オーロがかっこいい
僕が怪訝な顔をしたのに気づいたのか、ビリデクトは勝ち誇ったような顔をして言った。
「異界人のお前は知らんだろう!」
ああ、嫌な予感しかしないな……。
「今のうちに逃げるか?」
オーロに尋ねられて僕は「ダメだと思う」と答えた。
僕が逃げ切ればジョシュア様は生き残れるかも知れないけど、屋敷の人達はこの場で腹いせに何人か殺されてしまうかも知れない。
この人ならそのくらいの八つ当たりはしてしまいそうだ。
「教えてやるからよく聞け!」
自慢げな声を聞き流して、僕はオーロに囁く。
「僕はジョシュア様を助けたい。オーロ、僕に力を貸してくれる?」
オーロはいつも鋭い金色の瞳を丸くして、それから嬉しそうに細めて「もちろんだ」と答えた。
あまりに幸せそうなその声に、場違いにも胸がジンとしてしまう。
「ジョシュアの命は私が契約で握っているのだ! 私の意思ひとつですぐにでも息の根を止めることができる!」
そんな事だろうと思ったよ。
だってエトさんが『どうしても逆らえない』なんて言ってたから。
「どうした、驚いて声も出ないか!?」
驚いてはいるよ。
腹違いとはいえ血を分けた本当の兄弟なのに、よくそんな酷い真似ができるなって。
なんの繋がりもない僕の事を、弟のように可愛がってくれたジョシュア様とは天と地ほどの差があるよ。
本当に同じ血が流れてるんだろうか?
ジョシュア様の爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいんじゃないか?
「お前はジョシュアに懐いていたんだろう? ジョシュアが死んでもいいのか?」
ビリデクトは勝ちを確信した顔で僕に近づいてくる。
僕に手を伸ばしたビリデクトの腕を掴んだのはオーロだった。
「貴様こそ勘違いをするな。私にとってリョクトより優先する物はない」
オーロの掴んだビリデクトの腕がミシリと嫌な音を立てる。
ビリデクトは「ヒィィッ」と情けない声を漏らした。
「や、やめさせろ! でないとジョシュアを今すぐ殺すぞ!」
僕達からジョシュア様が見えないところで脅すのって、あんまり意味がないと思うんだけどな。
殺したぞって言われてしまったら、僕達は、もうそのまま逃げてしまうんだから。
殺すぞ殺すぞって言うしかないんだろう。
ああ、それなら交換条件を出してみようか。
「エトさん、契約って僕にもできますか?」
僕に急に話を振られても、エトさんは慌てず答えた。
「はい、両者が納得の上で署名ができれば成立します」
なるほど、僕もあの時名前を書かされたもんな。
こちらの字じゃなくても効力が発揮されるのは経験済だ。
「な、何を勝手に……ぐぁっ!?」
口を挟もうとしたビリデクトの腕にオーロがさらに指を食い込ませると、ビリデクトは悲鳴と共に黙った。
ビリデクトの兵達は僕達の周りを囲んでいるものの、雇い主を掴まれているからか指示待ちのようだ。
「ジョ、ジョシュアが死んでもいいのか!?」
「いいえ。ですから、僕はあなたに従って屋敷に戻りますよ」
「それならすぐにこの腕を離させ――」
「その前に、僕と契約してください。僕があなたと屋敷に戻るかわりに、この別邸と別邸の皆さんには決して危害を加えないと」
この男を相手にするなら、口約束じゃダメだ。
この男はきっと、簡単に約束を破る。
僕達に優しくしてくれた、ジョシュア様が大事にしているこの人達を守るには、確かな何かが要る。
「契約していただけたら、あなたの手を離しましょう」
「くそっ! 生意気な異界じイテテテテテテッ! やめろ! こっちの手が折れたらサインができんだろう!」
ああ、そっちが利き手か。
僕が思った次の瞬間には、オーロは一瞬で逆の手を掴み直した。
「なっ!?」
流石オーロはすごいや、と心の中で称賛を送りつつ、僕は尋ねる。
「契約していただけますか?」
ビリデクトは観念したのか「ええい勝手にしろ!」と言い捨てた。
すぐに机が運ばれて、ワドナーさんが机の上に契約に必要な品を並べてゆく。
縄を解かれたばかりなのに皆さん仕事ができる人ばっかりだ。
「私が代筆致します」
エトさんがそう言って、サラサラと文字を綴ってゆく。
僕からの条件は、この別邸と別邸の皆さんに危害を加えない事だ。
それに対してビリデクトの条件は、僕を屋敷に連れ帰る事、とした。
「ただし、我が屋敷の敷地に入れるのはその異界人だけだ。ああ、竜もいるなら一緒に連れて行くがな。とにかくその男はダメだ。これは譲れん」
なるほど、確かにこのままオーロが僕と一緒についてきたら敵わないと思うよね。
どうしよう、とオーロを見上げると、オーロは意外にも「いいだろう」と答えた。
え、いいんだ?
エトさんが「私もお供させてください、リヨ様のお世話を致します」と申し出ると、ビリデクトは「ああ、お前はジョシュアの後ろをちょろちょろしているヒョロいガキか。構わん、勝手にしろ」と面倒そうに答えた。
「僕についてくると危ないよ、ここに残った方が……」
「どうか、お供させてください」
止めようとした僕を、エトさんはニッコリ笑顔で遮る。
もしかして、エトさんはジョシュア様が心配なんだろうか。
僕達と屋敷に行けば会えるだろうしね。
「分かった、ありがとう」
エトさんが、契約書の条件の部分に敷地に入れるのは僕と竜とエトさんだと書く。
契約を破った際、つまり別邸や別邸の人に危害を加えた場合には、僕と竜とエトさんは自由の身となる、という条件で合意した。
契約書が紛失、破壊、消滅した際も、契約は消失しない。
エトさんが僕に説明しながらそう書くと、ビリデクトの顔がちょっと引き攣った。
僕が契約主で、先に名前を書く。
続いてビリデクトがのたくった字で名前を書いたものを、エトさんがじっくり見て「こことここを直してください」と指定していた。
なるほど……崩し字で無効化を狙うみたいな事もできるのか。
オーロに腕を捻り上げられて、ビリデクトは半べそで書類を訂正した。
すると前にも見た荊棘のようなものがするりと出てきて僕の手首に巻きついた。
ビリデクトの利き手にも同様に巻き付いている。
手首の中心に小さな*印だけを残して荊棘が消える。
「ではこちらの契約書は改変を防ぐため消去しておきますね」
エトさんがそう言うと、書類の端に火をつける。
なるほど、机にあったお皿とランプはそのためのものだったのか。
「ああ……」
ビリデクトが小さく呻く。
うわ、彼には今の書類を改変する気があったのか。
……怖いな契約。
使う時はこんな風に徹底しないと危ないんだな。
覚えておこう……。
エトさんがワドナーさんに連絡事項を引き継いでいる間に、僕達は屋敷の皆の無事を確認して、皆に別れを告げた。
子ども達の母親はライラさんという名前だったらしい。
謝罪と感謝の言葉を繰り返すライラさんは、僕の手をぎゅっと握って、無事を祈っていますと涙ながらに言ってくれた。
メイドさんも庭師のおじさんも農夫のお兄さん達まで、皆、僕の肩や背を撫でて励ましたり謝ったりしてくれた。
「皆さん今までお世話になりました。短い間だったけど、ここで過ごした楽しい日々を、僕は絶対に忘れません」
そうこうしているうちに、明るくなってきた空から朝日が射し込んでくる。
ああ、これから一日が始まるのか。
なんだかもうヘトヘトだよ。
僕はオーロを振り返る。
なんと言って別れたらいいんだろう。
この人は、僕と離れると心が死んでしまうと言っていたのに……。
オーロのがっしりとした立派な体躯を、朝の光が優しく縁取る。
オーロの少し長めの黒髪は、朝日を浴びても真っ黒なままで、その深い漆黒が美しいなと思った。
ひとつしかないオーロの金色の瞳が僕をじっと見つめる。
ああ、結局その目の事も聞けないままだったな。
彼はどうして片目になってしまったんだろう。
僕のどこを、そんなに好きになってくれたんだろう。
まだまだ、彼に聞きたいことがたくさんあったのに。
僕はもっと、オーロのことをたくさん、知りたかったのに……。
「さっさと馬車に乗れ」
そう言うビリデクトの声にも、若干の疲れが滲んでいる。
「リョクト」
オーロが馬車の中を見てから、乗り口で僕に手を差し出す。
オーロに……別れを告げないと……。
悩む僕を、オーロはひょいと抱き上げた。
「えっ!?」
そのまま馬車に乗り込もうとするオーロに、慌てたのは僕よりもビリデクトだった。
「まままま待て待てっ!! その男は置いていけ!!!」
僕を抱き上げたまま、オーロは振り返って言う。
「どうしてだ? リョクトと竜はいいんだろう?」
「……ま、まさか、お前は……」
「私が貴様の探していた黒竜だ」
……ぇ?
「だっ、騙したのか!?」
「人聞きが悪いな。私がいつ人だと言った?」
え? え??
「しょ、証拠を見せろ……!」
「いいだろう」
そう答えたオーロが僕をそっと下ろす。
「リョクト、驚かないでくれ」
その言葉がひどく切実に聞こえて、僕は思わず「分かった」と答えた。
何を見ても驚かないようにしないと……。
僕は必死で心の準備をする。
オーロは僕から離れると、見る間に黒い大きな竜へと姿を変える。
黒くてツヤツヤした立派なツノに、大きくて太い尻尾。
全身はゴツゴツした硬そうな鱗に覆われている。
大きな四本の足はがっしりと地面を踏みしめていて、長い首が描く美しい曲線を、朝の光が縁取って、……すごい。
「……かっこいい……」
僕の呟きが聞こえたのか、オーロは金色の瞳を丸くしてから、僕を見て嬉しそうに細めた。
途端に、ぎゅっと胸が苦しくなる。
え、なんでだろう。
なんだかだんだん心臓がドキドキしてきた……。
別に食べられそうだとか怖いとか思ってないんだけどなぁ……?
「黒竜……。しかも上位種じゃないか……」
ビリデクトが震えた声でそう漏らす。
なんだそれ。
ドラゴンにもランク的なのがあるのか?
あ、族長クラスはちょっと立派とかそういうやつ?
「お……、お前のような奴と同じ馬車に乗れるか! すぐに別の馬車を出させろ!」
ビリデクトの叫びに、今朝方出立予定だった別邸の馬車がすぐに回される。
……という事は、僕はまだオーロと一緒にいられるって事……?
オーロがしゅるるるると大きな体を小さくして人間の姿に戻る。
僕は我慢できずにオーロに駆け寄って、その勢いで飛びついた。
「オーロ! すごい! かっこよかった!」
オーロは僕を受け止めると、勢いを殺すようにその場でくるりと回転する。
わああ、なんだこれ。目が回っちゃうよ。
「リョクト……、私が、怖くないのか……?」
えっ、そんな事心配してたの!?
それで今まで黙ってたの!?
おずおずと尋ねるオーロがすごく可愛く見えてしまって、僕は満面の笑顔で答える。
「全然怖くないよ、オーロの竜姿、強そうですっっっごくかっこよかった!」
僕の答えにオーロがホッとした顔を見せる。
よかった……。
僕も嬉しいよ。
僕は、まだオーロと一緒にいられるんだ。
まだこれからも、オーロが隣にいてくれる。
僕はなんだか弾んだ気持ちで、オーロとエトさんと一緒に、別邸の準備したふかふかのクッション付きの馬車に乗り込んだ。
寝不足の目に眩しい朝日ですら鬱陶しく感じないくらい、この時の僕は浮かれてしまっていたんだ。
あのビリデクトがすんなりOKを出したことを不審に思うこともなく。
ビリデクトが元々竜を捕まえるつもりでいたことすら、すっかり忘れて……。




