64.平成のフランツ・カフカ。そして…
「あら、久しぶりねえ。古江富美加さん。てっきりあなたは出場しないと思っていたわ」
グレーの上着に赤いチェックのスカートを穿いた鳥谷莉々七は、気の弱そうな女の子に突っかかっていた。
「ごめんなさい。高校生活では語学留学をしていたものですから、第一線を退いたと勘違いされたかもしれないわね」
「優等生自慢かしら。嫌味な女ねえ」
古江富美加という名前は、才介には聞き覚えがあった。
たしか『平成のフランツ・カフカ』とネットで話題になっていた人物だ。
共感度では他の追随を許さないとされ、卓越した文学性だけでなく、ガラス細工を思わせる繊細な心理描写が女性読者の心をつかんで離さないという。
目の前にいるのは、暗い過去がありそうな、重々しい雰囲気をまとった女子高生だった。彼女は血色の悪い青白い肌をしていて、きつねっぽい細い目が特徴的だった。
「自慢なんかしていませんよ。あなたが勝手に劣等感を抱くから、いつもいつもそのように感じるだけです」
「あらあら。私が劣等生なんかにコンプレックスを抱くと思う?」
「不要。因縁など小説を書く上では必要ない。削ぎ落とせ。さもなくば、そなたらは泣きを見ることになる」
なぜか五十嵐幹久までもが加わっていた。検事志望で口達者な彼が参入するとなれば、いよいよ収拾がつかなそうだ。
才介と瓜生はホワイトボードから距離をとった。
するとブレザーを着た中性的な顔立ちの少年が、電話で近況報告をしているのが聞こえてきた。
「もしもし。お母さん。ぼく受かってたよ。うん、昨年に引き続いて優勝するつもり。うん、抜かりはないよ。え、そうだね。今大会はレベルが高いね。瓜生くんや古江さん、五十嵐くんもいるし、ここら辺が現代文学の揺籃期になるかもしれないね。うん、ディスクレシアでもやれるんだってことを世界に証明してやるよ。ぼくは六文仙だからね。ここで頂点をとれなかったらノーベル文学賞が遠くなっちゃうよ。うん、じゃあね」
話の内容だけでわかった。彼は山本由紀夫だ。
本当にまだまだ超えるべき壁がたくさんあるんだ。後ろを向いている暇なんてない。才介は今更ながらにそれを痛感した。




