エピローグ サンクス・チョコレートデイ
ユートリア国とエルラン国の話し合いは大方順調に進んだ。不可侵条約は締結することができ、友好条約については話し合いを続行である。ユートリアも本格的に外交部門を立ち上げるときがきた、とリトが言っていた。国交を持つのも遠くはなさそうである。
二週間後、シェリーたちはハノーヴァ公爵邸の皆に見送られて帰国した。エルラン国内は視察を兼ねた観光をしながら進み、魔ノ森に踏み入ると転移魔法で王宮まで飛んだ。
父と兄とは、これからは定期的に手紙を送ると約束して別れた。兄はそのうちユートリアに来るとも言っていたので楽しみである。
シェリーの籍はハノーヴァのまま。もし籍を変えるようなことがあったらただちに連絡を――と怖い顔で言われた。『エドガー様との婚約はフリですよ』と言っても、静かに首を振られるだけだった。父も兄も心配性なのである。
シェリーたちの帰国は盛大に歓迎され、宴会も開かれた。エドガーの執務室を覗くと、懸念していたとおり山のように書類が積まれていた。明日から頑張らねばなるまい。
ここ二年における憂慮も消え、シェリーは晴れやかな気持ちだった。少しお酒を飲み過ぎて、エドガーには怒られた。
翌日からしばらくは慌ただしい日々が続いた。約一ヶ月分の通常業務が溜まっていたらそうなる。真面目なシェリーはフルスピードで処理していき、一週間であらかた片付けた。
そしてようやくいつもの日常だ――と思っていたら、城内がなんだかソワソワしている雰囲気に包まれていることに気付いた。午前の訓練でも、何やら言いたげな視線を感じていたのだ。食堂の雰囲気もどこかフワフワしている。
勘違いではないか、シェリーは隣にいるマデラに聞いてみた。
「マデラさん、なんだかこう……皆さんの雰囲気がいつもと違いませんか? 何かあったのでしょうか」
「あー……シェリーさんは知らないですかね。明日がサンクス・チョコレートデイだから、ソワッソワしてるんですよ。知ってます?」
シェリーは首を振る。
「いつから定着したのかわからない輸入文化なんですけど、伴侶や恋人、好きな人にお菓子を贈るイベントなんです。皆が認めた告白大会日ですね。もちろん告白しなくてもいいんですけど。チョコレートが一番望ましいとされていて、キザな人なんかはチョコレートで作った薔薇を贈るらしいですよ。見たことないですけど」
「なるほど。エルランにも似たようなイベントがありますよ。贈る側は男性で限定されていますけれど」
へぇ~と頷くマデラは誰かに贈るのだろうか。と、そこでシェリーは気付いた。
「……ということは、私はエドガー様に贈らないとですね!?」
「えっ? まぁ一応そういうことになります……か? でもその婚約はフリですし……まぁ軍隊長は喜ぶでしょうね。そういえば指輪もずっとしてますね」
マデラに言われ、シェリーは左手を出した。薬指に嵌まったオリハルコンの指輪をぐっと掴む。
「実はこれ、抜けないんです」
「えっ何ソレ……呪いの指輪ですか……?」
ドン引きしているマデラが面白くて、シェリーはくすくす笑って返す。
「支障はないのでいいのですけどね。それにしても、チョコレートを使ったお菓子ですか。……野営料理の嗜みはあるのですが、菓子類はさっぱりです。城下に買いに行くため半休を貰うのは……うーん駄目ですかね」
「それでしたら今夜一緒に作りませんか? ルルリちゃんに頼んで教えてもらう予定だったんですよ。材料も多めにありますし。半休取るのもいいと思いますけど、作ったほうが喜びそうです」
「よろしいのですか!? すごく有り難いです……!」
「私も軍隊長に恩を売れますからね。フフッ」
喜んでくれるだろうかと考えたところで、優しげに笑うエドガーがよぎった。
(私はエドガー様のことを信じているんだ……そうなんだ)
清々しい気持ちで、シェリーはひっそり微笑んだ。
○
一方、エドガーたちはハノーヴァ公爵からの手紙を読んでいた。
「あの王子、王太子としての地位が怪しくなってきてるのか」
「そのようですね。知ればシェリーさんが気に病むだろうから、わざわざ別便で送ってきたのでしょう」
シェリーが婚約者だったときは盤石だったらしいが、今回の一件で少し瑕疵がついた。侍従候補の学友がダズワード伯爵の息子であったこと、婚約者を変更した醜聞があり、そしてその婚約者は貴族派のグロスター公爵の娘である。グロスター公爵が今回の一件を認知していた証拠はないが、正直、極めて怪しいと皆が思っている。ダズワード伯爵の手綱は握っていたし、把握していないはずがないのだ。
アーサー王子は元々愚鈍ではないが極めて優秀というわけでもない。今では五歳下の王子がめきめきと頭角を現しつつあるようだ。ハノーヴァ公爵は今回の件の功労者であり、中立派の勢いが増している。王子二人の今後と、婚約者によっては王太子が変わるかもしれない――と囁かれ始めた。
「賠償金もしっかり取れるようだ。なかなか後ろ暗いことして金を貯め込んでたみたいだな、あの伯爵」
「商人たちが使っているルートを整備する資金にあてましょうか。交易路にするんですよね」
「多少の足しにはなったらいいよなぁ」
商人たちが使っている、比較的魔物の出現が低くなだらかな道を少しずつ整備することにしたのだ。王都まで遠回りにはなるのだが、防衛の面からは管理しやすい。シェリーのように魔ノ森を最短距離で突っ切ろうという発想は、普通はならない。無理だからである。
「これで一旦、落ち着くかな。あとは文官の皆様に頑張ってもらいましょう」
そうだなぁ、とリトが伸びをする。ふと、思い出したように呆れた表情になり、エドガーを胡乱げに見てきた。
「……お前さ、どさくさに紛れてほんとうまくやったよな。悪い男だよホント」
エドガーはニッコリした。心底嬉しくてたまらないのである。さぞ極悪な笑顔に見えているのだろう、リトが「うげぇ」と声に出す。
「まだまだこれからですよ。きちんと囲い込まなければ」
「……シェリー嬢も厄介な奴に目をつけられてしまって可哀相に」
エドガーからすると、シェリーのほうが厄介である。素直で真っ直ぐで聡いのに疎いからだ。
○
翌日のサンクス・チョコレートデイ。日中はいつも通り勤務し、終業時刻になるとエドガーに「今日は一緒に部屋に戻りますか」と聞かれたので、シェリーは前のめりに「是非」と返事をした。夜にお時間ありますか――とずっと聞きたかったので、渡りに船だった。
仕事の話をしながら共に歩いている最中、シェリーはドキドキしっぱなしだった。部屋の前に着いたとき、今しかないと声をあげる。
「あのっ……今、少々お時間よいですか」
「俺も、そう言おうと思っていました……」
「えっ、ええと、ちょ、ちょっと待ってください。部屋の中に取りに行きたいものが」
「俺もです。……えーっと、中の扉をノックしても?」
シェリーはこくこくと頷いた。顔がとてつもなく熱いので、頬が赤くなっているだろう。気のせいでなければエドガーの頬も同様だ。もしかして――という思いが、胸を高鳴らせる。
自室に戻り、昨夜作ったミニガトーショコラの入った箱を手に取る。上出来でも不出来でもない、非常に普通の出来上がりである。普通過ぎて、マデラもルルリにも逆に笑われたのだった。曰く、『シェリーさんだったら、お菓子も最高の出来か、もしくはめちゃくちゃ苦手かだと思ってた』だそうだ。
扉がコンコンとノックされ、シェリーは躊躇いなく開けた。エドガーもシェリーと似たような箱を持っていた。お互いそれをみとめ、エドガーははにかんだ。可愛かった。
「サンクス・チョコレートデイのことを聞いて、マデラさんとルルリさんに手伝ってもらって、それで……。どうか貰ってください」
「ありがとうございます。……俺のも、貰ってください」
箱を交換し、蓋を開ける。中には薔薇を模ったピンクのチョコレートが一つ。銀色のアラザンも装飾に使われていて、可愛らしかった。
(キザな人がやるやつ! だ!)
「手伝ってもらったということは、手作りですか? ……嬉しいです」
「はい。……あのっ、これもしかして、エドガー様が作ったのですか?」
そんな感じがしたのだ。するとエドガーは照れたように髪に手をやった。
「そうです。……少しでも、気持ちが伝わるといいかなと、思い」
「凄い……! 本当に何でもできるのですね」
薄い花びらが何重にも重なった薔薇なのである。感動してチョコレートをじっと見ていると、頭上からフフッと笑い声が落ちてきた。
「それだけ褒めてくれたら嬉しいですね。一緒に食べませんか?」
「はい」
答えると、エドガーにそっと手を取られ、部屋の中に連れて行かれた。ほんの数歩、手を繋いで歩く。それだけで心臓が太鼓を打ち、指先から気取られるのではないかと思った。
いつもの椅子に座り、エドガーも対面に座る。
「これからもよろしくお願いしますね、婚約者さん」
「…………はい」
妖艶に微笑んでみせてくるエドガーに、シェリーは真っ赤になりながら頷いた。
フリから始まったものだろうが、この婚約をやめようとシェリーから言うつもりはないのだ。
美味しいと言いながらガトーショコラを食べてくれるエドガーを見つめ、幸福を噛み締める。
末永くよろしくお願いします。
そう心の中で囁きながら、チョコレートの薔薇を囓った。
――終
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
急な展開だったりしたかな…と思う面もありましたが、
このお話はトンチキなシェリーの冒険譚と、恋を知って彼女を囲い込んでいくエドガーのラブコメ(?)を楽しむというのが主題でしたので、このような感じになりました。
束の間、楽しんでいただけたなら幸いでございます。
連載中にも関わらず、ブクマや評価してくださった方々、ありがとうございました!




