第二話「友人」
さくらが手紙を受け取ったのは、火曜日の朝だった。
郵便受けを開けたら、入っていた。宅配便でもなく、チラシでもなく、白い封筒が一通。宛名は手書きで「田村さくら様」。
差出人のところに、名前はなかった。
でも、字を見た瞬間にわかった。
はるかだ。
さくらはその封筒を持ったまま、しばらく玄関に立っていた。会社に行く時間だった。スーツを着て、鞄を持って、あとは家を出るだけだった。
でも足が動かなかった。
封筒の裏を見た。住所が書いていない。消印を見た。長野県、とだけ読めた。あとは滲んでいて、町の名前がわからなかった。
長野。
はるかが長野にいる。
それだけがわかった。
さくらははるかと、高校からの友達だった。
八年間。喧嘩したこともあった。連絡が途切れた時期もあった。でも気づけばまた話していて、気づけばまた隣にいた。そういう関係だった。
はるかが消えたのは、春の終わりだった。
前日まで普通だった。ランチを一緒に食べて、くだらない話をして、じゃあねと別れた。それだけだった。
次の日から、電話が繋がらなくなった。
最初は忙しいのかと思った。一週間経って、アパートに行ったら、もう引き払っていた。
さくらは、その場で少し立ち尽くした。インターホンを押してから、返事がなくて、管理人に聞いて、もう退去されました、と言われるまで、五分もかからなかった。
でもその五分が、ひどく長かった。
封を開けた。
便箋が一枚。
さくらへ
急にいなくなってごめん。
心配かけてごめん。
元気にしてる。
新しい場所で、ちゃんと生きてる。
空気がきれいで、夜に星が見える。
さくらも元気でいてね。
はるかより
読んだ。もう一度、読んだ。
元気にしてる。
その四文字を、何度も目でなぞった。
嬉しい、と思った。
それと同時に、胸の奥で何かが軋んだ。
返事が書きたかった。
でも住所がない。
さくらは引き出しから便箋を出して、机に向かった。書きかけた。何度も書きかけた。
さくらへの書き出しが、全部違った。
「どこにいるの」から始めた文は、途中で止まった。
「会いたい」から始めた文も、止まった。
「怒ってるよ」から始めた文も、止まった。
結局、一枚も書けなかった。
便箋を全部丸めて、くずかごに捨てた。
はるかへの返事は、どこにも届かない。
その日の夜、さくらははるかのことを考えた。
長野の夜。星が見える、とはるかは書いていた。
さくらは東京のマンションの窓から、空を見た。曇っていた。星は一つも見えなかった。
はるかが星を見ている夜に、さくらは星を見られない。
それだけのことなのに、なぜかそれが、ひどく遠く感じた。
三日後、さくらははるかの母親に電話をした。
「手紙が来ました」とだけ言った。
電話の向こうで、美枝子さんが少し黙った。
「そう」
「長野から、みたいで」
「そう」
また、少し間があった。
「住所は」
「書いてなくて」
「そう」
それだけだった。
美枝子さんが何を思っているのか、さくらにはわからなかった。声が、静かすぎて。
「また何か来たら、教えます」
「ありがとう」
電話が切れた。
さくらは画面を見つめた。
美枝子さんはどんな顔をしていたんだろう、と思った。聞けなかった。
手紙は、机の引き出しに入れた。
住所のない手紙。返事の書けない手紙。
でも捨てなかった。
たまに取り出して、読んだ。
夜に星が見える、という一行を、何度も読んだ。
はるかが見ている星と、さくらが見られない星が、どこかで繋がっていると思いたかった。
思えなかった。
でも、思いたかった。




