第六話 本音で本当のことしか言えない即興劇・1
この舞台に立つ役者は、本音で本当のことを言うしかないようだ。
そうでなければ、「これは真に迫る演者の演技だ」という建前が、破綻する。
作戦を決行する日が来た。夜明けがくる前に、行動開始だ。
街の表通りに踏み出したとき、オレはふと顔を上げた。
雲ひとつない西の空には、まだ満天の星が輝いている。気温十二度の空気はほどよく乾いており、春北風の冷気がおだやかに流れている。まさに、絶好の擬態日和だ。
オレたちは早朝に宿をチェックアウトすると、トカレフ家の裏口を訪問した。
ガレージのシャッターが開いた瞬間、オレのとなりで眠そうに目をこすっていたリオが――ハッと目を開いた。
「わあっ……エイダン、これって油を食わせたら、まだ動くんだよね?」
リオは居ても立っても居られなくなったか、ガレージの中へ飛びこんでいく。
あの子がラジオ以外で、あんなに目を輝かせて興奮するのも珍しいな。
かつて人類には、これを大量生産・大量消費する技術があったと聞いている。ただし今となっては、誰も真似たものを作れない代物だ。そんな希少な生き残りが、今、ここに健在している。
まあ……ベッケンバウアーにとっては、大して目を引くものじゃないようだ。博士はさっさとガレージの片隅に引っ込むと、我関せずといった顔して聖書を開いてしまった。
するとエイダンが、車のバックドアから荷物を運びこみながら、爽やかに笑った。
「ははっ、もちろんだよリオちゃん! まだまだこいつは現役さ。ついこないだ分解洗浄したばっかりだから、エンジンの調子もいいはずさ!」
オレもこのまま入り口で立ちぼうけているのは、一生に一度のチャンスをフイにしているような気がしてきた。
せめてリオのあとに続いて、車を眺めておこう。
「ねえねえエイダンさん、これ、すっごい中が広いですね! さてはこれ、ミニバンですね!?」
「ははっ、その推理、惜しいね! 正解はそのひとつ上の、バン車だよ!」
「ばんしゃ……?」
「そうさ、リオちゃんは聞いたことない? むしろミニバンって、バン車より小さいから、ミニバンって呼ばれてるんだ!」
「えっ……? そ、それって、つまり……」
リオはよろよろと、二、三歩、後ずさっていく。
「ミニバンに……さらに……上の車がいたのっ!?」
その瞬間、リオは興奮がピークに達したのか、黄色い歓声をあげて跳ね回った。
ミニバンといえば、リオが常日頃「旅の相棒にするならこれ!」と力説している車だ。
ところがリオは、今まで理想だと思い込んでいた車を、さらに超える存在と対面してしまった。あのまま失神するのではと心配になるほど、興奮が爆発しているようだ。
オレはオレで、窓ガラスから車内をのぞいてみた。
荷運びに特化した設計のようだ。あれだけ荷室が広ければ、数人くらいは車内で寝泊まりができそうだな。
ただ、群青色の塗装には、いたるところに錆びや剥がれが目立っている。かなり年代物らしい。
それ以外の見どころは……特に見当たらない。
リオがあんなに熱狂しているのを横目に見ていると、少し寂しいな。
動く車を目にする機会なんて、人生に一度あるかないか――それは頭でわかっている。だからオレも、実物を見れば、リオと同じくらい興奮できるものだと期待していた。
ただ――オレはあまり、自分の感情が動いたようには感じない。
そのときエイダンが、おもむろに運転席のドアを開いた。
リオを横目に見て、
「試しに、エンジンをかけてみましょうか?」
と悪戯っぽくウインクしている。
「ぜ、ぜひっ! ぜひお願いしますっ!」
「ははっ、オッケー!」
エイダンが鍵を回すと――瞬時に車は目を醒まし、唸り声を上げた。
空気が力強く振動している。その衝撃が全身に伝わってくる。
それを体感した瞬間――胸に何か、こみ上げてくるのを感じた。
自分の心臓の音が聞こえる。自分の感情が動いている。
オレは今、車が目を醒ます瞬間に立ち会えて――胸が熱くなっている。
よかった。オレにも、リオと同じ、熱い感情があったんだ。
何かを好きになったり、憧れたり、興奮したり……あの子の胸の中で燃えている情熱は、オレにも少し、あったんだ。
ただ、エイダンがエンジンを切るなり――胸の中に感じた火種は、嘘のように消えてしまった。
少し寂しいものだが、オレは苦笑いしつつエイダンを見やった。
「……すごいですね。本当にエイダンは、『自動車調律師』の家系なんですね……」
「まあね! ふふっ、米沢も、こんな狭い街に『自動車調律師』がいるなんて、信じられなかったかな?」
「……」
「あははっ! その顔、さては図星だね!?」
エイダンはそう言って笑いながら、また荷物の詰め込みに戻っていった。
彼の後ろ姿をよく見てみたが、何度見ても、彼の青シャツにもジーンズにも、汚れはひとつも見当たらない。
オレが信じられないのは、むしろエイダンの服装の方だ。
自動車調律師は「握手するときは気をつけろ」と言われるほど、服が汚れていると聞いていた。だが、彼の清潔さは、オレが聞いていた話とは真逆だ。
何せ彼の家業は、誰もが苦笑と苦情をこめて「自動車調律師」と呼んでいる。
彼らは職業柄、仕事着がオイルまみれになりやすく、何度注意しても、あちらこちらに黒い汚れを振りまいて歩く――と聞いていた。
ただ、エイダンの清潔感は――自動車調律師には見えないほど、徹底した汚れへの嫌悪感を感じる。
***
「やあラウル、今日の調子はどうかな? ははっ、そろそろ出発の支度を始めよっか!」
エイダンは地下室の鍵を開けると、暗闇に向けて気さくに挨拶した。
ロウソクに火が灯り、ようやくオレにもセーフ・ルームの中が見えてきた。
暗闇に幽閉されていたラウルは、ぐったりと頭をベッドに預けて、床にへたり込んでいた。今日はずいぶん調子が悪そうだ。
「エイ、ダン……こないで、くれ……手錠、外すの、は、その米沢って、奴、に……」
ラウルは弱々しい声で警告しているが、当のエイダンは、相変わらず無責任に笑ったままだ。燭台をベッドに置くと、何の気なしといった調子で、ラウルから手錠を外そうとしている。
「ははっ、ラウル、さては怖い夢でも見てたんだね? 早く起きてくれ、お寝坊さん! ぼくが夢の中で、君に何かひどいことでもしてたのかな? ふふっ、あっははははは!」
そのからかい方には、思わず耳を疑った。
オレはエイダンのそばで状況を注視していたが……彼は、親友をこんな暗闇に閉じ込めておいて、罪悪感がみじんもないのか?
「ちがっ……本当、お前の匂いって……今、すっげえ……つれえんだ……」
荒く息をつくラウルの口から、ダラリと唾液がこぼれた。
マズいな。ヘレン型は、ただでさえ鼻が鋭い。彼の目の前にいるのは、マフラーさえ巻いていない無防備な人間だ。
リビングデッドにとって、この匂いは相当しんどい。空腹を刺激し、本能を暴走させる、御馳走の匂いが目の前に――。
「頼む、エイ、ダン……はや、く、俺、から……」
――カチン。
手錠のカギが、外れた。同時に、ラウルが、飛び出した。
「エイダン、下がってろ!」
オレはとっさにエイダンを突き飛ばした。
二人の間に割って入り、ラウルにオレの腕を噛ませ、そのまま強引に押し込む形で床にねじ伏せた。
「ら、ラウル!? 米沢、ラウルに何するんだ!」
「エイダン、今はそこを動くな! 安心しろ、殺しはしない」
オレが取り押さえたラウルは、必死に唸り、もがき、オレの上着を噛み千切る勢いで歯を立てている。
とんでもない馬鹿力だ。オレが少しずつ押し負けている。
だが、彼は今、強烈な匂いに苦しんでいるはずだ。気が狂いそうなほどの飢餓に苦しもうと、たちまち食欲が失せる、天敵の匂いだ。
辛抱強く取り押さえていると、唸り声は少しずつしぼんでいき……沈黙が、流れた。
オレはラウルを組み敷いたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……ラウル、オレの血には、ナンシー型の病原体が無数に漂っている。君が噛めば、君はもうヘレンの『おともだち』じゃなくなる。めでたくナンシーの『仲間』入りだ」
そう告げるうちに、ラウルの呼吸は、だんだん落ち着きを取り戻していった。
……そろそろ平気だ。もう暴れる心配はないだろう。
オレは自分の首から桜柄のマフラーを脱ぎ、彼に貸すことにした。
「ラウル、車での移動中は、これを君に貸しておく。オレの匂いがベッタリと染みついたマフラーだ。君が首に巻いていれば、いい具合に食欲も失せるはずだ」
試しに、ゆっくりとラウルの口から、腕を離してみた。
彼は嫌そうな顔を見せると、目を逸らしてしまった。どうやら興奮も醒めきって、正気に戻ってくれたようだ。
「おう、ありがとよ、米沢。何も食う気になれねえくらい、ひでえ匂いがするマフラーだ。……うわっ、巻いてみると、マジで吐き気がするな」
ラウルはそう言ってマフラーを何重にも巻くと、鼻元まで深く隠してくれた。
あのマフラーは、かなり厚手にできている。顔が半分隠れる形で巻いていれば、周囲の匂いはだいぶ遮断できるはずだ。
ラウルは立ち上がると、オレと同じくらい背丈があった。
かなり体格に恵まれた相手だ。次また何かあったとき、オレひとりで取り押さえるのは、難しいかもしれない。
エイダンはオレに突き飛ばされたあと、うしろでぼんやりと座りこんでいた。ただ、彼は慌てて立ち上がると、ラウルを見上げて、感激した面持ちに変わった。
「ラウル……ラウル! あははっ、ぼくにずっと黙ってたなんて、ひどいじゃないか!」
エイダンはそのまま、希望に満ちた熱いハグでラウルを歓迎している。
「おかえり、ラウル! また君と話ができるなんて、夢みたいだ! ……ありがとう、米沢。もうラウルとは二度と話せないって思ってたから、まるで死んだ親友が帰ってきたみたいだ!」
その前向きすぎる反応に、大柄なラウルは、見かねた様子で頭をかいている。
「あのよう、エイダン……俺はもう死体みたいなもんだろ。死んだ親友が死んだまま帰ってきたんだ。まずはそのこと、目一杯嘆いてくれ」
「あっははは! 変わらないね、変わらないね!」
エイダンはそう言って、堅く抱擁したまま嬉しそうにラウルの肩を叩いている。
「そうだ! 君の新しい手袋を持ってこなきゃ。……ラウル、生爪が剥がれるまでコンクリートを引っかくから、手袋がすっかり駄目になったじゃないか。君の手って大きいから、なかなかいいサイズが見つからなくて苦労したんだよ!」
「おう、悪いな」
ラウルがぶっきらぼうに返すと、エイダンは待ちきれないとばかりに部屋を飛び出していった。
「なあラウル! 色は黒でよかったかな?」
「別に……手袋なんて、何色でもいいだろ」
「ははっ、本当かな? じゃあ次は、ショッキングピンクの手袋を見つけなきゃ!」
「おーいエイダン、冗談でもそいつは勘弁してくれ。普通の色で頼む」
「わかった! 普通のショッキングピンクを見つけておくよ!」
「テメエ……言ったな? できるもんならやってみろ。俺の手に合うサイズで、『普通のショッキングピンク』なんてむちゃくちゃなもんが見つかるんだか、見ものだぜ」
それは、はたから見ていると、不気味なくらい平和な光景だった。
監禁事件の加害者と被害者が、和気あいあいと談笑している。気味が悪いほど、二人はのんきに笑っている。
オレはベッドに置かれた燭台を取ると、ラウルに率直な疑問を投げてみた。
「……お二人は、どういったご関係で?」
「はあ? そんなの見りゃわかるだろ。ただの幼馴染っていうか……まあ……」
ラウルは癖毛な栗毛を強くかくと、目を逸らし、ボソッと小声で打ち明けてきた。
「俺の親友だ」
それは、どう反応すべきなのか、わからない言葉だった。
「答えになっていない答えだ」と言いたいところだが、ラウルの顔を見て、少し思いとどまった。彼は嘘や冗談で言っているわけじゃないらしい。
オレたちはそのままセーフ・ルームを出て、階段前の踊り場まで戻ってきた。
「……普通は半年も監禁されたら、少しは不信感とか怒りを抱くものかと……」
「あー、まあ……そういやそうかもしれねえのか?」
ラウルは、同意なのか否定なのかよくわからないことを言い残すと、この話題を避けたいのか、露骨にさっさと階段へ逃げていく。
彼がポケットに手を突っ込むとき――生爪がすべて剥がれた、指先が見えた。
その傷跡を見て――寒気を感じた。
「ラウル、君にはちゃんと伝えたはずだ。エイダンは、君がリビングデッドだと気づく以前から、君を地下室に――」
「おう、それくらい最初から知ってらあ。あいつのことだ、またデカいことやらかすだろうって、なんとなく読めてたぜ……まあでも、この程度で済んじまったのは、ちょっと予想外だったな。へへっ、だって誰も死んでねえんだろ?」
その返答には、返す言葉が見当たらず、絶句した。
彼はそんなことを、冗談めかした半笑いで話していた。
まさか彼は、この一件を水に流して、そのまま平凡な日々に戻るつもりなのか?
しかもエイダンを親友だと呼んで、これからも変わらず接していくのか?
そんな常軌を逸した異常な変化を、彼は平然と受け入れていくのか?
「……ラウル……どうして君はーー」
「どうしてもこうしても、まあ、俺はもう、ずいぶん前から、この手のことじゃ驚かねえって決めてんだ。両親をあいつに殺された日からーー俺があいつを背負って歩くって」
「両親をーー殺された?」
「おう。一応、表向きは事故で、ゾンビに噛まれたってことになってるけどよ……俺の両親、あいつに殺されたんだ。ゾンビに噛まれたのは、そのあとだ」
まさか、まさかとは思うが、
「今回は誰も死んでいなくて予想外だった」と言っていたのは、
前回は、彼の両親が死んでいるということなのか?
ラウルは階段を登りつめて朝日に照らされると、眩しそうに目を細めている。
彼にとっては、地下室から解放され、半年ぶりに拝む、地上の光なはずだ。
ただ、ラウルは地上に出て、晴れて自由の身を取り戻すなり――のんきに大あくびした。




