【1話】まさかの転生、そして見覚えのある世界
目を覚ます直前、私は確かに大学のレポートと向き合っていた。
深夜、机に向かったまま意識が遠のいていく感覚があって、次に瞬きをしたときには、見知らぬ天井を見上げていた。
「……え?」
声を出してみて、まず違和感に気づく。
高い。
自分の声じゃない。
身体を起こそうとして、長い髪が視界の端で揺れた。
見たことのない部屋、見たことのない手。
指は細く、爪は丁寧に整えられている。
間違いなく、これは私の身体ではなかった。
──転生、というやつだろうか。
幸い、パニックにはならなかった。
元の生活が嫌だったわけではないけれど、大学生活も、サークルも、就活への漠然とした不安も、今この瞬間にはすべて遠い。
それより、目の前の状況をどう理解するかの方が重要だった。
部屋の中を見渡す。
調度品は明らかに異国風、というより異世界風。
窓の外には見たことのない形の屋根が並んでいる。
壁にかけられた紋章のような飾り、本棚に並ぶ革張りの本。
これは──。
「……まさか」
胸の中で、ある可能性が急速に膨らんでいく。
私はオタクというには控えめな自覚しかなかったけれど、実のところそれなりにゲームが好きだった。
特に大学に入ってからは、乙女ゲームにかなりの時間を溶かしていた自覚がある。
中でも一番──本当に一番、寝る間も惜しんでやり込んだのが、ファンタジー学園を舞台にした一本だった。
『アーレンディア王立学園の恋人選定 ~Eternal Crown~』。通称、アーレディ。
(あのゲーム……! 全ルート埋めたし、隠しキャラのCGも全部回収したし、サントラも買ったし……)
思い出すだけで、胸の奥がきゅっとなる。
大学最後の夏休み、寝食を忘れて一気にプレイしたあの感覚。
攻略サイトを開きながら二周目を回し、三周目はノーヒントで全選択肢を覚えて挑んだ。
その後も、何回も何回もプレイをし、選択肢どころかセリフまで覚えていた。
あれほどハマったゲームは、後にも先にもない。
部屋の隅にあった姿見に駆け寄る。
映った顔は見知らぬ少女のものだったけれど、その配色──淡い色の髪、目の色、纏う雰囲気のどこかが、確かに覚えのあるものだった。
その後、部屋に入ってきたメイドらしき女性との会話、机に置かれていた手紙、棚にあった家系図のようなものから、断片的に情報を集めていく。
家名は「ヴァイス」。中級貴族の家の娘で、名前は──
「モブリーヌ……」
口に出した瞬間、頭の奥で何かがカチッと噛み合った。
(いた……! いたよ、このキャラ。教室の隅にちょこっと描かれてるだけの、名前すら呼ばれないモブ……でも、いたよ、ちゃんと!)
ゲームをやり込んだ人間特有の記憶の引き出しが、勢いよく開いていく。
学園の見取り図、登場人物の関係、ストーリーの分岐。
間違いない。
これは『アーレディ』の世界だ。
そして、ここでもう一つ重要な情報が、メイドの口から零れた。
「お嬢様、もうすぐ学園の入学試験ですね。あまり気を張らず、いつも通りで大丈夫ですよ」
入学試験──。
つまり、まだ学園生活は始まっていない。
物語が始まる前、その手前。
これは都合がいい。
なぜなら、私はこのゲームの中身をほとんど覚えている。
その日から、私は猛烈に試験対策に取り組んだ。
家庭教師がつけてくれる教材、過去問らしき資料。
目を通せば通すほど、確信が深まっていく。
「……これ、全部知ってる」
歴史、魔法理論、貴族の作法。
ゲーム内の授業シーンやイベントで触れた内容が、そのまま試験範囲になっている。
攻略には関係のない豆知識まで頭に入っていたことが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
試験当日。
緊張する周りの受験者たちを横目に、私はむしろ余裕すら感じていた。
問題に目を通す。
(……うん、知ってる。知ってる。これも知ってる)
ペンを進める手が止まらない。
実技試験(簡単な魔法の発動や基礎動作の確認)では、特別優れているわけではなかったけれど、人並みにはこなせた。
座学に関しては、間違いなく突出していたと思う。
そして、その合間に──私は何度も視線を彷徨わせていた。
会場には、受験者がたくさんいる。
その中に、見覚えのある顔を見つけるたびに、心臓が跳ねた。
(あ……っ、あの子、セレナだ……!)
清楚な雰囲気の少女が、緊張した様子で問題に向き合っている。
『アーレディ』の主人公、セレナ・ラファイエット。
ゲーム内では、誰に対しても無条件に優しく、自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとする──まさに「聖女」と呼ぶにふさわしい性格をしていた。
画面の中で何度も泣かされたヒロインが、本当にここにいる。
それだけで、胸が熱くなる。
(え、待って、あっちにいるのは……ゼノン!? う、嘘、本物!?)
会場の隅の席にいる青年。
ゼノン・マルケス。
ゲームでは天才魔導士という設定で、無口でミステリアス、誰にも本音を見せない孤高のキャラクターだった。
攻略が一番難しいルートの一つで、何度泣かされたか分からない。
(……あれ? 隣の受験者と、結構喋ってる……? 気のせいかな。緊張してたまたま口を開いただけだよね、うん)
その時はまだ、軽い気のせいだと思って流した。
(王子……ユリウスは、まだ見当たらないけど……あ! カイルだ)
カイル・ベルナール。
ヒロインの幼馴染で、誰にでも優しく、何でもそつなくこなす優等生。
ゲームの中では、セレナの一番近くにいる存在として、序盤から名前が出ていた。
(セレナのそばにいないな……試験会場だから、別々の席なのは当然か。それより、なんか姿勢悪くない? あの優等生感のあるカイルが、椅子にちょっと前のめりで……まあ、緊張してるだけだよね)
(エイデンも……いた。執事キャラなのに、なんで受験者の中にいるんだろ……まあ、設定的には貴族の子息でもあるし、不思議じゃないか)
エイデン・クロウェル。
ゲームでは完璧な執事として描かれ、クールでなんでもそつなくこなし、ヒロインに対して一途な忠誠を捧げる──まさに「理想の執事」を体現したキャラクターだった。
(……あの人、さっき派手に転んでたよね。しかも一回じゃなく、二回。完璧執事なのに……いや、誰でもミスはするよね。緊張してるだけだよね)
それから何人か、見知った顔を見つけた。
胸の高鳴りが収まらない。
気のせい、緊張のせい──そう思える程度の小さな違和感は、いくつもあった。
けれど一つひとつは取るに足らないことばかりで、繋ぎ合わせて考えるには至らなかった。
ただ──。
(あれ……? ジークがいない……? あと、エドモン先輩も……)
ジーク・オストレム。
腕っぷしが強く、ぶっきらぼうだが根は優しい、いわゆる不良キャラ。
エドモン・ヴィスタリア。
教室にほとんど顔を出さない、無口で誰にも興味を示さないレアな隠しキャラ。
この二人だけは、会場のどこを探しても見当たらなかった。
(まあ、よく考えたら先輩は受験者じゃないし、当然か。ジークは……どこかですれ違っただけかも)
その程度に考えて、私はその違和感をひとまず置いておくことにした。
試験が終わり、結果が貼り出される日。
自分の受験番号が、合格者の欄にしっかりと記されているのを確認して、私は静かに、けれど確かな喜びを感じた。
(やった……! これで、学園生活が始まる)
ゲームの中でしか知らなかった世界に、これから自分の足で踏み込んでいく。
攻略対象たちとの出会いも、きっとすぐそこにある。
期待に胸を膨らませながら、私は──まだ知らない。この『アーレディ』が、自分の知っているゲームと、違っているということに。




