第三話 ミミック退治・1
ラウル、オレは君の力になりたい。
だからラウル、オレに命令権限を渡せ。
オレとリオは、エイダンに案内されるまま、この家の地下階に降りてきた。
地下の廊下を進むと、話に聞いた通り、自宅用避難室が見えてきた。
エイダンは鍵を開けたが、扉が開いたときーー中は真っ暗だった。
「ははっ、すいません旅人さん。すぐ火をつけますね」
エイダンはそう言ってライターに火を灯した。
ぼんやりと見えてきたのは、コンクリートの打ちっぱなしでできた、十畳ほどの地下室だ。
奥には一台のベッドと、一体のリビングデッドが匿われていた。
「……フーーッ……フーーッ……」
荒く息を繰り返しているのは、ガッチリした体格のリビングデッドだ。
彼はベッドに背をもたれ、床にへたり込んで、ぐったりと顔を伏せている。
生まれつき癖毛なのか、苦しげに息を吸うたびに、栗毛がゆらゆらと揺れている。見たところ、肉体はまだ腐敗していない。手袋とマフラーはしていないが、まだ人間らしく見えるリビングデッドだ。
ただ彼の周りには、床一面に、血痕でできた引っかき傷が残されている。
壮絶な数だ。生爪が剥がれるまで、コンクリートを引っかき続けたんだろう。
「……えい……だん……?」
リビングデッドが、ゆらりと顔を上げた。
頬にソバカスがある、平凡な顔立ちの青年だ。
「ガッ、アアアァアアアアアアァァアッ!」
彼は獰猛な雄叫びをあげ、ケダモノのように飛びかかってきた。
だが右腕には手錠がかけられ、ベッドの柵に拘束されていた。
「ガゥウウウウッ! ウゥッ、ウグァアアアアアアアアッ!」
まるで首輪のついた狂犬だ。体格のいいリビングデッドは、血走ったグレーの瞳を見開き、遮二無二になって暴れている。
叫び、唸り、ガチガチと歯を鳴らし、獲物にむしゃぶりつこうと猛り狂っている。
「あっ、あのさ……」
リオがオレを追い越し、部屋の中へと踏み入りかけた。
オレは片手でさえぎり――自分の後ろに押し戻した。
「リオ、近づかない方がいい。話をするなら、ここから」
「う、うん。……ねえ、君って、ルドルフ・カラシニコフさん、だよね?」
「ガァアアアアァアアアアアアアアッ!」
「あの……ちょっとでいいんだ、僕とお話ししよう? 君に大事なお届け物が……」
リオはしばらく、あの手この手と、懸命に対話を試みていた。
それでも、やがて肩を落としてため息をこぼすと――オレの後ろに、おずおずと引っ込んだ。
「……ごめん、この人……普通のリビングデッド、なんだね」
だがエイダンは、燭台に火を灯すと首を横に振った。
「ですが、ラウルの場合……少し、変なんです」
「変って?」
リオの率直な疑問に、エイダンは悩み悩み答え始めた。
「普通、リビングデッドになるときって……一度心臓が止まって、次に目が醒めたら、もうそれっきり別人みたいに変わっちゃうじゃないですか。なのに、ラウルの変化って……すごく、ゆっくりだったんです」
それを聞いて、リオはハッと息を呑んだ。
「ひょっとして、ラウルさんが変わっちゃったのって……ペドロフから帰ってからですか!?」
「ええ、よくわかりましたね。……すごいな、そんな話、誰から聞いたんですか?」
「あの、入街審査官のおじちゃんから……」
「ああ、あの人……ははっ、口が軽いのもほどほどにしてほしいな」
「いえ、あの……」
リオは意を決した面持ちで、打ち明け始めた。
「実は僕たち、この街に来る前に、ペドロフに立ち寄ったんです。けど、残念ですが……あのときはもう壊滅したあとで……だからせめて、消息をできるだけ回収して、ここに届けにきたんです。なのに、ラウルさんのだけは……『何かの間違いだ』って……」
「へえ、君って消息代理人だったんだ?」
「……はい」
「ふふっ、可愛いね。てっきりズル賢い人たちばっかりだと思ってたけど、君みたいなうっかりさんもいるんだ」
「……」
リオはオレの後ろに隠れると、「そっか、だからぼくの手元に……」とつぶやいていた。
エイダンは、ラウルと呼んでいるリビングデッドに目を向けると、憂鬱そうに話を続けた。
「もうペドロフが壊滅したのも、五ヶ月も前になります……ですが、あの混乱の中で……ラウルは、命からがら、出稼ぎから帰ってこれたんです。本当、ラウルだけでも無事で、よかったって思ってたのに……」
エイダンは痛みに耐えるように、苦しげにため息をこぼした。
「ですが、だんだん……様子がおかしくなって……だんだん、しんどそうになって……急に話せなくなったり、いきなり叫んで、暴れだしたり……ぼくも、何か食い止める方法はないかなって、色々探したんですけど……結局、ラウルは……」
エイダンはそう言って目をふせると――苦しげに笑った。
「ははっ、本当……リビングデッドを殺しためらうなんて、しょうもないって思うかもしれないですけど……それでも彼は、ぼくにとっての……たったひとりの、親友なんです……」
エイダンはため息をつくと――静かに落涙している。
オレは冷静に、事実を伝えることにした。
「何も不思議なことはありません。彼は、最初からそういう種類だったんですよ」
「……そういう種類?」
エイダンは涙を拭うと、ふとオレを見て、首をかしげた。
「はい。彼はだんだんリビングデッドになったわけじゃない。彼は最初から、擬態を得意とするリビングデッドだったんです」
「え、えーっと……擬態って……?」
眉をひそめて困惑しているエイダンを見るに、どうやら、この手の話には、馴染みがないようだ。
「いえ、別にそれほど難しい話ではありませんよ。リビングデッドになったラウルさんは、人間に擬態して、この街に溶け込んでいたーーただそれだけのことです」
「それだけって言われても……」
「人間の擬態って、本当に疲れるんですよ。ですからラウルさんは、だんだん、無理がでてきた。擬態も少しずつ、破綻していった。だからあなたから見れば……彼はゆっくり、リビングデッドになったように……」
「で、でも、そんな種類がいるなんて、ぼく、聞いたことが……」
エイダンはラウルをよく見たいのか、セーフ・ルームの奥へと踏みこんでいく。
「ええ……あなたは、絶対、聞いたことがないでしょうね……」
コツリ――オレもまた、部屋に踏みこんだ。
「まあ、目撃者がいないんですから……当然ですよ」
「え? 目撃者が、いない? な、何言ってるんですか!?」
「いいえ、ひとりも目撃者はいません……そんな目撃証言は、ありません」
コツリ――オレは一歩ずつ、エイダンに歩み寄っていく。
「あ、あの……本当、おかしなことばっかり言わないでください! だったらどうして、旅人さんはラウルの事情、そんなによく知ってるんですか!?」
「エイダンさん、よく考えてください。少し考えれば、わかるはずだ……」
コツリ――オレは、獲物の真後ろに立った。
「目撃者は、誰ひとり……オレたちが生きて帰さなかった。ただそれだけの話だ」
獲物がハッと振り向いた。
何か叫びかけたが、力ずくで口を封じーーそのまま床に押し倒すのは、簡単なことだった。
不意をつけば、あっけないもんだ。
人間の生殺与奪が、こんなに難なく手に入るなんて。
その有様を見てーー本能的に笑ってしまった。
「ははははっ……オレの言った通りでしょう? 誰も目撃者はいませんよ。あなたも例外ではありません……」
床に組み敷かれた獲物が、真っ青な顔して、助けを呼ぼうと叫んでいる。
だがその絶叫は、オレの手袋に圧殺され、くぐもった声がもれるだけだ。
オレの背後にいるリオは、今は大人しくしているようだ。
オレとあの子の間には、すでに暗黙の了解が取れている。
「安心してくださいエイダンさん。寄生虫は本当に優しいヒトだ……そんなに怖がらなくてもいいんですよ……」
オレは努めて優しく囁きかけた。
「平気です、寄生虫に操られると考えるから怖く感じるんです……これからヘレンと『おともだち』になれる……そう考えれば、あなたも楽しみに思えてきませんか?」
そう言い聞かせるうちに、獲物が必死にもがき、燭台を取り落とし、ロウソクの火が消えた。
「やめろッ! そいつに手え出しやがったらブッ殺すぞ!」
暗闇に、ケダモノじみた怒声が響いた。
その声は、オレでもなく、エイダンでもなく、ましてやリオの声でもなかった。ルドルフ・カラシニコフという青年が、とっさに叫んだ言葉だった。
それを確認してーーオレは「人間を襲う」擬態をやめた。
これ以上、小芝居は必要ない。床に押さえ込んだエイダンを手放し、さっさと立ち上がった。
するとライターを擦る音と共に、エイダンの手元に小さな火が灯った。
「ラウル……君、まだ……しゃべれる、の……?」
エイダンは立ち上がると、吸い寄せられるように、ラウルに近づいている。
「擬態です」
とっさにそう言って、エイダンを引き戻した。
彼は力なく膝をつくと、恐る恐るこちらを見上げてくる。
「ぎ、擬態って、どういう……?」
「彼もオレも、擬態を得意とするリビングデッドです。そして先ほどまで、ラウルは『正気を失ったリビングデッド』に擬態していた……そうですよね?」
そう指摘した瞬間、ラウルは拳を床に打ちつけ、悔しげにつぶやいた。
「……テメエ、余計なマネしやがって……!」
ラウルは恨みがましくオレを睨むと、すさまじい怒号をぶつけてきた。
「あとちょっとで、エイダンも諦めて……俺を殺してくれるはずだったんだ!」
直後、地上から二人分、聞き慣れない声が聞こえてきた。
「あのぅ、トカレフさん?」「お宅の大騒ぎが、うちまで聞こえてきたんですけど……」
エイダンはその声を聞いた瞬間――急に『好青年』の顔色を取り戻した。
「やあ、メリコフさん! ははっ、すいません。ちょっとラウルと喧嘩しちゃって!」
エイダンはキビキビ立ち上がると、猛然と部屋を飛び出していった。
オレは上着のポケットからライターを取りだし、燭台を拾い上げ、再び火を灯しておいた。
この地下室には、二体のミミックと、ひとりの人間だけが残された。
「ねえ、米沢ニイサン……」
リオはオレの腕にしがみつくと、おずおずとわがままを言いたそうにしている。
オレは微笑みを見せ、聞き入れることにした。
「……ん?」
それを叶えてやれるのは、いつだってニイサンとして、一番誇らしい喜びだ。
「あ、あのさ、これ、すっごく無茶な頼みだって、わかってるよ? けど、お願い……ラウルさんは、まだ……」
当然、リオの言いたいことは、わかっている。
リオは今まで、オレがどのような形でミミックを駆除してきたか、度々目にしてきた。
ミミックの駆除は、嫌な仕事だ。
害虫が死の間際に暴れ狂う有様は、これ以上この子には、見せたくない。
ただ、オレは少しでも安心させようと、その白い頭を軽く撫でた。
「平気だリオ。あのミミックなら、駆除以外の道が、見つかるはずだ」




