君を身代わりにして逃げるなんて出来ないよ
僕はいつの間にか眠っていたらしい。
眩しい朝日に目を擦ると、おばさんが小屋の戸を開けたところだった。
赤い竜はいなくなっていた。
昨夜は確かに一緒に寝たはずだったのにな。
「まだ寝てたのかい、起こして悪かったねぇ。大したもんはないけどご飯を食べて行きなさいな」
僕は、昨夜のようにおじさんおばさんと一緒に食卓について、薄いスープにカチカチの平べったいお煎餅みたいなものを食べさせてもらった。
量と味は物足りないけど、スープの温かさと隣で一緒に食べてくれる人の存在に心が満たされる。
「荷物はどっかに落としてきたのかい? 雨も止んだし、あんたが倒れてた辺りを探してみようかね?」
おばさんの親切な言葉に僕は首を振った。
「落としたんじゃないのかい? じゃあ……取られたとか?」
ふるふる。と首を横に振る。
「……それじゃあ何かい? 荷物は最初から無かったのかい?」
コクコクと頷くと、おばさんは困った顔をする。
「着替えのひとつもないなんて、まるで着の身着のまま家出したみたいだねぇ」
おばさんの言葉に、チクリと胸が痛んだ。
家出、かぁ……。
家出なら、まだよかったんだよな……。
僕の方から『騙されてたなんて』って、愛想を尽かして逃げ出したなら。
着の身着のままは同じでも、声まで取られずに済んだだろうに……。
僕は無意識に首を撫でる。
あの金色の瞳をした男の人は今頃どうしてるだろうか。
やっぱり、僕のことを……探しているんだろうな……。
あんなに懸命に守ってくれたのに、勝手に逃げてきてしまった。
早く戻らないと、迷惑をかけてしまう……。
……でも、戻ってしまったら、僕はまた、誰かに管理され続ける生活に戻るんだろうか……。
僕は元の服に着替えて、頭を下げて、おばさん達の家を出ようとした。
背を向けた僕の手首を、不意におばさんが掴んだ。
「もしあんたが良ければなんだけどね。うちの息子のとこにも魔力を分けてもらえないかね?」
「こらお前、失礼なことを言うんじゃない」
おじさんが窘めているけれど、そのくらいお安いご用だ。
僕は笑って頷く。
けれど、いざ息子さんの家に行って魔力を注ぐと、それだけでは済まなかった。
息子さんの家を出てすぐのところで、お隣さんだとかに声をかけられたが最後、よければうちにも、うちにも、と息子さんの奥さんのご実家だとか、ご近所さんだとかが次々に魔力貯蔵石を持って来て、列になってしまった。
そっか、この魔力貯蔵石はこんな風に外して持ち歩けるんだなぁ。なんて呑気なことを思いながら次々に注いであげていると、もう少しで全員というところで、突然怒鳴り声がした。
「おらおらっ、どけっ!」
何事かと思ってそちらを見れば、見たことのないおじさん達だけど、どう見ても悪い人っぽいなという雰囲気の人たちが四人いた。
村人さん達が、露骨に嫌そうな顔をしながらも僕から離れてゆく。
「魔力持ちのガキってのはお前か」
「おとなしくついて来んなら、痛い思いしなくてすむぜぇ?」
僕の脳裏に、ジョシュア様の言葉が蘇る。
ジョシュア様は、僕が外に出ると、悪い人に捕まって、死ぬまで一生魔力を吸い取られ続けると言っていた。
これも、嘘ではなかったみたいだ。
ジョシュア様もその中の一人ではあったわけだけど。
確かに目の前のこの人達よりは、ずっとマシだったんだと思う。
そんなことを思う間に、バンダナの男がズカズカと大股で僕に近づいてくる。
どうしよう、怖い、逃げなきゃ……。
なのに僕の身体は凍り付いたみたいに固まって、駆け出すどころか後ろに下がることすら出来ない。
男は僕が逃げないと思ったのか、ニタリと笑って僕に手を伸ばしてきた。
ぎゅっと身を竦めた僕の目の前に、真っ赤な塊が飛び出す。
「ガウッ!」
赤い竜だ。
驚いた男がバッと飛び退く。
赤い竜は僕の服の裾を咥えて、グイッと引っ張った。
まるで逃げろと言われているようで、僕は弾かれるように駆け出した。
走り出した僕を追い越して、赤い竜が僕の前を走る。
まるで案内をしてくれるようなその背を精一杯追いかけて走る。
村を抜けて、森の中に入る。
男達はまだ諦めずに追いかけてくる。
あっ!
後ろを振り返った瞬間、木の根に足を取られて僕は盛大に転んでしまった。
早く……早く起きなきゃ……!
足音がぐんぐん近づいてくる。
僕がなんとか立ち上がった時には、四人の男達は僕達を取り囲んでいた。
「おいおい……、逃げるなんて……悪い子だなぁ?」
そう言う髭の男は息が切れている。
僕もゼェハァ言ってて酷いもんだけど。
バンダナの男がジリジリと距離を詰めてくる。
「大人しくしてりゃあ痛い目見なくて済んだのになぁ!?」
男が、振り上げた拳を勢いよく振り下ろす。
ダメだっ!
避けられないっっ!
ぎゅっと目を閉じた僕の前で空気が揺れる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
悲鳴に目を開くと、男が振り下ろしたはずの腕の先には赤い竜が喰らい付いていた。
腕にざっくりと食い込んだ牙から血が滴っている。
「このっ、離せっ!」
「おい! こいつ竜じゃないか!?」
「赤竜の子だ! 高く売れるぞ!」
「そのまま! 捕まえろ!!」
赤い竜は赤竜と言うのか。
その正体に気づいた男達が、途端に目をギラギラさせる。
僕を囲んでいた男達までが全員赤竜に齧られている男に飛び掛かる。
逃げてっ!!
思わず叫ぼうとしたけど、息が苦しくなるだけだった。
赤竜は男達に殴られながらもその口を離そうとしない。
緑の瞳が男達の隙間から僕を見る。
まるで今のうちに逃げろと言っているようで、僕はどうしようもなくなって首を振った。
ダメだよ! 君を身代わりにして逃げるなんて出来ないよ!
君の方こそ、僕のことはいいから逃げて!
じゃないと君まで捕まっちゃうよっ!
「くそっ!」
腕を食われている男が、腕ごと赤竜を地面に叩きつける。
男達に体重をかけて踏みつけられて、赤竜からゴキゴキと嫌な音がした。
赤竜が赤い物を吐き出してぐったりと口を開ける。
僕は思わず駆け出していた。
食いつかれていた男がもう片方の腕で赤竜の角を掴む。
そのまま持ち上げようとした男の手から、僕は強引に赤竜を奪って抱き抱える。
「お前っ!」
男の拳が僕に振り下ろされる。
その瞬間、鼓膜が破れそうなほどの雄叫びが響いて、森が暗くなった。
強風が吹き荒れる。
「なっなんだ!?」
「上だ!! 黒竜がいる!」
「ぎゃああああ!」
「ズ、ズラかれ!!」
「殺されるぅ!」
黒竜……?
男達が一斉に逃げ出すと、あたりは轟々と吹き荒れる風と力強い羽ばたきの音に包まれた。
頭上を見上げれば、木々の隙間から真っ黒い竜の大きな体の中に、金色の瞳が1つだけ見えた。
ああ、本当だ、黒竜だ……。
大きい竜だなぁ。
クロも今頃こんなに大きくなってるんだろうか?
金色の瞳は、僕のことを心配しているように見えた。
あの黒竜は僕を傷つけない、そんな気がする。
僕は腕の中で浅い息を繰り返す赤竜の方に視線を戻す。
そうっと地面に下ろすと、キュゥッ……と苦しげな声が漏れた。
赤竜の頭は力なく項垂れていて、その目も閉じたままだ。
僕はすぐに赤竜を魔力で包み込む。
もう大丈夫だよ、僕が怪我を治すからね。
魔力が赤竜の体に染み込んでゆくと、赤竜は宝石のようにキラキラした緑の瞳をゆっくりと開いた。
僕の事守ってくれてありがとう。
本当に……本当に嬉しかった……。
じわりと視界が滲む。
助けてもらえた喜びに負けないくらい、自分の弱さが許せなかった。
ダメだ、僕が泣いてしまったら、魔力の制御が乱れてしまう。
僕はギュッと眉間に力を込めて、必死で涙を堪えながら治療を続ける。
赤竜が、僕を心配するような顔をして頭を持ち上げた。
ああ、この子にはいつもこんな顔をさせてしまっている気がする。
ごめんな、僕が頼りないせいで無理をさせてしまって……。
いつの間にか吹き荒れていた風はおさまったのか、森は静かになっていた。
黒竜はどこに行ったんだろう……。
赤竜が、もう大丈夫だとばかりに立ち上がって尻尾を振る。
よかった。
元気になってくれて。
僕は、黒竜がどうなったのか空を見上げようとしたんだけど、頭を動かした途端にぐにゃりと世界が歪んだ。
うわわ、手を出さなきゃ……って、どっちに……!?
平衡感覚をすっかり失った体が放り出されると、視界も闇に染まる。
薄れる意識の端で、誰かの腕が僕を支えてくれた気がした。




