吸って吐く。
「ラストガンバー!」
「強気でねー!!」
気づけばベンチにはチーム晴風が全員集合。きっと誰もがもう異変には気づいているはずで、それでも勝利を信じてくれている。
あれ?さっき見たときにはもう全員揃ってたような気もするけど、どうだったっけ?
この試合が始まったのも一つ前の雨間戦も、なんだか遠い昔のような気もするし、ついさっきのことのような気もする。なんだかもう感覚がグチャグチャだ。
ショートサーブから始めて、よほど高い球以外は全部自分が取ってラリーをコントロール出来るのがベストだと、少ない経験から脳が導き出している……気がする。
やるべきことを言葉にするだけなら簡単なんだけど、相手は歴戦の猛者。何をしてくるのか、何を考えているのか、読み切ることなんてきっと不可能。
「なんとかなる気がしている自分」と、「自信なんて全く無い自分」が脳内で同居している。人は矛盾を抱えて生きていく生物なのである。
だってさー、今日の今日までチームとしてこんなに勝ったことないんだもん!中学生時代にはいつの日かチームのエースとして大活躍する自分を何度も想像していたし、そうなれると信じていた。それがどれだけアホらしいことだったか途中で気づいてしまったけれど、それでも心のどこかで仲間と勝ちを目指すことに憧れていたのも事実。
それがあれよあれよという間に叶ってしまって、未だに都合の良い夢を見てるんじゃないかって思うことさえある。余計なことに神経を使うことなくバドミントンに集中できる環境がどれほど素晴らしいか、実感できたこの数ヶ月だった。
駄目だ何か走馬灯っぽくなってる。
よし、今度こそちゃんと状況を整理しよう。
第一に、あっさり点を取られないこと。
サーブをネットに引っ掛けることとそれを恐れてネットから浮くこと。不用意に叩きやすいコースへ返しちゃうこと。
他にも上げだすときりがないけれど、そういう失点へダイレクトコースになるミスは、もうできない。
第二に、守りに入らないこと。
相手の攻撃をしのぎつつ、自分たちが有利になるように立ち回れるような器用さや実力はあいにく持ち合わせていない。だから無策で守りに入った時点でジリ貧。相手に気持ちよく決められるくらいなら、自分が攻めた結果のアウトやらミスで点とられる方がまだマシ。次のゲームで初っぱなから相手のペースになるという一番最悪な展開は避けられる。
幹人先輩は相変わらずぼんやりした目で、もう蓄積してきた経験による惰性でまるでオウムのように「一本」と呟いている。いつもの声量が嘘のようだ。
焦燥、疑問、不安……。その他胸の中で渦巻くありとあらゆる感情を押さえつけて、シャトルを送り出した。
さあ、後はできる限り前に居座るのみ。こちらのショートサーブに対し、中之矢さんは即座に前へ出てきた。ふわり、とネット前に落とされたシャトル。
それを追って踏み出す。このまま素直にヘアピンで返すんじゃ、芸がない。ただラリーを繋ぐだけの一手なんか今はいらない。相手のコートへ向かわせる球全てに意図を持たせないと、この一点はとてももぎ取れない。
何千回、何万回と繰り返した動きでヘアピンを打つ直前、シャトルの落下に合わせてそっとラケットを引く。そして、完全にストレート側に体が向いたのを確認してからクロスへ。これでもう、中之矢さんは追いつけない。
この局面で、ろくに場数を踏んでないペーペーが捻ったことはしないだろう。
そんな思いを、きっとこの場にいる誰しも無意識のうちに抱いてた。
それを裏付けるように、足が出ない中之矢さんの顔がゆがむ。
どうかこれで、決まってほしい。
その願いを聞き入れてくれたみたいに、シャトルと床の距離がどんどん近づいていくのがスローモーションのように見えていた。
「やっt」
青葉が得点を確信したように声を上げるのが聞こえる。
はやく、とにかくはやく落ちてほしい。
その思いをあざ笑うかのように、響くのは空気を切り裂く音。
後ろにいた仁田さんが、スレスレで拾い上げてしまった。
乾いた音が響くと同時、見上げればシャトルは手を伸ばしたってまったく届かないくらい高くにあって、なんかあと一点の遠さを物理的に示されたような気さえしてくる。
こうなると先輩に任せるしかない。
バドミントン初めてすぐの頃は、上手な人と組む時「どうか自分のところにシャトルが来ないでほしい」なんて願ってしまうことがあった。だって、失敗するのも、周囲をがっかりさせるのも怖い。それに、上手い人が打ってくれた方が点が決まるし勝てるから。
だけどいつの間にか、もっと打ちたい、自分の力で点を取りたい、なんて思うようになっていって、ミスをしてしまった時の悔しさすら次への意欲に結びつくようになるまで多分そんなに時間はかからなかった。どうやら自分は、良くも悪くもバドミントンに対して粘り強さを発揮してしまう性質だったらしい。だから紆余曲折を経ても、結局コートから離れる道を選ばなかったんだろう。
スマッシュと時々ドロップ。いっそ小気味良いとすら感じてしまいそうなテンポで返球する幹人先輩。だけど二人を崩し切る決定打とはならなくて、きっとこの後体勢を整えつつある妙里南側が仕掛けてくるはずだ。それが果たして先輩に向けたものになるか、それともこちらを狙ってくるか、あるいは二人まとめてなのか。可能性が高いのは幹人先輩側。
だけど頼むからどうか、こっちに来てほしい。
今度の願いは通じたようだ。高いレシーブと見せかけて、仁田さんが弾丸のようなカウンターを飛ばしてきたのだ。この低い軌道は前衛で止められず後ろに抜けてしまったら、即失点。
先輩は足音からしてまだシャトルから遠い位置にいそうだし動き出しも鈍い。残念だけど、きっと追いつけないだろうから。
返すだけなら思い切り手を伸ばせば届くけど、それじゃあまともにコントロールがつかない。かといってこのスピードじゃ追いついて完璧に体の前で捉えることもできない。
ならば下がるしかない!
ネットに背を向けて足も斜め後ろへ。そして飛び去るシャトルに対してラケットを切る。
なんとか狙い通りこちらのコート内で山の頂点を描いて、どんどん高度を落とすシャトル。ネットを超えるころには本当に白帯スレスレで、今までやって来たしんどい練習も報われるなって思ってしまったくらいに会心のショットだった。
「だよなっ、来ると思った!」
だというのに、すかさず飛び込んできた中之矢さん。ラケットの軌道から、コートの逆サイドへとワイパーショットが飛んでくることは容易に予想できた。でも、それと同時に自分が追い付けない事も悟ってしまった。まだネットに半分背を向けているのに、ここから全くの逆方向へは逆立ちしたって追いつけない。
ここまできて、また一から組み立て直し?はたしてそれが今の自分にできるだろうか。
「せん、ぱい!」
とにかく自分がなんとかしなくちゃ。
そう思っていたはずなのに、咄嗟の時に口から出たのは幾度となく窮地を救ってくれた、いつだって先頭を走り続けてきた頼れる人を呼ぶ声で。
それに応えてくれたのか、それとも偶然なのか。答えはわからないけれど、相手コートへと飛んでいくシャトルを確かに視界へ捉えた。
まだ、まだこのラリーはいける。
妙里南側も、流石に決まったと思ったみたい。半分動きを止めかけていた中でまさかのファインレシーブ。
「んぬぅ!」
それでも仁田さんは鋭い速球で切り返してきた。今度はこっちが大ピンチ。幹人先輩はまだ体勢が整っていないから、今度こそ自分が取るしかない!
ネットスレスレを超えてくると思われたシャトルの軌道に向けて飛び込みかけたその時、完全に予想外の出来事が起こる。
シャトルが白帯に弾かれて、飛び上がったのだ。
どちらのコートに落ちるのか……。全員の心はきっと一つだっただろう。時が一瞬止まったような気さえした。
運命のいたずらとも思える展開はそれだけでは終わらず、なんとシャトルの落下点はネットの真上。綺麗な着地を決めたかと思えばころころと綱渡りのように転がるシャトルを、誰もが固唾を飲んで見守るしかなかった。
永遠にも思えた数秒の後、シャトルはコートへと転がり落ちた。




